ハワイに着く
日本を夕方に出たのですが、着いたのはその日の朝になります。
飛行機の中では寝たような寝てないような不思議な思いで、まずはホノルルのダニエル・K・イノウエ国際空港に着きました。
そこでアメリカの入国審査があります。
このところ入国の審査が厳しくなっているという話を聞いていましたが、こちらは僧形なので、マウイのお寺に行くのだと伝えると、難なく入国を認めてくださいました。
しかし手荷物検査では、思わぬことが起こりました。
ハワイのお寺にお土産に用意したハトサブレと小鳩マメラクが、どうもひかかってしまいました。
なにか不審なものと思われたようであります。
もっともなんの問題のないものでありますので、すぐに許可されました。
外国に行くといろんなことがあるものです。
私と同行の者が三名で、合計四名の旅であります。
オアフ島のホノルルにあるダニエル・K・イノウエ国際空港で乗り換えて、マウイのカフルイ空港に向かいました。
カフルイ空港には羽賀浩泉さんがお迎えに来てくれていました。
臨済宗開教院の総代の方もお見えくださいました。
空港から出ると、皆さんが歓迎のレイを持ってくれています。
首にかけてくださるのです。
有り難いことであります。
そうして歓迎してくださると、長旅の疲れもとれてしまいます。
羽賀さんのご案内で、お昼を総代さんたちとご一緒にいただきました。
ハワイに於いての初めの食事であります。
広い土地のなかにある植物園のようなところでお昼をいただきました。
全く日本とは異なる木々が生い茂り、異国の情緒にあふれています。
ハワイに来たのだと実感します。
そこで、ハワイというところのいろんな風習に触れることになりました。
予約をしていただいていたようですが、声をかけてすぐに案内してくれるわけではありません。
しばし外で待つのであります。
このあたりから日本の感覚とは異なります。
予約していればすぐに案内してくれるのではないようです。
すべてにおいてゆったりとしているのです。
ゆっくりと待つのであります。
私などは日本にいるといつも分刻みで動いていますので、こういうところは見習わないといけません。
ようやくテーブルに案内されて、メニューを見て、それぞれ注文するものを決めました。
日本では、すぐにお店の方に伝えるところです。
しかし、ここも待つのであります。
テーブルごとに担当の方が決まっていて、その方が注文を聞きに来るまで待ちます。
とにかくゆったりとしているのです。
幸いにその日はマウイに着いてお寺に行けばよいだけでありますので、ゆっくりと現地の時間に身を委ねることにしていました。
そうしてお料理が運ばれてみんなでいただきます。
日本でいただくものとは1.5倍ほどの量であります。
その代わり持ち帰りのための容器が準備されていて、食べきれないものは各自持ち帰る習慣になっています。
ハワイにはいろいろな言葉があります。
おいしいということを「オノ」というのだと教わりました。
「アロハ」はハワイの挨拶としてよく知られていますが、ハワイに来てすぐに覚えたのが「マハロ」です。
これは有り難うという意味です。
それから食事の終わり頃に、ドーナツをぶら下げたような不思議なものを目にして、おいしそうに思って注文してみました。
マラサダというそうです。
これはポルトガル語だということでした。
いろんな民族が集まって暮らしているのだと分かります。
それから「ハングルース」という言葉を羽賀さんから教わりました。
ゆったりとするという意味だそうです。
このハワイではあくせくせずにゆったりと時間が流れているというのです。
食事を終えて、マウイにある臨済宗開教院につきました。
すぐ目の前が海なのです。
そこに本堂と鐘楼が見えました。
まずは本尊様にお供えをして、読経をしました。
読経してお寺の施設を案内してもらいました。
本堂に鐘楼があって、それからゲストハウスがあります。
私たち四名はそのゲストハウスに泊めてもらいます。
大きな台所があって、そこで食事の支度ができるようになっています。
ご本尊様にお参りして、そのあとは目の前にある海岸に行きました。
多くの方が海水浴をしています。
とてもきれいな砂浜です。
大きな亀が波打ち際で休んでいました。
羽賀さんにうかがうと亀はハワイでは大事にされていて、三メートル以内には近づかないようにということになっているそうです。
亀ものんびりと休んでいるように見えました。
ともかくも日本にいる時とは時間の流れが違います。
とてもゆったりとした時間が過ぎているように感じます。
学校は2時に終わって子供たちもそのあと泳ぎにくるとか言っていました。
異空間にやってきたという思いであります。
しばし波打ち際に立って海を眺めていました。
それからせっかくですので、素足になって砂浜を歩いてみました。
実に心地よいものであります。
本堂にはいろんな写真が飾られていました。
山無文老師がお見えになった写真もありました。
その頃に、この開教院は臨済宗妙心寺派の寺院となったのでした。
開教院が出来た頃の写真が印象に残りました。
沖縄からの移民が多い当地では、お弔いも大勢の方が集まっていたのでした。
実に多くの方に弔ってもらう写真がいくつかありました。
沖縄から苦労して出て来られた方々ですので。それだけに先祖を大事にし、仏事を丁寧にするという思いが強くあるものです。
こういう儀式を丁寧に務めることも生きる力を得ることに繋がるのです。
かくしてハワイの第1日を終えたのでした。
横田南嶺