変わらざるもの
いつも小川先生は、『宗門武庫』の講義をしてくださいますが、今回は特別に『臨済録』の一節を講じてくださいました。
これはその前の月に私が講義を担当した一節でありました。
私の拙い講義を聴いてくださっていた小川先生が、その講義を聞きながらお気づきになったことがあると教えてくださいました。
もう少しその内容を教えてもらいたいとお願いしたところ、今回の講義となったのでした。
話の初めに小川先生は、先日の円覚寺夏期講座のことに触れてくださいました。
その夏期講座で、私が長嶋茂雄さんの名言を紹介したのでした。
そのほんの数日後にお亡くなりになったのでした。
私が紹介したのは、長嶋監督が還暦をお迎えになった時の言葉です。
「はじめての還暦で」とおっしゃったと伝えられています。
おもしろい表現であります。
そのあとの言葉もあるのだと小川先生は教えてくださいました。
「しかも年男です」と言ったというので、皆で笑ったのでした。
そのあと、小川先生は、この言葉には深いところがあって、お互いの人生生老病死の体験は皆初めてのものだとお話になっていました。
長嶋さんの名言として有名なのは、なんといっても
「我が巨人軍は永久に不滅です」という言葉です。
私もまだ小学生でしたが、この言葉を覚えています。
この言葉にも表れているように、人は不滅なるものを求めるものであります。
生者必衰は世の習いです。
人は誰しも死を迎えます。
永遠なるものなどはない、常に遷り変わるのだというのが、「無常」という真理であります。
その無常なることを説かれたのがお釈迦様の教えでありました。
偉大なる師であったお釈迦様もお亡くなりになるのです。
しかし、人間は滅びないものを求めるのであります。
変わりゆく世の中にあって、変わらざるものを求めます。
お釈迦様はお亡くなりになったけれどもお釈迦様の悟られた真理は不滅であると説かれるようになりました。
「無常」であるという真理は変わることはないというのです。
その真理を「法」と名付けました。
「法性」という言葉で表現したりしました。
姿も形もないものであります。
言葉で表現することもできないものです。
その「法」に身体の「身」をつけて、より具現化して説かれるようになりました。
それが「法身」であります。
この「法身」は不滅なのであります。
お亡くなりになったお釈迦様というのはあくまでも肉身であって、法身は不滅なのだと説くようになったのでした。
その「法身」を更に具現化して、ビルシャナ仏などとも説かれるようになってゆくのです。
さて、その「法身」を禅では、「本来の自己」とか「仏心」とか表現するようになりました。
現実の自己は生まれ老い病になってやがて死を迎えます。
しかし、本来の自己は生まれることも死ぬこともないのであります。
そこを盤珪禅師は「不生の仏心」と説かれました。
仏心はいつ生まれたということもないのです。
ですから滅びるということもありません。
その仏心とは何か、今この話を聞いているあなた自身のことだと説いたのが、馬祖禅師や臨済禅師でありました。
盤珪禅師も長年の修行の結果まったく同じ結論に到っています。
この変わらざるもの、滅びないものを神となづけ、我々とはかけ離れた存在とみて、私たちはその存在を信じて生きると教える宗教もあります。
しかし馬祖禅師の教えでは、本来の自己、仏心がそのままこの現実の自己として現れているのだと説いています。
そこで仏とは何かと問われたら、あなた自身の心だと答えたのでした。
この場合の仏というのは、法身であり変わらざるものであります。
紀元前に生まれた亡くなった釈迦牟尼のことではないのです。
その不滅の仏心は、あなた自身の心だというのです。
そのことを気づかせるために問答をしたのでした。
この心が仏であるといっても分かりませんという者に対しては、その分からないといっている心が仏心なのだ、仏なのだ、変わらざるものなのだと示したのでした。
その仏心は、私たちの目でものを見たり、耳で聞いたり、歩いたりしている、この現実の自己のはたらきとして現れていると示したのです。
これが馬祖禅師や臨済禅師の教えであります。
それに対して石頭禅師の系統では、この現実態の自己とは別次元に本来の自己を見いだそうとしました。
そうかといって、現実の自己を離れてあるのではありません。
小川先生は「唐の馬祖系の禅が本来性(仏性、法身)の自己と活き身の現実態の自己(五蘊身)とを無媒介に等置するのに対し、石頭系の禅はその両者を、二にして一、一にして二、という玄妙な不即不離の関係として捉えようとした。」と解説してくださいました。
その二つの系統の流れがよく分かる問答して、『臨済録』の一節を小川先生が講義してくださったのでした。
岩波文庫の『臨済録』にある入矢義高先生の現代語訳を引用します。
「ある日、共同作業の時、師はうしろについていた。
黄檗は振り返って、師が手ぶらでいるのを見て問うた、「鍬はどうした。」
師「或る人が持ち去りました。」
黄檗「こちらに来い、そなたと談義しよう。」
師が近寄ると、黄檗は鍬をさし上げて言った、「こいつばかりは天下の何ぴとも持ち上げ切れぬぞ。」
師はその手から鍬をひったくり、ぐっとさし上げて言った、「どうしてこんどは私の手にあるのでしょう。」
黄檗「今日は、大した仕事師がおるわい。」そう言って寺に帰った。
後に、潙山が仰山に問うた、「黄檗の持っていた鍬がどうして臨済に奪われたのか。」
仰山「『悪党は小人だが、知慧は君子以上』というものです。」」
という一節であります。
ここで書かれている師とは臨済禅師のことです。
臨済禅師が鍬も持たずに来たというのは、本来の自己は耕すことも食べることもしない法身であることを現しています。
現実の自己が鍬を持って耕すということを示しています。
それに対して黄檗禅師は、「こちらに来い」と言います。
これはこちらに来いと言われて思わず進みでるはたらきこそが本来の自己そのものだと示そうとしています。
そこで黄檗禅師は鍬をぐっと差し上げました。
原文では「竪起」であります。
これも本来の自己のはたらきを現しています。
「こいつばかりは天下の何ぴとも持ち上げ切れぬぞ。」という黄檗禅師の言葉に対して、臨済禅師は、「その手から鍬をひったくり、ぐっとさし上げて言った、「どうしてこんどは私の手にあるのでしょう。」と言ったのでした。
臨済禅師もまたその鍬を手にして「竪起」するというはたらきを現してしまいました。
本来の自己と別だと示しながらも、黄檗禅師のお示しによって、おのずと本来の自己のはたらきを現実の自己の上に於いて現しているのです。
それで黄檗禅師も「今日は、大した仕事師がおるわい。」と言われたのでした。
この問答を解説されて、小川先生は、
「本段は、表層の意味と深層の意味との二重奏になっている。
表層の意味としては、普請をサボる臨済を黄檗が巧みに問答に釣り込んで、まんまとクワを手に取らせ、普請に引き込んだという話」です。
そして「深層の意味としては、臨済が立てこもろうとした石頭禅ふうの「本来人」の観念を崩し、臨済を馬祖禅の「作用即性」説に引き戻したという思想的な話である。」ことを示してくださいました。
その黄檗禅師のはたらきを「悪智慧ながら臨済よりも一枚上手」と評されていると解説してくださいました。
「知慧は君子以上」というのは臨済のはたらきを讃えたものとされていますが、黄檗のはたらきだとされたのが新しい解釈でありました。
私などはあらかじめ伝統の解釈を学んで、それが頭にすり込まれていますので、なかなかそれ以上の解釈はできないので、小川先生のご講義を拝聴してとても新鮮な思いがしたのでありました。
一見するとなんでもない問答のように見えますが、禅思想史の流れからみると、とても奥深いものだと分かります。
そして、新たな知見を得ることはよろこびでもあります。
横田南嶺