せわしい中の発見
もう何十年も前のことであります。
ですからできるだけ「忙しい」という言葉は使わないようにしています。
「忙しそうですね」と言われても、「心を亡くしそうですね」と言われているようで、それほどでもありませんと申し上げています。
それでも実際に用事が多いのは事実であります。
ここ数日は我ながらあわただしいというか、せわしない日々でありました。
六日には禅文化研究所で、佐々木閑先生、細川晋輔さんと「地獄」について鼎談、午後から運営会議、そして晩は、「師家の集い」という僧堂の老師方の懇談会を主催していました。
七日は午前が禅文化研究所のYouTube撮影、午後からは理事会、今後の禅文化の運営について会議をして、夜最終の飛行機で松山に入りました。
八日が朝9時から坂村真民記念館の開展式と講演、鎌倉に戻るのが夜。
九日が日曜説教で、午後からは布薩の会です。
日曜説教のあとから布薩までの間にも来客が相次ぎます。
2時から布薩です。
この頃は一般の方々もこの布薩に取り組んでくださる方も増えていて有り難いことです。
皆さん熱心に取り組んでくれています。
慌ただしい中にもこうしてみなさんとゆっくりと礼拝行を繰り返すと疲れもとれてゆくのを感じます。
呼吸と共にゆっくり礼拝することの良さをしみじみと感じます。
それから驚いたことには、この間、坂村真民記念館の開展式から講演会、そして明くる日の日曜説教、更に布薩の会まですべてご参加くださっている方がいらっしゃるのです。
この熱心なることには頭が下がります。
こちらが疲れたなどとはいってられません。
十日も午前中は、数人のイス坐禅の会があって、指導させてもらっていました。
小人数ではありますが、皆さんと体をほぐしてイス坐禅をするとこちらもからだが調います。
また受けられた方も喜んでくれるので、こちらも嬉しくなります。
しかしながら、休む暇もなくなるのは現実であります。
「忙しい」という字を『広辞苑』で調べてみると、
「急がずにはいられない。落ち着かない。
ひまがない。用が多い。多忙である。」
という意味があります。
漢和辞典で調べると、「忙」という字には、
「あれこれとせきたてられている。あわただしい。せわしい。心が落ち着かない。」という意味があります。
字の成り立ちからいうと、会意兼形声で、「亡は、なくなる、ないの意を含む。忙は「心+(音符)亡」で、あれこれと追われて、心がまともに存在しない状態、つまり、落ち着かない気持ちになること。」
と解説されています。
あれこれと追われて心が亡くなるという意味なのです。
「あわただしい」というのは、
「まわりの動きが気になって、落ち着かない。
動作・動きに落着がなくせわしい。
事や変化などが多くてせわしい」
という意味です。
では「せわしい」とは、
「事が多くて暇がない。いそがしい。
動きが急である。ゆったりしていない。はげしい。
落ち着かない。せかせかしている」
という意味です。
「せわしい」という言い方もすれば、「せわしない」ということもあります。
これはどういうことかなと思いました。
せわしないというのはせわしくないことかと思いますが違います。
これも『広辞苑』によると、
「せわしない」の「ない」は甚だしいの意だそうです。
それで「せわしない」もまた「いそがしい。落ち着かない。せわしい」の意なのです。
イス坐禅の講座を終えたあとは久しぶりに椎名由紀先生にお越しいただいて、呼吸法の講座を行ってもらいました。
いつもながらお元気な椎名先生です。
はじめに花粉症の方はいますかと問われました。
修行道場では大半の若者が花粉症です。
呼吸法をしっかりやっていれば花粉症になるはずはありませんとバッサリと言われてしまいました。
それでもひどい花粉症に悩まされている修行僧が、はじめは鼻でまったく息ができなかったけれども、呼吸法のおかげで鼻で息ができるようになっていますと言ってくれていました。
みなそれなりに努力をしているのであります。
それからのお話で、椎名先生がこの二月に、上田にいらっしゃって雪かきをしていて腰を強打されたという話をなされました。
斜面を勢いづいて雪かきしていて、何かにひかかり、反動で後ろに倒れてしまったのです。
仙骨を強打されて動けないほどだったというのです。
幸いに今はすっかり回復されていますが、その体験を通して仙骨のはたらきを学び直されたという話でした。
仙骨を立てるということは椎名先生もいつもお話くださっています。
私なども仙骨のことはよくお話します。
しかし、今回椎名先生が説かれたのは「仙腸関節」でした。
仙腸関節といってもあまりピンとこない方も多いと思います。
仙骨と腸骨をつなぐ関節です。
これを意識すると、仙骨の形がはっきりとするのです。
この仙腸関節の動きに注視したワークを教わりました。
はじめは私もあまりピンとこなかったのですが、やっている内になるほどと思いました。
坐る感覚、歩く感覚が大きく変わりました。
仙骨、仙骨といっても漠然としたところがありました。
まだ曖昧なところがあったのです。
しかし仙腸関節を意識することは、仙骨の形がはっきりとするのです。
すると仙骨の立つ感覚が一層鮮明になりました。
歩く感覚も変わるのです。
それから仙腸関節を意識して歩くと足の力がいらなくなって、背骨もうねるような感じになります。
これで上体をほぐしてくれるようになります。
仙腸関節を教わったのは大きな発見でありました。
せわしい中にも新たな発見があると嬉しいものです。
これはすごいと終わったあと控え室で椎名先生と話をして盛り上がっていました。
感動はやはり人生を豊かにしてくれるものです。
横田南嶺