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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.11.20
今日の言葉

まずは「戒」から

先日静岡県浜松市奥山にある方広寺さまにおうかがいしました。

臨済宗には十四の派がありますが、そのなかで建長寺派、山梨にある向嶽寺派、浜松の方広寺派と円覚寺派との四つの派で、合同の住職研修会を行っています。

毎年それぞれの本山が担当になって持ち回りで行っています。

今回は、方広寺さまでの開催となりました。

コロナ禍のために、昨年一昨年と延期になっていたのでした。

その前は、円覚寺が当番で行っていたのでした。

コロナ禍という大きな変化があったので、円覚寺で開催したことが随分以前のことのように感じます。

毎年この住職研修会のことを気に掛けていながら、いつも何かしらの予定が入っていてなかなかよその本山にうかがうことができませんでした。

しかしながら、いくら管長や、僧堂師家と役を仰せつかっていても、一住職でありますので、都合がつけば出席しなければという意識だけは持っていたのでした。

今年は、偶然にもこの研修会の日の予定が空いていたので、是非とも参加しようと思ったのでした。

とりわけ、会場が方広寺さまですから、うかがいたいと思いました。

方広寺さまには何度もおうかがいしています。

前の管長であった大井際断老師には、懇意にさせてもらっていました。

また方広寺さまの住職研修会に講師としてお招きいただいたこともございました。

実に風光明媚というにふさわしい素晴らしい境致のお寺なのであります。

円覚寺で朝の行事を終えて出掛けましたが、よいお天気でもあり、方広寺さまの澄みわたった空気をいっぱい吸うことができました。

方広寺さまの現在の管長は安永祖堂老師、花園大学の教授として長年教鞭もとり、行学ともに修められた稀代の禅僧でいらっしゃいます。

学問も綿密に修め、修行も天竜寺の平田精耕老師のもとで仕上げられた老師なのであり、私のご尊敬申し上げる老師であります。

その老師が、今回は「臨済宗の戒律について」お話くださるというので、是非とも拝聴したいと思ったのでした。

一住職として末席で聴講させてもらおうと思ってでかけたのですが、管長という肩書きがついている為に、実に丁寧な御応対を賜り、管長猊下にもご挨拶させていただいて恐縮したのでした。

安永老師のご講演は、「さすが」「すばらしい」の一言であります。

該博な知識をもって、しかも分かりやすくかみ砕いて、それをわずか一時間の間に納められるという見事なご講演でありました。

うかがって良かったと心から感動しました。

まず戒と律について説明してくださいました。

戒は、内面的なもので自己に対する戒めであり、罰則はありません。

律は、法律であり、違反すると罰則があるのです。

小乗戒、大乗戒の歴史から戒壇のご説明があり、そして日本仏教の戒について話が進みました。

仏教は、東アジアを中心に世界に弘まっていますが、日本の仏教ほど戒を粗略に扱っているのは珍しいと仰せになって、中村元先生は、このことは決して日本の仏教が堕落していることを表わすのではないと指摘されいているとお示しくださいました。

中村元先生は、日本の仏教は一行主義といって、一つの行にすべてが集約されているので、一行に徹することによって戒が自ずから調うのだというのです。

法然上人が「魚を食べる者が往生するのなら、鵜がするであろう。魚を食べない者が往生するなら、猿がするであろう。」と仰ったことをあげて、魚を食べるとか食べないとかという表面的な行いではなく、ただ一筋に念仏を称える者が往生するのだというのであります。

念仏の者なら念仏がすべてであり、念仏すれば戒も調うというのです。

そこから臨済宗の戒の立場を説いてくださいました。

向嶽寺の御開山抜隊禅師は、真実の持戒は見性成仏だと説かれていますし、盤珪禅師は不生の仏心でいさえすれば、戒を持つの持たないのということは関係ないと説かれています。

白隠禅師は、布施や持戒などはすべて大乗の禅定におさまるのだと説いているのです。

そこから更に話は律に広がりました。

律は規則であります。

インドでは律といい、中国ではこれを清規といい、日本では規矩というのです。

集団生活をするために日常の規律が説かれています。

ただこの清規や規矩について、曹洞宗と臨済宗では捉え方が異なると教えてくださいました。

曹洞宗は威儀即仏法、作法是れ宗旨といって、細かな規則を大事にしています。

規則通りに暮らしを忠実に行うことが仏の行いなのです。

それに対して臨済では、見性成仏の為に規則があると説くのです。

見性とは自己の本心本性に目覚めることです。

そのようにして目覚めたならば、あとは規則にとらわれることなく自由になるのだと説いてくださいました。

「大用現前規則を存せず」や、『論語』にある「心の欲するところに従って矩を踰えず」の言葉を用いて、自分の心に思う事をそのまま自由に行なっても、まったく道徳の規範から外れることがないという境界に至ることを説いてくださいました。

かくして臨済宗における戒についてよく理解することができたのでした。

もっとも私などは、「大用現前」などとはほど遠いので、まず毎月布薩を行って丁寧に戒を意識して暮らすことしかありません。

仏教は「戒定慧」の三学が基本であります。

まずは「戒」から始まるのであります。

 
横田南嶺

まずは「戒」から

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