鎌倉の祈り – 悲しみの雨 –
以前にも紹介させていただいた通り、東日本大震災からこの三月十一日に鎌倉市内の神道、キリスト教、仏教の諸宗教者が集まって共に祈りを捧げるようにしています。
会場は、神道、仏教、キリスト教持ち回りで、今年は神道の鶴岡八幡宮で行われました。
例年、この祈りに参列していますが、この日は寒いのであります。
特に鶴岡八幡宮の舞殿に上っておつとめするときには、強い風が吹いてくるものです。
その風と寒さに耐えながら、震災の日のことを思ったものです。
ところが今年は、比較的に暖かでした。
風も強くありません。
今年の追悼・復興祈願祭は、寒くなくお参りできるかなと思って出かけました。
曇ってはいたものの、まだ雨が降る様子もありませんでした。
それでも帰りには降るかもしれないというので、傘だけは用意してでかけたのでした。
八幡宮の社務所に神官の方々、キリスト教会の方々、そして私たち僧侶が集まって、そこから舞殿に向かって歩いてゆきます。
舞殿にあがると、2時46分に合わせて黙祷を致します。
わずかの時間でありますが、いろんなことが思い浮かびます。
黙祷のあとは、神道の方々がまず大祓の祝詞を奏上されました。
そして四方を清めて、この祈願祭の祝詞があげられていました。
神官の皆様は白の装束に身を包んでいらっしゃいます。
いかにも清浄な感じが致します。
神事に参列しているとこちらも身が清められる思いであります。
次が仏教の法要であります。
仏教の法要の場合、道師という役目がいります。
例年建長寺の老師か、光明寺の法主か、私かが順番に勤めています。
最近は光明寺様にお願いすることが多かったように思います。
今年は建長寺の老師も光明寺の法主様もご欠席でしたので私が道師をおつとめさせてもらいました。
禅宗式にはじめに七言絶句をおとなえしました。
大震災過ぎて十四年
殃難幾たびか、日東の辺を襲う
諸宗教者集いて祈祷す
国土清平、民晏然ならんことを
という偈を作って唱えました。
簡潔なものです。
意訳しますと、
東日本大震災から十四年が過ぎました。
その後幾たびもの災害がこの日本を襲いました。
今諸宗教者が集って祈祷します。
この国土が清らかで穏やかで、人々は安らかでありますように。
というところです。
そのあと法華経の中にある世尊偈と呼ばれる偈文を唱和して、普回向をおとなえして終わりました。
普回向は、
願わくはこの功徳を以て
普く一切に及ぼし
我らと衆生と
皆共に仏道を成ぜんことを
という短い言葉です。
法華経の化城喩品に出てくる偈文です。
訳しますと
願うところは、この読経や行を積んだ功徳を、生きとし生けるもの全てに手向け、私達と皆が共に仏の道を成就しますように。
という意味です。
これで全ての願いが込められているのです。
そのあとはキリスト教の各教会の代表の方々が祈りを捧げられます。
聖書の言葉も唱えられます。
「心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、
その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。」
という言葉が耳に入ってきました。
マタイによる福音書5章3節にある言葉で、イエスさまの山上の垂訓とか山上の説教と呼ばれる教えであります。
それから賛美歌が唱和されます。
いつくしみ深き 友なるイエスは、
罪とが憂いを 取り去りたもう。
こころの嘆きを 包まず述べて、
などかは下(おろ)さぬ、負える重荷を。
いつくしみ深き 友なるイエスは、
われらの弱きを 知りて憐れむ。
悩みかなしみに 沈めるときも、
祈りにこたえて 慰めたまわん。
いつくしみ深き 友なるイエスは、
かわらぬ愛もて 導きたもう。
世の友われらを 棄て去るときも、
祈りにこたえて 労(いたわ)りたまわん。
聞き慣れたメロディーです。
それから
あなたの平和の道具にしてください
主よわたしをあなたの平和の道具に
憎しみあるところに
あなたの愛があるように
悲しみあるところに
よろこびがあるように
というアシジの聖フランシスコの平和を求める祈りという歌が唱和されていました。
最後には主の祈りが捧げられました。
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり
地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を
今日も お与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
という言葉であります。
最後には浦安の舞が奉納されます。
昭和天皇の
天地(あめつち)の神にぞ祈る朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を
が神楽の歌詞となっているものです。
雅楽と共に巫女さんが舞をなされるお姿は神々しいものであります。
おわりに神道、仏教、キリスト教の代表者が神前に玉串を奉呈します。
そうして一連の儀式が終わります。
一時間半ほどの儀式であります。
儀式の途中には、雨が降ってきました。
雨が降ってくると、空気も変わって冷たい空気が流れてきました。
今日は暖かいと思っていましたが、やはり冷たい空気になりました。
冷たい雨は被災された方の悲しみの雨にも感じられます。
この日の毎日新聞の一面の見出しには、
福島 進まぬ帰還
居住人口 当時の17パーセント
と大きく書かれていました。
また同じ日には、大船渡山林火災が鎮圧されたとの報道もありました。
これは喜ばしいことですが、毎日新聞には
鎮魂の光と題して南三陸町の旧防災対策庁舎が夜空に照らされている写真もありました。
悲しみの雨でありました。
横田南嶺