何を届けているのか
そんな質問を若い修行僧たちにしてみました。
サービス業だと思うと答えた人と、サービス業ではないと答えた人とが半々くらいでありました。
これは、なかなかいい線をいっています。
そもそも「サービス」とは何でしょうか?
いつものように『広辞苑』でまずその意味を調べてみます。
「①奉仕。他人のために尽力すること。
「家族サービス」という用例があります。
②給仕。接待。
「サービスのいい店」「サービス料」
という用例があります。
③商売で値引きしたり、客の便宜を図ったりすること。
「付属品をサービスする」「アフター‐サービス」などの用例があります。
④物質的生産過程以外で機能する労働。用役。
「サービス産業」「介護サービス」」
という意味が書かれています。
かつてとある大寺院の要職にあった方とサービスについて語り合ったことがありました。
実際にはお寺では、寺の勤めがサービスだ言われると、抵抗があるのですが、私はサービスは大事だと常々思っていることを伝えました。
すると、その方は「お寺は高度なサービス業だ」と仰せになっていました。
そのとき「サービスという言葉の語源は何かというと、キリスト教におけるミサや法要のことを「サービス」と言うんです」と教えてくださいました。
たしかに調べてみると、公的な宗教礼拝の祝典という意味で使われたそうなのです。
「サービス業」というとまた意味合いが違ってきます。
『広辞苑』には、「サービス業」とは
「日本標準産業分類の大分類の一つ。
デザイン・著述・写真業・弁護士などの専門サービス業、学術・開発研究機関、情報サービス業、洗濯・理美容などの生活関連業、宿泊・飲食サービス業、娯楽業、廃棄物処理業、機械等修理業、物品賃貸業、広告業などからなる。」
と書かれていますので、お寺のような宗教教団は入っていません。
しかし奉仕や他人のために尽力することという意味のサービスを提供するということは、和尚さんの務めでもあります。
なんといってもお寺の和尚さんは、お寺での法要や儀式などを通じて、人々の心に安らぎを提供します。
これは、精神的な要求に応えるサービスと言うこともできます。
儀式だけではありません。
宗教的な知識や教えも提供しています。
法話やお説教などを通じて、仏教の教えを人々に伝え、精神的な指針となる教えを提供しています。
またお寺によっては、人生相談や悩み相談などに応じていることもよくあります。
カウンセリングにも似たこともいたします。
これらのことは、サービスということもできるでしょう。
お寺に見える方の要求にこたえてあげるように務めることは大事であります。
しかし、それだけではない一面もあるのは事実であります。
宗教の世界では、やはりその基盤に、和尚さん自身の修行や信心がございます。
これは必ずしも世間的な価値観と一致するものではありません。
そこで世間の方の要求に応えるという形だけではない一面もあるのです。
世間の流れに迎合することなく、ひたすら仏さまや祖師方の道を実践していくという大事な一面もあります。
むしろこれがおおもとになければなりません。
そのうえで、人さまの要望にもこたえることができるのです。
そいうわけでお寺の和尚さんの活動は、人々の精神的な救いを求めるという要望に応えるという点でサービスを提供していますので、サービス業としての側面も持っています。
修行や信心の世界というのは、世間的な価値観とは必ずしも一致しないこともありますので、単純にサービス業と分類することは難しいとも言えます。
そのように考察すると、半分は「サービス業」だと言え、半分はそうはいえないのだと、私は思っています。
そこで答えも半々になったというのは頷けるのであります。
ホテルは、宿泊や飲食などを提供してくれ、お客の要望にもこたえてサービスをしてくれるところであります。
ホテルで長年勤めてこられた方に先日いろんなお話をうかがうことができました。
円覚寺の日曜説教に通ってこられている方であります。
今年の正月の干支色紙をくじ引きで差し上げたところ、その色紙が当たった方であります。
その御礼の手紙をいただいたことからご縁が始まりました。
ホテルの御三家と言われる超一流のホテルで四十年近く勤めてこられた方であります。
多くの賓客をおもてなしされてきたのであります。
そんな貴重な体験をうかがいたいと思って勉強会を行ったのでした。
「接遇研修会」という勉強会であります。
「接遇」という言葉は聞き慣れないものです。
接客は、お客に対応して仕事をさばくこと、接遇はお客様のお役にたつことだというのであります。
ホテルは何を販売しているのか、こんなことを教えてくださいました。
それはいつも幸せをお届けしている「幸せ販売業」だというのです。
お客様に「楽しんでいただく」「喜んでいただく」「寛いでいただく」、そしてなんとかしてお客様に幸せになっていただく、その「お役にたつ」ことがホテルの仕事だというお話でした。
大事になされていることとして、笑顔で挨拶すること、30度のお辞儀、ゴミを拾うこと、お役にたつこと、教科書にかいていないことを挙げておられました。
笑顔で挨拶と30度のお辞儀を皆で実習しました。
挨拶は大事ですが、そのときの表情が大事だというのです。
30度のお辞儀を教わっただけでも有り難いことでした。
頭を下げるのではなく、お尻を後ろに引くようにするのです。
決して首を下に曲げないようにします。
首の後ろに物差しを入れているつもりでまっすぐにしたままお尻を後ろに引くと30度のお辞儀になります。
そうしますときれいなお辞儀になります。
これは私が研究している股関節の引き込みにも通じます。
ゴミを拾うことも実際に皆の前で示してくださいました。
腰をかがめて拾うのではなく、すっと片膝をついて自然に拾ってポケットにいれるのです。
ホテルマンの右ポケットは、ゴミ箱だとおっしゃっていました。
なぜホテルマンを続けているのか、それは心を込めて仕事をしていると、有り難うと言ってもらえる、それがとても嬉しいからだとおっしゃっていました。
こういう心は、お寺の和尚さんにも必要であります。
講義を受けて感じたのは、一流の現場で働いてこられた方のお姿は美しいということです。
その姿勢、表情、たたずまい、接しているだけで学ぶものがあります。
以前紹介した高見順さんの詩に、
「なにかおれも配達しているつもりで/今日まで生きてきたのだが/人々の心に何かを配達するのが/おのれの仕事なのだが/この少年のように/ひたむきに/おれは/なにを配達しているだろうか」とありますが、
お寺はお参りに来てくださった方に何を提供しているのだろうかと考えてみるとは大切であります。
サービスの精神は大事にしたいものです。
横田南嶺