地獄はどこに
本来は仏心であるのに、貪りや怒り、愚癡という煩悩があり、尊い仏心をそのような愚かな心に変えてしまっているのだと説かれます。
盤珪禅師は貪りが餓鬼の世界を作り、怒りが修羅の世界を作り、愚痴が畜生の世界を作ると説かれています。
また「妬む悪念は地獄の縁」。妬む悪念が地獄を作り出す。
「ほしい惜しい等の欲念は餓鬼の縁」、欲しい、惜しいとの欲念が餓鬼の世界を作り出す。
「後を悔やみ前を思うは愚痴にて畜生の縁」、いつまでも済んだことを繰り返して悔やむのは、愚痴をこぼすようなもので畜生の縁だというのです。
天台宗では、地獄界から仏界までの10種の世界を<十法界(じっぽっかい)>(十界(じっかい))といいます。
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、声聞、縁覚、菩薩、仏の十の世界です。
地獄から天上までが六道です。
苦しみの世界です。
六道輪廻とも言います。
声聞から仏までが、四聖といいます。
十法界のそれぞれが互いに他を具足することを<十界互具>といいます。
お互いの心には地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、声聞、縁覚、菩薩、仏という全てをふくんでいるのです。
黄檗禅師のお説法を読み返していました。
『伝心法要』という書物です。
筑摩書房『禅の語録8伝心法要 宛陵録』にある入矢義高先生の現代語訳を参照します。
「師は説法の座に上がって申された「心こそが仏である。上は諸仏から、下はうごめく虫を始めとして凡そ有情の生きものすべては、みな仏性を具えていて、どれも同じ心の本体をもっている。
ゆえにダルマは西の国からやって来て、ただ一心の法のみを伝え、一切の衆生が生まれながらにして仏であり、修行を通じて仏となるのではないことを直示した。」
と説かれています。
これは馬祖禅師の教えを継承していることがよく分かる言葉です。
更に「要は今この時に己れの心を自覚し、己れの本性を看取することであり、決して他に求めてはならぬのだ。」
他に求めてはならないというのは、後に臨済禅師も繰り返し説かれたところです。
「己れの心を自覚するとはどういうことか。
いま現にものを言っているものが、まさしく君の心そのものなのだ。
もしものを言わぬとしたら、働きもないということになる。
心の本体はあたかも虚空のように姿かたちもなく、位置・方向もない。
といって、全く非存在なのではなく、存在していても見ることができぬものなのだ。」
いままさにものを言っているものが心だというのです。
臨済禅師は、今この話を聞いているものがそれだと示されました。
ともに馬祖禅師のこの生き身の自己のはたらきが仏であると説かれた教えであります。
しかし、「一切の衆生が輪廻転生するのは、対象にとらわれて思念し営為して、心は六道を経めぐりつつ停止することなく、かくて種々の苦しみを嘗める結果となるのだ。」
と黄檗禅師は説かれています。
そして「『浄名経』にいう、『教化しがたい人は、心は猿のように落着きがない。そこで幾つかの種類の法を用いてその心を制御し、その上で完全に心服させる』と。
だから〈心が生ずるとさまざまのものが生じ、心が滅するとさまざまのものも滅する〉わけである。
ということからもわかるように、一切のものはみな心が作るのであり、さては人間界や天上界や地獄や、六道や修羅なども、すべて心が作るものなのだ。
今なすべきことは無心を学んで、もろもろの因縁を一気に終止させ、妄想や分別心を起こさず、人我の考えをなくし、貪りも怒りもなく、憎しみも愛着もなく、勝つことも負けることもなくなることだ。
こうしたさまざまな妄想を除き去りさえすれば、自からの本性は本来の清浄さを顕現する。
それがとりもなおさずボダイの法を修め仏と等しくなる(?)ことである。」
と説かれています。
ここにはっきりと、六道はすべて心が作り出すものだと説かれているのです。
そこから黄檗禅師は
「もしこの意味が会得できねば、たとい広く学び刻苦修行し、木の皮を食い草を衣としても、おのれの心を自覚せぬ以上は、すべて邪まな所行というものであり、すべて天魔か外道か、川の神か土地の神になるのが落ちである。
こんな修行では、いったい何の益があろう。」
と示されています。
心は本来仏であるのに、対象にとらわれて貪欲や瞋恚を生じて迷いの世界を自ら作り出してしまうのです。
黄檗禅師は「意縁走作」すると表現されています。
教化しがたい人は心が猿のように落ち着きがないとも仰せになっています。
気に入らないことがあって、それにかっとなって腹を立てて我を忘れて心火逆上してしまっては地獄です。
餓鬼というのは、貪欲です。
どこまでも満足せずに欲しがる心です。
食べるもの着る物、貪欲になってもうこれで十分だと満足しないのが餓鬼の心です。
道理の分からない愚かな心が畜生であります。
「火の車作る大工はなけれども己が作りて己が乗り行く」という歌がありますが、まさしくそのとおりです。
横田南嶺