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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.05.25
今日の言葉

瓢箪なまず

「瓢簞で鯰を押さえる」という言葉があります。

『広辞苑』には、

「とらえどころのないさま、要領を得ないさまのたとえ。」
と解説されています。

「瓢簞鯰」という場合もあります。

「ひょうたんで鯰を押さえる」を名詞化した語。つかまえどころがないもの。」

という意味であります。

瓢箪鯰というと、なんといっても妙心寺山内の退蔵院にある「瓢鮎図」が有名であります。

「瓢鮎図」の「鮎」という字は、鯰と同じです。

これは「如拙の水墨画。

将軍足利義持の命により、瓢簞で鮎なまずを押さえるという禅の公案を描く。

大岳周崇ほか30人の禅僧の賛を伴う。1415年(応永22)以前の作。妙心寺退蔵院蔵。」

と『広辞苑』に解説されています。

如拙は、「室町前期、応永(1394~1428)頃の京都相国寺の画僧」です。

日本における水墨画の開拓者の一人であり、周文の師であります。

この周文に学んだのが雪舟であります。

雪舟についても『広辞苑』に、

「室町後期の画僧。

諱は等楊。備中の人。

早く相国寺に入り、春林周藤について参禅し、画を周文に学んだ。

1467年(応仁1)明に渡り、水墨画技法を学ぶとともに、大陸の景観からも啓示をうけ、69年(文明1)帰国。

周防山口に住み、その庵を雲谷庵と称す。

宋・元・明の北画系の水墨画様式を個性化し、山水画・人物画のほか、装飾的な花鳥画をもよくした。」

と解説されています。

瓢鮎図には三一人の禅僧の讃が書かれています。

そのはじめに、大岳周崇の序文があります。

そこには、

「高く雲に翔(か)ける者は矰繳(そうしゃく)を以て之を罥(からめと)り、深く水に泳ぐ者は網罟(もうこ)を以て之を致す、乃ち漁猟の常なり。

夫れ虚閎(きょこう)円滑の瓢を以て、無鱗多涎の鮎魚を、泱々たる泥水の中に捺住(なつじゅう)せんと欲す、豈に復(ま)た得可(うべ)けんや 」

と書かれています。

芳澤勝弘先生の『「瓢鮎図」の謎』(ウェッジ)には、次のように訳されています。

「空を飛ぶものはイグルミでからめとり、水中を泳ぐものは網でとらえる。

これが漁や猟の常法である。

中がうつろで丸くコロコロした瓢箪で、鱗がなくネバネバしたナマズを深い泥水の中で抑えつけることなど、いったいできるであろうか。」

という意味であります。

そのあと更に

「将軍さまは僧如拙に命じて、この新しいテーマを座右の屏風に描かせ、禅林の諸和尚に、それぞれ著語を付けて、そのこころを述べさせられた。

ここに深い趣があろう。

わたくし周崇は非才をも顧みず、軽々しくも冒頭に四言四句を題するものである」というのであります。

その四言四句とは、

活手段を用いて、瓢も鮎も捺え留む。
更に妙を得んと欲せば、重ねて滑油を著けよ。

とあります。

芳澤先生は、

活き活きとした手段によって、
瓢箪でナマズを抑え留めようとする。
さらに絶妙の手を使うのならば、
そこにヌルヌルの油を塗るがよい。
(コロコロ、ネバネバ、ヌルヌル。抑えられるはずはない)」

と訳されています。

瓢箪でなまずをおさえるとは何を意味しているのでしょうか。

瓢箪は中身が無くて軽いものです。

われわれの分別、知識、常識、判断などをさしているかと察します。

なまずはとらえどころのないもの、空の世界、真理、真如を表しているかと察します。

『老子』のはじめに

「道の道とすべきは、恒の道にあらず。
名の名とすべきは、恒の名にあらず。」

という言葉があります。

これが「道」だと言葉で捉えてみてもそれは恒の道ではありません。

名前などは名付けただけで、それが恒の名であることはないのです。

如拙という言葉も『老子』にあります。

大巧は拙なるが如しというのです。

「大成は欠けたるがごとく、その用つきず。
大盈は沖(むな)しきがごとく、その用きわまらず。
大直は屈するがごとく、大巧は拙なるがごとし」

というのです。

真にすぐれた巧みさは、一見すると拙(つたな)く見えるという意味です。

この「大盈は沖(むな)しきがごとく」から名前になっているのが「若冲」であります。

「大盈は沖(むな)しきがごとく、その用きわまらず。」

大いに満ちたものはまるで空(から)のように見えるが、その働きは尽きることがないということです。

大道という言葉にならぬものを、あれこれ言語で表現しようとしてもうまくはゆかないものです。

それこそ瓢箪でなまずをおさえるようなものであります。

若冲は、江戸中期の画家です。一七一六年に生まれて一八〇〇年に亡くなっています。

若冲と深い縁があったのが相国寺の大典禅師であります。

大典禅師については『禅学大辞典』に

「顕常。臨済宗。字は大典。梅荘と号し、また蕉中、北禅とも号した。

生国は近江(滋賀県)。京都相国寺の学僧で、出家して佛乗に涉り、儒典を宇野明霞の門で受け、経史に通じ、文章詩歌に巧みであった。

天明元年幕府の命により対島に到り、日韓応酬の文書を掌った。享保元年三月八日示寂。世寿八三。」と書かれています。

一七一九年に生まれて一八〇一年に亡くなっていますので、若冲とほぼ同時代の方です。

 
横田南嶺

瓢箪なまず

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