托鉢行
『広辞苑』にも「托鉢」は、
「修行僧が、各戸で布施される米銭を鉄鉢で受けてまわること。乞食こつじき。行乞。
禅寺で食事のとき、僧が鉢を持って僧堂に行くこと。」
という二つの意味が書かれています。
ここでお話するのは前者の意味であります。
岩波書店の『仏教辞典』には、
「僧侶が鉢を携えて町や村を歩き、食を乞うこと。
古くは<持鉢><捧鉢>あるいは<乞食(こつじき)>などと称した。
<托鉢>の語が用いられるのは、中国では宋代頃からである。
托鉢はインドの修行者の風習が仏教にとり入れられたもので、中国や日本の諸宗に伝えられ、特に禅宗では重要な修行のひとつとされている。
なお禅家では、鉢を手に持って、食事のために僧堂に行くことをも<托鉢>という。わが国では、略して<鉢(をする)>ということもあった。乞食、行乞(ぎょうこつ)。」と解説されています。
コロナ禍の間は托鉢もままならぬ時がありましたが、どうにか托鉢を行って暮らしています。
托鉢は頭陀行でもあります。
頭陀というのはどういう意味なのか『仏教辞典』には、
「原義は、ふるい落とす、はらい除くの意。」です。
そこから「煩悩の塵垢(じんく)をふるい落とし、衣食住についての貪り・欲望を払い捨てて清浄に仏道修行に励むこと。」
を言います。
そこで十二の頭陀行が説かれています。
「劉宋の求那跋陀羅(ぐなばっだら)訳の十二頭陀経によれば、
1)人家を離れた静かな所に住する、
2)常に乞食(こつじき)を行ずる、
3)乞食するのに家の貧富を差別選択せず順番に乞う、
4)1日に1食する、
5)食べ過ぎない、
6)中食(ちゅうじき)以後は飲物を飲まない、
7)ボロで作った衣を着る、
8)ただ三衣(さんね)だけを適当量所有する、
9)墓場・死体捨て場に住する、
10)樹下に止まる、
11)空地に坐す、
12)常に坐し横臥しない、の12項目である。」
というのです。
とても厳しい修行であります。
『仏教辞典』には
「また、この中でも特に僧が乞食托鉢して歩くことをさして<頭陀>ということがあり、その際に物を入れるために首から下げて携行する袋を<頭陀袋>という。」
とも解説されています。
私たち僧侶が首からかけている袋を頭陀袋と言います。
お釈迦様のお弟子に十大弟子と言われるすぐれた方々がいて、そのなかでも迦葉尊者はこの頭陀行において第一であると称せられていました。
私の好きな迦葉尊者の逸話があります。
第一書房の『仏弟子物語』から引用します。
「『摩訶迦葉度貧母経』によれば、大迦葉は行乞するに当って、常に富豪の家には行かず、求めて貧窮の家をおとずれたという。
それは貧者は何の楽しみもなく、ましてや法を聞いて布施する喜びも得ることができない愍れな人びとであるとの思いがその理由であった。
王舎城に一人の貧しい老婆がいた。
彼女は身寄りもなく、家もなく、街の裏にある塵溜場に住んでいた。
人が捨てる塵の中から、わずかな食物を口に入れては生きていた。
この日も近所の長者の雇人が、老婆のいる塵溜に米汁を捨てに来た。
老婆はこの汁を瓦の破片で受けてすすった。
大迦葉はこの老婆のところに行乞した。
しかし老婆は泣きながら、塵溜を家として病いに侵され、食べるものもなく、着る衣もなく、この乞食の私には、布施する心はあっても一物もないことを嘆き悲しんだ。
すると大迦葉は、
「布施する心のあるは貧乏人ではなく、慚愧の念ある者は法衣を着したるに等しい。
世に多くの財宝を持てる者あれども布施を知らず、慚愧の念を抱かず、これこそまさに極貧者というべきであろう。
さすれば老婆は貧者ではない」と説いた。
老婆はこの教えに接して大いに喜び、法雨に浴したことに歓喜して、思わず瓦の破片に残っていたわずかな米汁を両手をもって大迦葉に捧げた。
彼は快くこれを受けて一気に飲み干し、
「老婆よ、そなたはこの施しの功徳により、来世は必ず豪家に生まれるであろう」といったので、老婆の喜びは限りないものであった。
数日後、老婆はこの世を去ったが、大迦葉の言葉の通り彼女は忉利天に生まれ、天下って幾度も大迦葉の頭上に天華を散じたとされ、釈尊はこのことに関連して王舎城の竹林精舎に在られた時、一日、行乞の法につき説かれた。
「諸比丘よ、大迦葉の行乞の法を知っているか。かの比丘は、常に心をおさめて慚愧の念を懐き、形を改め、まるで新しく学ぶ人のようで、静かに心を配り、決して軽々に人の家に入ることをしない。
これぞまさしく行乞の法である」
と仰せられ、なおまた説き続けて、
「大迦葉は、欲も解き、恚を除き、愚痴煩悩を去って愛憎を滅し、常に着せず、縛られず、汚されず、他の家に入りて人を利すること、己を利するがごとし。
また卑下せず憍らず、人に功徳を施すこと常に哀愁の念をもってす」
とされ、大迦葉こそは、まさに教団における諸比丘の模範であると賞されたと説かれている。」
というのであります。
こんな話を読むと、心が震えるほど感動いたします。
禅宗はこの迦葉尊者をお釈迦様の後継者として尊崇しています。
こんな心で行うのが托鉢行であります。
先日は、円覚寺の修行道場の修行僧が久しぶりに遠鉢にでかけました。
遠鉢とは遠くまで托鉢にゆくことです。
普段は鎌倉市内や横浜から横須賀までを托鉢していますが、伊豆地方まで托鉢にでかけました。
伊豆地方には円覚寺派のお寺がたくさんありますので、そのお寺に泊めていただいて、伊豆の町を托鉢して回るのであります。
総勢十二名で遠鉢にでました。
遠鉢に出かけるときには、師家をはじめ僧堂に留守番をする者がみんなでお見送りします。
十二名もの修行僧が托鉢にでかける姿は壮観であります。
まだ二十代の青年がほとんどであります。
彼らがわらじを履いて、頭陀袋をかけて、網代傘をかぶって托鉢する姿は尊いものであります。
お見送りしながら、私も若き日のことを思い起こしていました。
遠鉢にでかけると、多くの方のお世話になって暮らしているのだと実感させられます。
自ずと頭が下がり謙虚な気持ちになるものです。
よい修行になります。
無事に帰って来られることを祈ってお見送りしました。
横田南嶺