降誕会
円覚寺では午前十時より、佛殿に於いて降誕会の法要を行います。
一時間ほどかかる儀式でありますが、どなたでもお参りすることができます。
降誕会は、灌仏会とも言います。
岩波書店の『仏教辞典』には、
「4月8日の釈尊の誕生を祝う仏事。
日本では種々の草花で飾った<花御堂>を作り、中に灌仏桶を置いて甘茶を入れる。
その中央に誕生仏を安置し、ひしゃくで甘茶をかける。
釈尊誕生のとき、竜が天からやってきて香湯をそそいだという話に基づくもので産湯に相当しよう。
宗派に関係なくどの寺院でも行う。」
と解説されています。
花御堂をたくさんのお花で飾り付けをします。
灌仏の桶は、円覚寺の場合、鎌倉彫の立派な桶がございます。
こういう桶も見所ではないかと思います。
誕生仏というのは、『仏教辞典』によれば
「釈迦は、摩耶夫人の右腋から生まれると七歩すすんで、右手を挙げて天を指し、左手を垂下して地を指し、「天上天下唯我独尊」と唱えたという。
この姿をあらわしたものを<誕生仏>という。
4月8日の仏生会(灌仏会)には、9頭の竜が幼い釈尊に水を注いだという九竜灌水の故事にならって水をかける。
中国などに両手を下げる誕生仏があるのは、この灌水の意義に基づくが、右手を挙げ、左手を下げるのが一般的。」
と解説されています。
『仏教辞典』には「正眼寺像(愛知県小牧市)は最も古い像」だと書かれています。
六~七世紀のものではないかと言われています。
奈良国立博物館に寄託されている国の重要文化財であります。
そんな古い時代からお釈迦様の誕生をお祝いしていたのでしょう。
天上天下唯我独尊についても『仏教辞典』には、
「世間において私が最も勝れたものであるの意。
生れたばかりの釈尊が7歩あるいて右手をあげ、この句を述べたと伝えられている(『大唐西域記』など)。
元来は過去七仏の第一である毘婆尸仏(びばしぶつ)が誕生した時、同趣旨の偈を説いたとされていたが、やがて釈尊が誕生した時、他の人々がそう称讃したという説が生じ、さらには釈尊自身が自ら唱えたと信じられるに至った。」
と解説されています。
七歩歩いて、右手で天を指し左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と仰せになったと伝えられていますが、三つの段階があると分かります。
はじめはお釈迦様ではなく遠い過去の仏さまである毘婆尸仏が説いて言われる段階。
第二に、お釈迦様が誕生なされたときに、周りの人が天にも地にももっとも尊い方がお生まれになったと称賛されたという段階、
そしてお釈迦様自らがそのように仰せになったと伝えられるようになりました。
雲門禅師の語録には、
擧す世尊初生下、一手は天を指し一手は地を指し周行七歩、目四方を顧みて云く、天上天下唯我獨尊と。
師云く、我當時、若し見ば、一棒に打殺して狗子に与えて喫却せしめ、貴ぶらくは天下太平を図らんことを。
という言葉があります。
もしも自分がそのお釈迦様がお生まれになって、天と地を指して天上天下唯我独尊と言われるのを見たら、そんな赤子を一棒で打殺して犬に食わせたものを、そうすれば、天下は太平であったのにという意味であります。
禅宗の祖師らしい表現であります。
大智禅師の偈頌に「仏誕生」と題した詩があります。
閻浮八万四千城
干戈を動ぜず太平を致す
瞿雲の白拈賊を活捉し
雲門一棒、虚りに行ぜず
というのです。
閻浮というのは人間の住む世界です。
この人間の住む世界には、八万四千の煩悩があるというのです。
それを何の武器も用いずに平和にするというのです。
普通ですと、修行して煩悩を滅して悟りを得ると言われますが、そんなことは必要ないというのです。
「瞿曇白牯賊」とは『禅学大辞典』に
「瞿曇は釈尊、白拈賊は白昼の盗賊。
釈尊が降誕のとき、天地を指し、天上天下唯我独尊と唱えて、四方を七歩あゆんだのは、驚天動地のできごとであり、平和な地上に波瀾を起す大盗賊の行為に等しいとみたのである。
しかしこの話の真意は白拈賊の語により、釈尊を賛嘆したもの。」
と解説されています。
昔雲門禅師はお釈迦様を打殺して犬に食わせてしまえとおっしゃったようだけれども、白昼堂々とスリをおこなうような盗賊、即ちお釈迦様を生け捕りにしたらいいのであって、わざわざ棒を振るうようなことはしないという意味であります。
余語翠厳老師は『道はじめより成ず』(地湧者)の中で、
「これはお釈迦さま一人の問題ではないのです。
仏誕生ということに託して大智禅師は何を言おうとしているのでしょう。
いろいろのことが考えられるわけですが、お釈迦さまは仏教を説かれた、キリストはキリスト教を説かれた、モハメッドはイスラム教を説かれたというように、いろいろな教えが説かれてきたわけです。
ところがいろんな教えができてきた後はどんなことになっているか。
もっと範囲を広げて考えてみると、人間の文化というのはどういうものなのか、文明とはどういうものなのか。
それをお釈迦さまに託して言ったと考えてみるとよくわかります。
具合悪いからといって叩きつぶしても仕方がない、そんな荒っぽいことをせずに生け捕りにしてよく吟味をしたらどうじゃと、大智さんはそう言っているのです。」
と説かれています。
それぞれの説かれ方があります。
なにもわざわざ棒を振るうようなことをマネすることもありません。
お釈迦様の降誕をお祝いして、心より甘茶を捧げるのであります。
横田南嶺