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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.01.24
今日の言葉

栗山さんとの対談本できる

栗山英樹さんに円覚寺にお越しいただいて、一日禅修行体験をしてもらって、その四日後に、都内のホテルで、致知出版社の新春講演会がございました。

そこで、栗山さんは、裏千家の前家元の千玄室大宗匠とともにご講演なさいました。

致知出版社は、私も何冊も本を出してもらっていて、その講演会にもご招待いただきましたので、拝聴に行ってきました。

大きなホテルの大ホールに千二百名もの方々が集まる講演会であります。

控え室に通されますと、すでに栗山さんはお着きになっていてご挨拶させてもらいました。

今日の講演の冒頭で、先日の円覚寺での体験を話すのだと教えてくださいました。

確認したいのだと言われて何かと思いきや、庭詰について聞かれました。

玄関に頭をさげて二日間入門をお願いするものです。

それから私が禅の世界では修行僧が一番の宝だと言ったことが印象に残っているらしく、そのことの意味をもう一度教えて欲しいと聞かれました。

私は、禅の世界では、管長が偉いとか、老師が偉いと思われますが、実際に修行道場で修行している修行僧が一番尊いのです、栗山さんが選手が宝だとおっしゃっているのと同じですよと伝えました。

そして庭詰のことに触れていたので、あの何も分からないまま、禅の修行をするんだと心に決めて頭を下げているときの心、あの心が一番純粋で尊いのですと伝えました。

だんだんとその純粋な心を失ってゆくのですと申し上げました。

講演のギリギリまで話の内容をお考えになっていることが伝わりました。

大きな講演ですと、私などはかなり前から原稿を用意します。

数日前に話を入れ替えることなどは難しいのですが、栗山さんがこの講演に心を込めて臨まれていることが伝わりました。

控え室には、いつも致知の催しでお目にかかっている行徳哲男先生や、カトリックの鈴木秀子先生、白駒妃登美先生などにご挨拶させてもらいしばし歓談していました。

すると、千玄室大宗匠がお見えになりました。

今年四月で満百二歳になられます。

矍鑠とし颯爽とお歩きになるそのお姿は、衰えを感じさせません。

私の姿を見つけては、「横田老師」と声をかけてくださり、近くまでお寄りくださり親しく挨拶をさせてもらいました。

また講演が始まるまで、私の隣にお坐りになって、いろんな話をしてくださいました。

大宗匠には円覚寺でお献茶をしていただいたこともありますし、裏千家の行事でもたびたびお目にかかってはいますものの、よく覚えてくださっていると感激しました。

大宗匠のご講演は、実にお見事でありました。

一時間立ってお話なされました。

その熱意の込めようには、とても百歳とは思えない迫力であります。

間の取り方、ユーモア、話のテンポ、どれもお見事というほかありません。

そして時間ちょうどに終えて壇を降りられました。

降りたあとも私の前まで来て丁寧にお辞儀をされて恐縮したのでした。

ご講演では、お茶をいただくときに、茶碗を回すことについて触れられたのが印象に残りました。

流派によって手前に回したり、向こうに回したりするもので、初めてお茶をいただく者にとっては迷うことでもあります。

あれは何回回すという形式ではなく、正面を避けることなのだと教えてくださいました。

人と挨拶するにしても正面を避けて挨拶する謙虚さが大事なのだというのです。

自分を正面に出そうとすると衝突するのだと言われました。

国と国との争いにしても一歩引くことができれば終わるのではないかとおっしゃっていました。

感動のうちに講演が終わり、次は栗山さんのご講演であります。

あらかじめうかがっていた通り、はじめにほんの数日前円覚寺で修行体験をしたことを話されました。

その時の写真もパワーポイントで映しながらお話くださいました。

栗山さんは作務衣を着て鐘を撞いている写真、ご飯を炊いている写真、それから玄関で頭をさげている庭詰の写真、そして私と二人で薪割りの斧を持っている写真を映しながら話をしてくれていました。

そこで伝えられたことは四つありました。

栗山さんが今回、円覚寺での禅修行で体験されて感じたことです。

ひとつは、禅の世界で一番大事なのは修行している雲水だということでした。

それからふたつめは、一回の食事がどれだけ大切かが身にしみたことでした。

薪割りをして薪に火をつけて竈でご飯を炊くとたいへんさが身にしみるのです。

それから三つ目に、禅問答で成長を感じるとすべてが調うということをおっしゃっていました。

すべてが調うという表現は栗山さんの受け止め方で、さすがだなと思いました。

修行が充実するというのは、まず修行の土台となる坐禅がしっかり充実してくるのです。

しっかり坐るというのは姿勢が調い呼吸が調ってくることです。

すると歩き方が変わってきます。

ドタドタ足音を立てた歩き方から、静かに歩くようになります。

食事やお茶をいただくときにもその器を丁寧に扱うようになります。

言われてやるのではなく、自ら丁寧に掃除するようになってきます。

そうして修行が充実してくると、禅問答の答えもしっかりしてきて、古の禅僧の残した答えとピタリと合致するようになってきます。

それから四番目には食事と姿勢で人生は変わるということでした。

これは私が栗山さんに申し上げたことでした。

禅はまず食事や坐禅の姿勢から入ります。

今の時代は特に食が乱れているように感じます。

その地の畑でとれたお野菜にお味噌やお漬物などの発酵食品を丁寧に感謝していただくと、それだけでも人は変わってきます。

そして坐禅の姿勢です。

腰骨を立てて坐ることは心地よいのです。

そんな数日前の禅修行で感じたことをお話くださって、そのあとWBC世界一を通じて伝えたいことをお話くださいました。

栗山さんのお話もとても熱のこもったものでした。

もう二年ほど前のWBC世界一なのですが、まるでつい先日のことのように熱意を込めてお話になる、そのお姿に心打たれました。

懇親会の席では冒頭に挨拶をさせてもらいました。

栗山さんが円覚寺での修行体験の話をなされましたので、栗山さんが鐘を撞いたときのことを紹介しました。

鐘の音色にはその人柄が出ること、そして修行の深さが表れることを申し上げて、初めて鐘を撞かれた栗山さんの音色は実によく澄んでいてお見事だったと申し上げました。

初めて撞くときには、どのくらいの強さでいいのか、どんな風にすればいいのか迷いやためらいが入るものですが、栗山さんは撞木を持つや一念の迷いもなく見事に撞かれて、そこの勝負師の片鱗を見たのだとお伝えしました。

ちょうどその日は、栗山さんとの対談本が先行発売でできあがっていました。

ぎりぎり間に合ったのでした。

『運を味方にする人の生き方』というタイトルの本です。

オビには「禅僧と名将が語り合った勝者の哲学
~侍ジャパンを世界一に導いたもの~」

と書かれています。

会場で多くの方がお求めくださったようでした。

一般の書店に並ぶのは月末のようです。

千玄室大宗匠に会えて、栗山さんともまたお目にかかり、対談本も出来上がり有り難いご縁に感謝するばかりでありました。

 
横田南嶺

栗山さんとの対談本できる

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