岐阜にて法話
大興寺様は臨済宗妙心寺派のお寺であります。
先代の和尚様の時から、とても布教に熱心で、今も清水寺の森清範和上、曹洞宗の青山俊董老師、そして妙心寺派僧侶であり芥川賞作家でもある玄侑宗久先生などが毎年法話をされています。
現代の仏教界を代表する方々が法話をされているところに、どういうわけか私もお招きいただくようになってもう7年目であります。
七年も通っていると、一年に一回のことながら、つい先日のように感じるものであります。
またいつもお目にかかる方もいらっしゃってお顔も覚えるようになります。
その日は、岐阜は雨でありました。
四月の第一日曜日で、ちょうど桜が満開の時期であります。
花を催す雨は、落花の雨という言葉がありますが、同じ雨が花を咲かせもするし、また花を散らす雨にもなります。
雨のお寺というのも一層風情があります。
またその日は雨のおかげで華厳寺にもお参りさせてもらいました。
華厳寺は西国三十三番の札所であります。
三十三番の最後のお寺であります。
一番が私のふるさと那智山青岸渡寺であります。
華厳寺がまた素晴らしい境致にあります。
参道が実に立派で桜並木になっています。
お天気がよければ大勢の方が見えていて、混雑していて行けなかったと思います。
雨のおかげで道も空いていて、大興寺様にうかがう前にお参りすることができました。
歴史のあるお寺はその境内に身を置くだけでも清められものであります。
参道の途中ではいつもYouTubeを見てますと声をかけてくださる方もいらっしゃいました。
有り難いことであります。
そうしてお昼に大興寺様に到着しました。
幸いに、華厳寺様でも大興寺様でも傘をさすことはありませんでした。
いつも控え室に通されると床の間の軸を拝見するのが楽しみであります。
毎回趣向を凝らしたお軸を掛けてくださっています。
今回は円覚寺の今北洪川老師の書であります。
有り難いなと拝見しました。
和尚様から読み方を聞かれました。
そして出来れば箱書きを頼まれました。
その場で読めなければ、お預かりして箱書きすることになりますが、しばし眺めていて幸いに読むことができましたので、硯と墨をお借りしてその場で箱書きをしました。
書かれている言葉は『菜根譚』にある言葉でした。
『菜根譚』というのは『広辞苑』に
「儒教の思想を本系とし、老荘・禅学の説を交えた処世哲学書。2巻。
明末の儒者洪応明(字は自誠)著。
前集には仕官・保身の道を説き、後集には致仕後における山林閑居の楽しみを説く。」
と解説されている書物であります。
洪川老師がお書きになっていたのは、その『菜根譚』の冒頭の句であります。
「達人は物外の物を観(み」、身後の身を思う。
寧(むし)ろ一時の寂寞を受くるも、万古の凄涼を取る毋(なか)れ。」
という言葉であります。
洪川老師の書かれた書には、最後の「万古の凄涼を取る毋(なか)れ」の「取」という字が脱けています。
全文は、
道徳を棲守(せいしゅ)する者は、一時に寂寞(せきばく)たり。
権勢に依阿(いあ)する者は、万古に凄涼たり。
達人は物外の物を観、身後の身を思う。
寧ろ一時の寂寞を受くるも、万古の凄涼を取る毋れ。
という言葉であります。
松原泰道先生の『菜根譚を読む』には次のように訳されています。
「人として行うべき道理や真実を心の住処として守って生きる人は、ときには恵まれない寂しい逆境に見舞われることもあろう。
その反面には、時の権力者などにヘつらう者は、そのときは栄えるが長い年月の間には世間からうとんじられ、冷たい境遇に落ちよう。
真理を達観した人は、世間の外に真実を見つめ、自分の死後のことにも思いを致すものである。
それゆえに、仮に一時の寂しい不遇の時代はあっても、真理を守って、死後にそっけない批判を受けることのないように心すべきである。」
ということであります。
釈宗演老師の『菜根譚講話』にもはじめに説かれています。
「道徳に棲守するものは一時に寂寞たり」道徳を守って、これを自己の棲家とし、ここに安んじて居る君子は、兎角、一生涯を不遇の中に終りがちである。
昔者、釈尊は、身、一国の太子に生れながら、王位を捨つること弊履の如く、山林に隠れて難行苦行を積むこと六年、一旦無上の正覚に徹底せらるゝや、爾来、入滅に至るまで四十九年の間、衆生済度の為めに、南去北来、身を顧らるる暇がなかったのである。
孔子の如きも、また、席暖まる時なく、大義名分を唱えて天下を遊説せられたが、時にして、道容れられず、老脚嗟跎として一生を終えられた.
基督は十字架上に刑戮せられ、ソクラテースは牢獄にて毒殺せられた。
此等は其の一例に過ぎない。
古来幾多の志士仁人が、道を守って、迫害に遇い、困苦を嘗めたことは数え切れない程である。
併し乍ら、此等は一時の寂寞であって、其の道徳は、万古、世人の儀表と仰ぐところである。
これに反し、権勢威力に阿り諂う小人どもは、一時は世に用いられて栄華な生涯を送り得るが、而も終に万古に凄涼たりである。
其の身、一度没して誰れか復た其の名を口にする者があろうか。
寂寞も、凄涼も、共に物淋しい意であるが、寂寞は幽静にして床しく、多少、妙味があるに反し、凄涼は荒廃した悲惨の意がある。
従って、達人は物外の物を観、身後の身を思うのである。
達人とは、天地の道理に通達した人である。
物外の物とは、爵位とか金銀財宝とかいう水の泡の如き眼前の果なき物でなく、千古万古、絶対無くなるということの無い物である。
身後の身とは、現在、吾人が、我身と心得て居る此の身体ではないのである。
此の身体は、やがて死んで亡くなるものであるが、たとえ、此の身体は死んで亡くなっても、死なず亡くならない身体がある。
それが身後の身であって、即ち死後の名声である。
達人は、此の物外の物、身後の身に眼を書けて居るのである。
だから、生前は流離困頓、貧窮の中に終っても、万世に生命を保って居るのである。
人と生まれた以上は、此の万世不朽の生命を保つことに心掛けねばならぬ。
たとえ、一時の寂寞を受くるも、万古の凄涼を取ってはならない。」
と解説されています。
控え室で、そんな洪川老師の書の箱書きをしていると、ちょうど時間となりました。
法話は九十分、今回初めて唱歌の歌詞を題材にして法話をしてみました。
「村の鍛冶屋」と「灯台守」と「仰げば尊し」の三つの歌詞をもとに話をしました。
「村の鍛冶屋」の歌詞を紹介しながら、しばしも休まずせっせと働く勤勉の精神を話しました。
私の生まれた家はもともと鍛冶屋でありました。
しばしも休まず働いていた父の姿なども話しました。
「灯台守」で人のために火を灯す利他の心とエルトウールル号の話をしました。
最後に「仰げば尊し」で、仰ぎ敬うものを持つ暮らしの尊さを話しました。
お寺での法話ですので、お寺にお詣りして手を合わす、毎日仏壇に手を合わすという敬うものをもつ暮らしの尊さを話しました。
そしてこういう日本の伝統精神を大事にして、次の世代にも受け継いでゆきたいと話を結んだのでした。
終わってしばし私の本のサイン会をさせてもらいました。
署名をしながら、お話させてもらうもの楽しいものであります。
どうにか日帰りで無事に岐阜揖斐川での法話を終えて帰ることができました。
横田南嶺