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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.04.04
今日の言葉

空の世界

先日の土曜日は冷たい雨となりました。

その前の日までは暖かかったのですが、いっぺんして寒いと感じる日となりました。

桜の花が咲き始めていて、平日でも多くの参拝の方が見えるのですが、冷たい雨の日となってしまい、人もまばらとなりました。

そんな日の午前中は、親しくさせてもらっていた方の納骨の法要をおつとめしました。

そして午後からは近くの葉祥明美術館に法話に出かけました。

「近くて遠い」というのか、葉祥明美術館は円覚寺から歩いて数分のところにありますが、今まで入ったことはありませんでした。

調べてみると、私が鎌倉に来た頃に出来た美術館でした。

明月院というお寺の前の通りにございます。

修行僧の頃は、あのあたりをよく托鉢で歩いていました。

私たちのような修行の世界とはかけ離れた、いかにも品のいい、瀟洒な洋館が建っています。

葉祥明さんというお名前はよく存じ上げていました。

管長になってからも、前を通ることはあっても中に入るということがありませんでした。

葉祥明さんの著書も拝読していますので、一度訪ねてみたいと思いながら、今日まできてしまいました。

それがこのたび、ようやく中に入ることができました。

美術館の堀内館長からご依頼をいただいたのでした。

ただいま南智子さんの「沈黙の響き」という企画展が開催されています。

美術館によると、

「本展ではエッセイストの南智子がその沈黙の中からすくい取った物語3本に、シンプルな情景を描き続けてきた葉祥明がイマジネーション豊かに描き上げた珠玉の3作品を展示します。」ということであります。

南智子さんは鎌倉にお住まいの方で何度もお目にかかっています。

南智子さんのご縁で、このたびの法話となりました。

有り難いことであります。

一時間ほど前に美術館に着いてまずは館内の展示を拝見しました。

一九九一年に開館されたということですので、もう三十四年も続いています。

葉祥明さんは一九四六年のお生まれであります。

熊本出身の絵本作家であり、詩人でもあります。

作品を拝見していて、その絵がすばらしいのは言うまでもありませんが、その言葉がまた素晴らしいので感動しました。

詩人でもあるのだと感じ入りました。

もっと時間があれば、その絵に添えられている言葉を書き写したいと思ったのですが、そこまで余裕がありませんでした。

一番心に残ったのは、「母親というものは」という詩であります。

母親というものは
母親というものは無欲なものです
我が子がどんなに偉くなるよりも
どんなにお金持ちになるよりも
毎日元気でいてくれることを
心の底から願います

という言葉から始まります。

そして子供がどんな高価な贈り物をするよりも、優しいひと言をかければ十分すぎると詠っています。

それほど母親は無欲であることを詠っておいて、最後に

だから
母親を泣かすのは
この世で一番いけないことなのです

という言葉で締めくくられています。

母を思う心ほど美しく尊いものはありません。

この詩を読んだだけで葉祥明さんのひととなりがよく伝わってきます。

私の法話は
円覚寺 横田南嶺管長が語る
「沈黙の響き〜人生と仏の教え〜」

という演題をいただいています。

そこで空の世界について語るようにしました。

はじめに最近の話題で金時山に登った話をしました。

それもはだしで登ったことを伝えました。

はだしで登ったというと皆さん声をあげて驚かれていました。

そして靴を履いて怪我もしにくくなり便利になって遠くまで歩けるようになったけれども足の裏の繊細な感覚を失ったことを話しました。

とても皆さん興味を持って聞いてくれていました。

そこから得るもの、失うものの話に展開してゆきました。

印刷の技術が発展して、本を書き写す根気を失ったこと、文字に書くことを得て、すべての言葉を暗記する能力を失ったことなどを話してゆきました。

そして言葉の問題に触れるようにしました。

言葉を使うことによって、得たものはたくさんあります。

抽象的な概念や複雑な思考を表現できるようになりました。

その言葉によって共有できるようになりました。

過去の経験や知識を言葉で伝え、蓄積することで、文化を発展させてきました。

それから言葉によって物語を作り、詩や歌など、芸術を生み出しました。

法律、政治、経済など、社会の仕組みも言葉のおかげです。

しかし、失ったものもたくさんあります。

五感を通じた直接的な経験や感覚がうすくなりました。

微細な音や匂い、光の変化などを感じ取る能力が減りました。

夕空といってもいろんな色合いがありますが、それを同じ「夕空」という言葉にしてしまっています。

直感や本能的な判断力が衰えてしまいました。

言葉がなくても身振り手振りで伝えることができますが、そんな能力が退化しました。

そして言葉を使うことによって強い自我意識を持つようになり、外の世界を差別し区別するようになったのです。

差別の世界だけに生きていると息詰まってしまいますので、時に差別のない世界、言葉のない世界、沈黙の世界に触れることが大切だと話をしました。

南智子さんの『沈黙の響き』にこんな言葉があります。

ひょっとすると ひょっとして この宇宙は
万物ともに 仲良く 繋がって生きていこうと
互いに支え合い 互いを認め合い
譲り合い 許し合いながら生きていこうと
私利私欲我欲を捨てて
“献身” に
日々いそしむ 勇敢な魂と
いつまでも触れ合い どこまでも 共鳴し合っていたいと
内在するその想いの丈を常に波動でこの星に語り掛け
さとし続けているのかもしれないと」

という言葉を終わりに紹介させてもらいました。

そのあと私の『パンダはどこに』と『はじめての人におくる般若心経』の本のサイン会をさせてもらいました。

冷たい雨の日でしたが、心あたたまるひとときとなりました。

 
横田南嶺

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