仰臥禅
昭和三十九年に発行された本ですから、もう六十一年前の本であります。
私の生まれた年でもあります。
荒井荒雄先生という方の著書であります。
その本に平田篤胤の『志都の石屋』という書物にあるという言葉が説かれています。
「実以てこれは無病長寿の奇術なること、疑ひなきことでこざる。
其仕やうは、每夜寝所に入て、其いまだ睡りにつかぬ前に、仰向きて、両脚を揃ヘて、強く踏のばし、総身の元気を、臍の辺から、気海丹田の穴および腰脚足の心までに充しめ、さて他の妄想をさらりと止めて、指を折り、息を計へること百息にして、其の踏しめたる力を緩め、暫有て、又かくの如く、大抵每夜この術を行ふこと、四五度ほどづつ、欠さず修すること、每月五七日づつすれば、元気総身に充満して、腹中の積塊も皆とけるなり。
何なる良薬も、此術に越すもの無し。
夫故に我れはかくの如く、老に及ぶまで無病なりと腹を出して見せられた処が、中焦鳩尾の処すきて、下焦臍下の張って固きこと、こつこつと音のするやうで有たでごさる。」
と書かれています。
平田篤胤の父が行っていたというものです。
貝原益軒の『養生訓』にも丹田について説かれています。
中公文庫の『養生訓』にある松田道雄先生の訳文を引用します。
「へそから下三寸を丹田という。
両方の腎のあいだの動気はここにある。
『難経』に「臍下腎間の動気は人の生命なり。
十二經(五臟六腑を連絡する脈管系)の根本なり」と書いてある。
ここが人のからだの生命の根本がある場所だ。
気を養う術はつねに腰を正しくすえ、気の精を丹田に集中し、呼吸を静かにし、事にあたっては胸の中から何度にもかすかに気を口の中に吐きだして、胸中に気を集めないで、丹田に気を集める〔腹式呼吸をすすめているのだろう〕。
このようにすれば気がのほらず、胸がさわがず、からだに力ができる。
貴人に対してものをいう時も、大事変にのぞんで落ち着かぬ時も、このようにするがよい。
やむをえず人と論争しなければならぬ場合も、怒気のためにきずつけられず、かるがるしくならず、間違わない。
あるいは武芸・武術にはげみ、武士が槍・刀を使って敵と戦うにも、みなこの法を主とすベきである。
これは何か一生懸命やろうとして、気を養うのにためになる術である。
およそ技能をふるおうとするもの、とくに武士はこの法を知らなければならぬ。
また道士が気を養い、僧が坐禅するのもみな気の精をへその下に集中する法である。
これは平静にかえる工夫であり、技能をふるうものの秘訣である。」
というのです。
お坊さんが坐禅するのも気をへその下に集中する方法だと説かれています。
荒井先生の著書には、仰臥禅の具体的方法が述べられています。
まずは仰臥について、
「人間にとっていささかの無理のない姿勢は、地球の重力に身を委ねた仰臥の姿である。
仰臥しているときは、体のどの部分にも力の凝ることがなく、全身が一如になっている状態にある。
そして宇宙に一身を投げだし、宇宙に一切を委ねた姿である。
故に仰臥は放下著の姿であり、心身脱落の姿である。
仰臥は腹腔内において上部よりの圧力がなく、丹田呼吸を行うに誠に好都合の姿勢である。」
と説かれています。
たしかに、仰臥の姿勢の良さがあります。
無理のない姿勢であります。
腰を立てるのに一切の力がいりません。
お腹で呼吸がしやすくなります。
この仰臥の姿勢で、内観の法を行っていると、お腹から腰、足、足の裏まで充実します。
その充実感が、立っている時も歩いている時も坐っている時も持続できるようになります。
荒井先生は、
「まず床の中で仰けに臥し、目を閉じ、身体各部の一切の力を脱き、心一切の妄念を捨てて身を投げ出す。
「私の体は宇宙に浮きただよっている。
一切の私の力は脱け、からだの中の神経や筋肉はくつるいでいる。
自然に身を任せる。
私はすべてを投げすててしまった。私は、くつろいでいる。くつろいでいる」と深く思念する。
かくして完全にくつろぎ、楽な気持になっていること二、三分間。」
と書かれています。
そのあとに、
「両脚を伸ばし、踵を合せそろえる。舌は上あごに掛け、上下の歯は相結ぶ。耳は肩に対して垂直をなし、鼻は臍に対して垂直をなす。即ち正身仰臥するのである。かく調身するとき、心また調えられること妙である。」
というように姿勢を調えます。
それから「数息観」をおすすめになっています。
その要領は「吸気 心の中で「ひとー」と唱えながら丹田に気力をこめ、きわめて静かに、深く鼻孔より空気を吸入する。
息を徐々に下腹部にみたす。空気は肺底に充足し、横隔膜は下り、下腹は膨脹する。即ち気海丹田が充実する。
吸気は五、六秒以上の時間を要して行う。
充塞 吸入し終ったら、そのまま一、二秒間息を留めおく。
呼気 「つー」と心の中で唱えながら、極めて静かに徐々に、鼻より呼気する。呼気の場合も五、六秒以上を要して静かに長く行う。」
というのであります。
あまり吸う方に重点が置かれないようにした方がよいとは思いますが、このように説かれています。
下腹部を充実させて呼吸することが大事なところです。
そしてこの下腹、脚、足の裏こそが、私の本来の面目だ、本分の家郷だ、唯心の浄土だ、己身の弥陀だと観念してゆくのです。
かくして仰臥の禅というのも気力を下腹、脚、足の裏まで充たして、それが歩く時にも立っている時にも坐っている時にも持続してゆくので、すぐれた方法であります。
横田南嶺