はだしで登る金時山
神奈川県にある標高一二一三メートルの山であります。
毎年のように伊勢原にある大山には登っています。
大山は一二五二メートルですから、ほぼ同じくらいの高い山であります。
なかなかこの頃は、日程表をみても空いている日がほとんど無くなっているのですが、どうにか登山をしてきました。
修行僧達も皆連れて登ります。
もっとも修行僧達は、全員登るということではなく、あくまでも希望者が登るようにしています。
それでも体調の悪い者以外は皆登っています。
やはり山に登るというのは楽しいものです。
その日はいい天気でありました。
これなら富士山も拝めるかなと思いましたが、その日は黄砂が飛んで、拝めたものの、かすんで見えていました。
公時神社から登るコースで行きました。
そして今回は、なんとはだしで登ったのでした。
今回は、いつもお世話になっている井上欣也さんに一緒に登ってもらいました。
井上さんのおすすめではだしにしたのでした。
井上さんは、よくはだしで登られるそうなのです。
私もかつて近藤瞳さんの地球ワークで、はだしで六国見山に登ったことがありました。
六国見山は、一四七メートルの円覚寺の裏山です。
高くもない山でしたが、はだしで登ることでずいぶんといろんな発見があったのでした。
そんな経験もあるので、はだしで登ることの効果があると分かっていました。
そこで、今回は千メートルの山をはだしで登ってみたのでした。
こういうことも井上さんとの出会いがなければ出来なかったことです。
あらためて出会いに感謝します。
もっともはだしで登るというと、危険も伴いますので、あくまでも希望者のみはだしでいうことにしました。
修行僧ですから、足にひび割れがあったり、傷口があると、ばい菌が入る可能性がありますので、そういう場合はだしにはならない方がよいのです。
また嫌だなとか、ためらないながらはだしになるとけがをする危険もありますので、無理にすることではありません。
はだしで歩くって、どんなだろう、おもしろうそうだな、やってみようかなという気持ちになる人がはだしになって登ったのです。
その結果、ずいぶんいろんな発見があったのです。
これもみんなでやらないとできないと思います。
まずはだしで歩くことは、変な人のように見られます。
ひとりでは難しいです。
はじめに公時神社にお参りして、井上さんから簡単な登山の歩き方を教わりました。
とくにはだしで登るときの登り方は参考になりました。
足を居着かせないというのです。
すっと股関節をひくようにして歩きます。
抜き足差し足の感じであります。
そうしてはだしで地面を踏む衝撃を和らげているのです。
それから坂を登る時の腰の角度、仙骨から歩くことなどを教わりました。
ちょっとした注意でずいぶんと楽に登れます。
さてそうしてワクワク、ドキドキしながらはだしで登山が始まりました。
クツを履いて登るのとはだしで登るのと、一番の違いは、なんといってもはだしでは足元を常に注意していることであります。
足をどこにおくかを一歩一歩確認しながら、安全を確保して足を置きます。
そのように一歩一歩丁寧に歩くことになります。
足の裏のいろんなところを刺激されてとても気持ちよくなってきます。
違和感や痛みがあるのはほんのはじめだけであります。
とにかく足をけがしないように一歩一歩着実に登ってゆきますので、気がついたら頂上に来ていたという感じであります。
一歩一歩に意識が向いているのです。
これは坐禅に近いものがあります。
坐禅も一呼吸一呼吸丁寧に行っていると、気がついたら終わっているようなものです。
頂上でおにぎりをいただくのは毎回感動します。
おにぎりと沢庵が最高のご馳走に感じられるのです。
それからしばらくして下山します。
おりるときは更に気をつけないといけません。
やはり一歩一歩丁寧にどこに足を下ろすか確認しながらそっとおりてゆきます。
そうしますと、結果は足が楽なのであります。
膝も全く痛めることがありません。
クツを履いて急いでおりたりすると、あとで膝がガクガクしてしまうことがあります。
翌日筋肉痛になったりすることもあります。
これはクツを履いていることに過信してしまって乱暴に歩いているのです。
はだしだとゆっくり丁寧に丁寧に一歩一歩足を下ろしてゆきますので、無理がないのです。
とても快適におりることが出来ました。
お天気もよかったので多くの登山者とすれ違いました。
たぶんほとんどの人には不思議な光景に見えたと思います。
声をかけられるのはわずかでした。
あまり接したくないというところかと察します。
なかには「お金がないのですね」と言われることもありました。
みすぼらしい姿に見えたのだと思います。
「はだしだ、すごい」と言われることもありました。
驚いたのは、はだしになって登ってくる青年がいたことです。
私たちのグループで先に行っている者がいましたので、そのはだしを見て、青年たちもマネをしていたのです。
はだしが気持ちよさそうに感じたのでしょう。
人間本来持っている感性だと思いました。
かくして無事登山を終えました。
驚いたのは、一番足が痛いと感じたのはふもとの舗装された道路なのでした。
クツを履いていると、舗装した道路が歩きやすく、山道は歩きにくいと感じますが、はだしだと全く逆なのです。
ゴツゴツした山道でもどこか安全な石などを探して登るので楽なのですが、舗装された道は逃げようがありません。
とても痛いのです。
人工物の痛さと自然の優しさを実感できました。
クツを履くことによって、けがが減って遠くまで歩くことができるようになったとは思いますが、その便利さによって失われたものもあると分かりました。
ともあれ井上欣也さんとの出会いがなければ出来なかったことなので、井上さんには感謝するばかりであります。
そういえば、金時山は金太郎伝説のある山です。
熊にまたがる金太郎さんは、はだしだったのでした。
ゆっくりとした歩みをはだしで実感しましたので、これからも一歩一歩着実にゆったりとゆきたいと思います。
横田南嶺