坐禅の否定から肯定へ
禅文化研究所発行の『馬祖の語録』から、入矢義高先生の現代語訳を引用します。
「潭の惟建禅師が、ある日、法堂の後で坐禅していた。
馬祖はこれを見て惟建の耳に二回息を吹きかけた。
惟建は禅定より目を覚まし、馬祖であるのを見ると、また再び禅定に入った。
馬祖は方丈に帰ると、侍者に一腕の茶を惟建に持たせてやった。
しかし惟建は目もくれず、さっさと僧堂に帰っていった。」
という話であります。
入矢先生は、細かく註釈をつけてくれています。
まずこの話に登場している「潭の惟建」については、生年不明であり、「この人についても、この則以外なにもわからない」と書かれています。
そしてそのあと、
「この話から、すぐに次の二つの話が思い起される。」
というのです。
その二つの話は、まず『馬祖の語録』のはじめの方にある「磨磚作鏡」の話です。
こちらも入矢先生の現代語訳を参照します。
「唐の開元年間、衡岳の伝法院で坐禅を修した時、譲和尚に出会った。
南岳懐譲は法器と知って問うた、
「大徳、坐禅してどうするつもりかな」。
師は答えた、「仏になるつもりです」。
すると懐譲は瓦を一枚取って、馬祖の庵の前で磨きはじめた。
師が云った、 「瓦を磨いてどうするのですか」。
懐護が云った、「磨いて鏡にするのだ」。
師が云った、 「瓦を磨いて鏡になんぞなりますまい」。
懐譲が云った、 「瓦を磨いても鏡にならぬからには、坐禅しても仏になれるものか」。
師が云った、 「どうすればよろしいでしょうか」。
懐護が云った、 「牛に車を引かせる時、車が進まないなら、車を打てばよいかな、牛を打てばよいかな」。
師は答えられなかった。
懐譲はまた云った、 「そなたはいったい坐禅を学ぶのかな、それとも坐仏を学ぶのかな。
もし坐禅を学ぶのであれば、禅というのは坐ることではない。
もし坐仏を学ぶのであれば、仏というのは定まった姿をもってはいない。
定着することのない法について、取捨選択をしてはならない。
そなたがもし坐仏すれば、それは仏を殺すことに他ならない。
もし坐るということにとらわれたら、その理法に到達したことにはならないのだ」。」というものです。
もうひとつは、『臨済録』にある話です。
こちらは岩波文庫の『臨済録』にある現代語訳を引用します。
「師が僧堂の中で居眠りしていた。
黄檗がやって来て、それを見ると、拄杖で木版を一打ちした。
師は頭を挙げて、それが黄檗であると知ったが、また眠った。
黄檗は、木版をもう一打ちしてから、上の席の方へ行って、首座が坐禅しているのを見て言った、
「下の席の若僧がよく坐禅しているのに、お前はここで妄想ばかりしているとはなにごとだ。」
首座は切り返した、
「このおやじめ、なにをつまらんことを!」
黄檗はまた木版を一打ちして立ち去った。」
という話であります。
「木版を打つ」と訳されていますが、僧堂内の坐位の板という説があります。
入矢先生は註釈で「臨済が却って睡った意と、惟建が却って復た定に入った意は、同じと見てよいであろう。」と書かれています。
臨済の話は馬祖禅師がお亡くなりになってずっとあとのことですが、馬祖禅師と南嶽禅師との問答については、この「惟建は馬祖のこの機縁を知っていたらしい」と入矢先生は推察されています。
馬祖禅師が惟建禅師の耳に息を吹きかけたのは、南嶽禅師から言われた「禅というのは坐ることではない」ということを示そうとされたのでしょう。
「もし坐仏すれば、それは仏を殺すことに他ならない」からです。
馬祖禅師も臨済禅師も、形だけの伝統的な心を静める坐禅を否定されています。
しかし、惟建禅師はそのことを承知の上で更に坐っていたのでした。
坐禅は形ではないと心得ていた上で、形ではないことにもとらわれていないというところでしょうか。
たとえて言えば、お茶というのは、もともとはお湯を沸かしてお茶を飲むだけのものでした。
「茶の湯とはただ湯をわかし茶を点たててのむばかりなることと知るべし」
という『利休道歌』がございます。
お茶がお手前や作法という形にとらわれてしまうと、お茶の本質を見失ってしまいます。
この『利休道歌』のように、作法などにとらわれるのではなく、大事なもとを知るべきであります。
しかしそのとらわれないことにまたとらわれてしまうことも問題であります。
とらわれるべきではない、そのおおもとをしっかりと心得た上で、現実にはやはり手前の作法がありますので、その作法をきちっと守るのであります。
とらわれないことにもとらわれずに、淡々と作法に則ってお茶を点てるのであります。
坐禅が形だけにとらわれて、その形だけを守ろうとしては問題であります。
しかしとらわれないことにとらわれてしまって、ただ自由気ままに暮らすのでは、また問題であります。
形ではないと十分心得た上で、なお坐禅をするのです。
それは坐禅の形だけを真似するのではなく、坐禅の本質を心得た上での坐禅でなくてはなりません。
形から入ったとしても、おのずとそのような形になる坐禅というのでしょうか。
私もかれこれ五十年来坐禅に取り組んできました。
はじめはなにも分からずに、足の組み方を教わり、手の組み方を教わり、その形を守ってやってきました。
でもある時期から、こんな形だけを守って我慢するのが禅なのかという疑問を持ちました。
臨済禅師が語録に説かれているような自由な世界に憧れました。
白隠禅師が「動中の工夫は静中の工夫に勝ること百千億倍」と仰せになった言葉に心引かれました。
あえて形だけの坐禅などすることはないのではと思ったこともありました。
しかしずっと探求してきて、この頃になってようやく坐禅という形がいかによく出来ているのかを実感できるようになりました。
結跏趺坐という座法の素晴らしさも分かるようになりました。
これなどは敢えてイス坐禅の研究をしたおかげで気がついたものです。
法界定印という手の組み方もどうしてそのようになったのかが腑に落ちてから素晴らしいと感じるようになりました。
そこで坐禅の形を守ることから始めて、途中で坐禅は形ではないと気がついて、更に今はその形に安住しているのです。
惟建禅師という方がどの程度の御修行だったのかはこの問答だけではわかりませんが、私は自分の修行を顧みてそんなことを思います。
横田南嶺