至誠 – まごころ –
毎月一週間は、修行道場にいて坐禅に励んでいます。
有り難い日々であります。
二十日の前の日は、日曜日で、鎌倉エフエムのラジオの生放送に出演していました。
二回目となります。
一月のみ二回の生放送で、二月からは月に一度の生放送であります。
ラジオといっても今はインターネットで聞く人がほとんどのようであります。
それでもこうしてラジオというものが残っていると、いざ災害の時などには、力を発揮するのかもしれません。
鎌倉の長谷にスタジオがありますが、三階建てのビルの三階にあります。
エレベーターがないというのが良いところであります。
そこで村上信夫さんの司会にお任せして好きに話をさせてもらっています。
どれくらいの人が聞いているのかも分かりませんが、これも何かのご縁になればと思っているところです。
二回目は十九日でありましたので、十三日に円覚寺で行われた成人式の話題から話を始めました。
円覚寺では朝比奈宗源老師が管長の頃から、成人祝賀の会というのを行っています。
午前中から鎌倉市の成人式があって、そのあと円覚寺にお越しくださっています。
かつては成人を迎える方の名簿をもらって案内を出していたそうですが、今はそういうことはできませんので、円覚寺の幼稚園を出られた方と町内の方にご案内をしています。
今年も二十名ほどの新成人が集まってくれました。
はじめに皆でご本尊様に般若心経をおとなえします。
そのあと、管長の法話があって、成人の方に色紙を差し上げます。
そして記念撮影をして、そのあとお寺で作ったぜんざいを召し上がってもらいます。
それだけの儀式であります。
色紙には、いつも「至誠」と書いています。
朝比奈老師は、「誠」の一字を揮毫されていました。
先代の足立大進老師は、「忍」の一字を書かれていました。
私は「至誠」の二文字にしています。
なかなか一字だけを書くというのは難しいので二文字にしています。
今回は、この至誠について話をしました。
まずはじめに般若心経を読んだところだったので、「空」について簡単に説明しました。
「空」というのは、何かが欠けた状態のことを言います。
なにが欠けているのかというと、固定した実体が欠けていることを言います。
わかりやすくいいますと、常に変わらない実体はないという意味です。
お釈迦様が出られたインドではバラモン教という教えがございました。
これは支配する者と、支配される者を分けて差別する考えが強くございました。
そして人を四つの階層に分けて、その階層は生まれながらに決まっていて変わることがないという考えでありました。
よい身分に生まれた者は、生まれながらによい身分なのです。
変わることのない実体があるという考えであります。
しかしお釈迦様は人の貴さは生まれによるのではない、その人の思いや言動、行いによって変わるものだと説かれました。
人は変わることができるという教えであります。
変化しない実体はないということは、思いや言動によって変わり得るということであります。
お釈迦様は「世には四種の人がある」と説かれました。
「闇より闇におもむく者、闇より光におもむくもの、光より闇におもむく者、および、光より光へとおもむく人である。」という四種類であります。
不遇な境遇に生まれることもあります。
またお互い自分の思うはずではなかったという境遇に陥ることもあるでしょう。
闇のような状態に落ち込むこともあるかもしれません。
そのままずっと闇の中で苦しみ続ける人たちもいるでしょう。
しかし、私たちは闇から光へと変わることもできます。
それには自分自身の行いと、言葉と意志とによって、闇から光へと転じてゆくことが出来るのです。
不遇な境遇に生まれながらも、立派な高僧になったり、あるいはすぐれた業績をおさめた人は、世の中にたくさんいらっしゃいます。
固定した実体がないから、いかようにも変わることができます。
逆を言えば、よいところに生まれ、よい境遇に生まれ、何不自由ない暮らしをしていても、その行いや言動、その思いによって、闇へと転落をしていく場合もあります。
よい境遇にあって更によいように転じてゆく人生もあります。
これらは変わることのない実体がないからであり、空であるからです。
そのように変わっていく原動力となるのが、「至誠」です。
「至誠」とは、この上なく誠実なこと、まごころを表します。
中国の古典である『孟子』には「誠は天の道なり。誠を思うは人の道なり。至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」と説かれています。
天地万物にあまねく貫いているのが誠であり、天の道である。この誠に背かないようにつとめるのが人の道である。まごころをもって対すればどんな人でも感動させないということはないという意味です。
まごころをもって接すれば、どんな人でも動かせる力があるということです。
ただし、その至誠、まごころは一時だけのものに終わってはなりません。
『中庸』には「至誠無息(至誠息むこと無し)」の一句があります。
この上ない誠実さ、まごころを持って生涯を貫くことです。
『中庸』には「至誠息むこと無し」の後に「息(や)まざれば久し。久しければ徴(しるし)あり」と続きます。
「この上ない誠実さ、まごころを怠ることなく、あきらめずに保てば長く勤めることが出来る。
長く勤めれば必ず目に見えるしるしが顕れる」という意味になります。
まごころを持って、倦(う)まず弛(たゆ)まずどこまでも貫いて、途中でやめることさえしなければ、必ず目に見える成果が現れるのです。
どんな人でも、世の中でも変えてゆく事が出来るということを成人式では話をしました。
そんなことをラジオでも話をしていました。
そして坂村真民先生の「まごころ」の詩を朗読しました。
まごころ
天地を貫くのは
まごころ
地球を包むのも
まごころ
世界を平和にするのも
まごころ
救い難い人を救うのも
まごころ
こころは
ころころするが
まがつくと
もう万里一条鉄
びくともしない
どんなことでも
ふしぎによくなる
まごころは
差別を無くし
憎悪を消し
光のように
すべてを照らし
愛に満ち
熱い涙で
抱いてくれる
ああ
宇宙を美しくするのは
まごころ
まことのこころ
横田南嶺