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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.06.25
今日の言葉

観音さまの心

東邦大学の看護学部の研修を毎年円覚寺で行っています。

毎回一時間ほどお話をさせてもらっています。

今年は観音さまの話をしました。

大勢の学生さんたちが大方丈に集まって話を聞いてくださいます。

お寺にお越しいただいているので、お寺の話から始めました。

全国にあるお寺の数は、七万七千ヶ寺と言われています。

よく譬えにだされるのが、コンビニエンスストアの数ですが、こちらは五万七千と言われています。

神社はもう少し多くて、約八万というのです。

神社仏閣がいかに多いか分かります。

日本のお寺で参拝者が多くて有名なのは、信濃の善光寺や、京都の清水寺、成田山新勝寺、それに浅草の観音さまなどがあります。

善光寺については『広辞苑』には、

「長野市にある寺。

山号は定額山。

単立宗教法人。

天台宗の大勧進と浄土宗の大本願とによって管理される。

推古天皇朝に草堂を営んで三国伝来の阿弥陀如来像を本尊とし、642年今の地に堂宇を造営したと伝える。

中世以後盛んに尊信された。

現在の本堂は1707年(宝永4)の再建。」

と書かれています。

岩波書店の『仏教辞典』にはもう少し詳しく解説されています。

「本尊は552年(欽明13)百済の聖明王から献上された三国伝来の<一光三尊>(後光に阿弥陀・観音・勢至の三尊が現れる)の阿弥陀如来という。

創建については諸説があり不詳。

『善光寺縁起』では、当時の疫病流行の原因が本像崇拝にあるとした物部守屋(?-587)が本像を難波堀江に捨てた。

これを602年(推古10)に本田善光が得て信濃国の自宅に安置し、さらに水内郡に遷して一寺が建立されて、善光の故事に因んで<善光寺>の勅額を賜ったとする。」

と書かれています。

この一光三尊の阿弥陀様が円覚寺にも寺宝として伝わっています。

文永八年(1271年)の銘があります。

ということは円覚寺の創建よりも古い仏像だということになります。

言い伝えでは、インドにお釈迦様の時代、月蓋長者というお金持ちがいたそうです。

お金持ちですが、お布施をする心はありませんでした。

その娘が病気になってしまい、名医を招いて手を尽くしても治りません。

そこでお釈迦様にお願いしたのでした。

お釈迦様は、阿弥陀如来を信じて、「南無阿弥陀仏」と唱えれば救われると教えたのでした。

このあたりは、歴史的にはお釈迦様の時代にはまだ阿弥陀信仰はなかったのですが、そのように信じられていた時代の話であります。

そうして阿弥陀様を信仰して救われたのでした。

娘の病気もよくなったのでした。

そこで、長者は、お釈迦様にお願いして阿弥陀様の仏像を作るようにしたのでした。

その仏像が善光寺の本尊となっているというのです。

月蓋長者の生まれ変わりが百済の聖明王であり、そのまた生まれ変わりが、本田善光であるというのです。

聖明王が日本に下さったのが、この阿弥陀像でありました。

蘇我氏によってお祀りされていましたが、仏教を好まぬ物部氏は、その頃疫病が流行ったのも仏教のせいだと、仏像は奪われて難波の堀江に投げ捨てられてしまいました。

それを信濃の国からやってきていた本田善光が持って帰ることになったのです。

そうしてお祀りしたのが善光寺のもとになっているというのです。

そんな言い伝えがあるのです。

善光寺にまつわることわざとして、
「牛にひかれて善光寺参り」

というのがあります。

『広辞苑』には

「(長野の善光寺の近くの不信強欲の老婆が、さらしておいた布を隣家の牛が角にかけて走ったのを追い、知らぬうちに善光寺に駆け込んで霊場であることを知り、後生を願うに至ったという伝説から)ほかのことに誘われて偶然よい方に導かれるのにいう。」と解説されています。

この牛が実は観音さまだったと説かれることもございます。

観音さまのお寺もたくさんございます。

観音さまは、観世音菩薩とも観自在菩薩とも訳されている菩薩さまであります。

梵語ではAvalokiteśvaraで、

「観察することに自在な者」という意味です。

観音と訳しうる原語もあったと言われています。

音を観ると訳したのも絶妙だと思います。

声を観るのであります。

言葉ではいろんなことを言えますが、声をごまかすことはできません。

言葉では「だいじょうぶです」と言いながらも、その声は助けを求めていることもあります。

言葉では「けっこうです」と言いながらも、声は救いを求めていることもあるものです。

その音を観る、声を観るということはとても奥深いものであります。

母親は赤ん坊の声を聴いただけで、何を求めているかが分かるのでありましょう。

母は観音さまであります。

清水寺のご本尊は千手観音様であります。

千本の手については坂村真民先生の「手が欲しい」という詩があります。

手が欲しい

目の見えない子供の描いた
お母さんという絵には
いくつもの手がかいてあった
それを見たときわたくしは
千手観音さまの実在を
はっきりと知った 
それ以来あの一本一本の手が
いきいきと生きて
見えるようになった
異様なおん姿が
少しも異様でなく
真実のおん姿に
見えるようになった
ああ わたくしも手が欲しい
ベトナム・パキスタンの子らのために
インド・ネパールの子らのために

相手の声をよく観て、手を差し伸べて上げてほしいと看護学部の方々に、観音様の心をお話したのでした。

 
横田南嶺

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