身心を投げ放つ
朝始発で出かけて、午前9時から禅文化研究所で、YouTubeを三本撮影しました。
墨蹟紹介を毎月行っていますが、今回は盤珪禅師の書を取り上げました。
禅文化研究所所蔵の盤珪禅師の一幅を拝見しました。
直に拝見すると、とても迫力があります。
書に接するだけで、これだけの迫力がありますので、実際にこのような方にお目にかかったらどんな感じがするだろうかと想像します。
そして山田無文老師の『般若心経』の解説を二本撮影しました。
禅文化研究所は花園大学の構内にありますので、そのまま総長室に移って待機します。
そのあと基礎禅学の講義をしました。
午後は妙心寺に移動して、妙心寺派の管長山川宗玄老師にお目にかかってご挨拶を申し上げました。
山川老師は、私が初めて参禅した興国寺のご住職をおつとめにもなられた方でいらっしゃいます。
私が参禅した目黒絶海老師もよくご存じで、はじめはそんな昔話に花が咲きました。
その日の夕方からは花園禅塾に行って坐禅のための体操の指導をしました。
やはり今の方は股関節が硬い人が多いのです。
坐禅をするには足を股の上にあげないといけません。
股関節がよく開くことが必要で、股関節の可動域があまりないのに無理に足を股の上に上げようとすると、膝をねじってしまい、膝や足首を痛めることになります。
股関節も昔はでこぼこ道や、岩のあるところをよじ登ったり或いは木登りをしたりすると、いろんな方向に股関節を動かしていたのでした。
元来股関節はいろんな方向に動くことができて、可動域がとても広いのです。
ところが現代の暮らしは、舗装された平坦な道を歩くことが多くなってしまい、股関節の動きも限られてしまっています。
まだ畳の上に直に坐ると股関節もよく使いますが、イスの暮らしになると股関節を開くことはほとんどありません。
そこで坐禅をするのに股関節がよく動くようにと工夫をします。
股間節を動かすといってもいきなり股関節にはゆきません。
まずは末端からで、手の指からほぐしてゆきました。
そして肩や首をほぐしてゆきます。
全身の関節はなんらかの影響を与え合っています。
全体をほぐしてゆかないと、股関節だけというのは難しいのです。
手の指、首、肩のあとは、ようやく坐って、今度は足の裏、足の指を動かしてゆきました。
足の指と股関節も連動しています。
足首を回し、足の指を一本一本回してゆきます。
そうして関節をよく動かしてゆきます。
そのうえでようやく股関節の運動を行いました。
ストレッチのようにする場合もありますが、今回は動きながらほぐしてゆくやり方で行ってみました。
そして私がいつも坐禅の前に行っている股関節を動かす方法を伝えました。
それから膝をねじらずに足を組む方法をお伝えしました。
昨年も指導させてもらっていますので、二年目の方はかなり足がよく組めるようになっていました。
一年間禅塾でよく頑張っているのがわかります。
昨年はたいへんだった学生もよく坐禅ができるようになっているので、聞いてみると昨年教えた股関節の運動を毎日やっているのだと言ってくれていました。
有り難いことです。
毎日の地道な努力で体が変わってゆきますし、坐禅が安楽になるものです。
若い人たちに指導させてもらうのは有り難いことであります。
こちらも元気をいただくことができます。
京都で一日働いて次の日は、佐々木奘堂さんにお越しいただいて坐禅の指導をしてもらいました。
奘堂さんは今回冒頭で、ウィリアム・ジェイムズの言葉を紹介してくださいました。
ウィリアム・ジェイムズの「心理学」の「クセ(習慣)」の章から、
「唯一のクセが優柔不断であるような人間は、人類で一番みじめだ。」
「手応えのある固い大地を持たない人は、虚しいジェスチャー・メイキングの段階(舞台)を乗り越えることが決してできない。」
「アメリカ人は、歪んだ、醜い姿勢で坐っている。自分で恵みGraceを捨てている。これはアメリカの重大な国家的損害だ。」
という言葉であります。
優柔不断ではいけないのであります。
手応えのある固い大地で立つことが大事なのです。
「ジェスチャー・メイキング」とはこの世の中を生きるために、あれこれと手段を弄することを言うのでしょう。
坐禅でも意識的に腰を立てようとしたり、心を調えようとしたりするのは皆この「ジェスチャー・メイキング」にあたります。
坐禅している間は、人によく見られるように、姿勢を注意されないようにと腰を立ててよい姿勢を作ろうとします。
これは見かけはよい姿勢になっているようで、実際には坐禅が終わるとすぐに崩れてしまいます。
これが優柔不断なのです。
そこで奘堂さんは、
「人類で一番みじめなあり方を脱するために、どうしたら良いか?
「手応えのある大地の上で、端正に坐れ(正身端坐せよ)!」
ということに尽きるというのです。
そして、これまで「優柔不断」が唯一のクセであったけれども、どんな時でもこれだけはやっていこうと決意した初めてのことが、
「大地に手応えをもって身心(身命)を投げ放つ姿勢で生きる」ということを熱く語ってくれました。
そこで坐禅の実際を行いました。
まず手応えのある大地を踏んで立つということを何度も繰り返し行いました。
膝立ちが分かりやすいのです。
膝を痛めないように注意しながら立つのです。
身心を投げ放つのは五体投地です。
両膝も両手もそして額も大地に投げ放つのです。
そこから立ち上がるということを何度も繰り返し実習しました。
そうしていると、体が自然と調ってゆきます。
皆の姿勢もよくなっていくのであります。
いつもながら奘堂さんの気迫のこもった講義と実習を受けると、元気になるものです。
修行僧達もそれぞれ感じるところがあったようです。
有り難いことであります。
横田南嶺