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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.10.01
今日の言葉

飽くなき探求 – 三者三様坐禅会 –

本日より十月であります。

如何お過ごしでしょうか。

先日九月の末の日曜日に、三者三様坐禅会というのを行ってみました。

曹洞宗の藤田一照さんと、臨済宗相国寺派天正寺住職の佐々木奘堂さんをお招きして、私を交えて三人の坐禅会でした。

三者三様というように、それぞれが四十分ずつ坐禅指導をしたのでした。

四十分の持ち時間で、二十分の坐禅の説明と二十分の坐禅を目安に、三人がそれぞれ独自の方法で行うのでした。

実にこれが三者三様だったのでした。

私が一番はじめに行いましたので、きっちりと二十分ずつ坐禅指導と実際の坐禅を行いました。

今回初めて坐禅をするという方も数名いらっしゃったので、私は足の組み方手の組み方から、腰を立てること、丹田に気を落ち着けること、そして肩をほぐすこと、それから首の体操、頭の位置の矯正などを、ひとつひとつ教えてゆきました。

本当は足指、足首からやりたいところでしたが、二十分の指導なので、それらは残念ながら省略しました。

そうして、天台小止観にある呼吸の調え方に則って、はじめに三回口から息を吐き出し、鼻から吸うというのを行って、あとは伝統的な数息観を行いました。

ただ吐く息を長めにして、吸う息を自然にまかせること、吸った息はお腹まで入って、出す息はお腹の底から出すように意識して行うようにしました。

そして、最後の三分間は呼吸を数えることをやめて、お腹にだけ意識を集中して、数を手放して、ただ全身から息を吸い込み全身から息を吐き出す、身心をゆったりとさせるようにしました。

それから坐禅が終わったあとも丁寧に行いました。

合掌して、軽く低頭して、両手をすりあわせて温めて、両手でカップを作って目に当てて、カップのなかで目を開き、両手でふとももをこすりました。

それから膝もさすって、腰を左右にひねり、徐々に現実に感覚を戻してゆくという、『天台小止観』にある方法を応用して終わりました。

そんなこと指導しながら持ち時間の四十分は過ぎました。

次に小休止をはさんで佐々木奘堂さんのご指導でありました。

奘堂さんのご指導は腰を立てることの大切さを丁寧に指導してくださいました。

まず体をうつ伏せになって全身を床に投げ放って、そこから丁寧に起き上がるということを指導してくださいました。

起き上がる時に、ヨガのコブラのポーズのような姿勢にして、腰を立ててゆくのであります。

すべてを放ってただ起き上がるという時にこそ腰が立つというのが奘堂さんのご指導なのであります。

起き上がると、今度は大転子と呼ばれる足の付け根でしっかり立つことを教えてくださいました。

足の付け根で立つことを坐るという、これが奘堂さんの坐禅なのであります。

意識で意識を調えるようなことはせずに、ただすべてを放ってただ起き上がる時に腰が立ち、主体性が確立されるというのです。

実に端的なご指導なのでした。

ヨガを教えておられる方からは、「寝てから起き上がる動きは、簡単なのに効果抜群。しかも、突き詰めると奥が深そうな気がする」という感想をいただきました。

また「地面から起き上がることで、全身でしっかりと大地との一体感を感じながら坐禅できて驚いた」という感想も頂戴しました。

さすがのご指導なのでした。

最後はいよいよ藤田一照さんの坐禅指導であります。

丁寧に坐り方を教わりました。

特に坐るには、私などは腰骨を立てること、丹田などを強調しますが、一照さんは内臓の位置を調えることをご指導くださいました。

特に肺の位置を調えるワークが印象的でありました。

肺が普段前屈みの姿勢の為に、前方に縮んでいるというのです。

そこで肺の前面、後ろ側、側面を伸ばしていって、本来の肺の在り方に戻すのであります。

この動作だけで感激して涙を流す方もいらっしゃったほどなのです。

坐禅中も丁寧なご指導が続いて、そのガイダンスに従っているうちに自然と深い坐禅ができるのでした。

さすが一照さんだなと感激していると、坐禅の終わったあとの体のほぐし方がまた絶妙なのでした。

本来坐禅の前に行う左右揺振ということを、終わった後に丁寧に指導してくださいました。

骨盤から、だんだんとへそ、胸、首と上に向かってまわりながらほぐしてゆくのであります。

終わると体全身が調って心もすがすがしくなるのでした。

坐禅中に一照さんは音を聴くことに集中しようと指導されました。

全身で聴くというのです。

しかもただ聴くということです。

風の音、鳥の声をただ聴いていました。

すると途中から拝観の方が、大きな声で喧嘩を始めました。

これもまたただ聴いていたのでした。

三者三様の坐禅が終わってから参加者の方からの質問を受けました。

これも皆さん熱心に質問されていました。

最初に二十代の青年が坐禅していると、今まで聴いたいろんな音楽が頭の中を流れて困るというようなことでした。

これはどうしたらいいのかという質問でした。

たしかに外の音というのは気になり、それが心にいつまでも残ることがあります。

三人がそれぞれ答えましたが、一照さんはアメリカにいらっしゃった時に、すぐ下で音楽の会が行われる中で坐ったこともあってたいへんだったと仰いました。

外の音などうるさいから自分の思い通りにしようとすると却って苦しみが増すので、思い通りにしようという思いを離れることだと示してくれました。

そして坐禅中に外ではげしく喧嘩していた声もうるさいから退けようと思うのではなく、今日はこの外の喧嘩を聴くのだと思って受け入れることを説いてくださいました。

どんなに騒がしく、うるさいと思っても坐禅には傷はつかないと話してくださいました。

私は、実は坐禅中は、まったく外の喧嘩など気にもならなかったのでした。

一照さんがその事に触れられたので、ようやく気がついたのでした。

だから私などは外の音には全く振り回されることはありません。

これはどうしてかなとあとで考えましたが、長年修行道場にいて老師方や諸先輩方にさんざん理不尽なことを言われ続けてきましたので、ある時から自分の耳を馬耳東風、馬の耳にすることができるようになっていったのです。

ガミガミ言われることをすべて真に受けると体がもちません。

ただ音として聞き流すというすべを身につけていたのだと気がつきました。

理不尽なことをガミガミ言われてきたことにも意味があったと思いました。

外で喧嘩をしている声をただ受け入れると説かれたのが一照さんでした。

私は、一照さんが喧嘩の声に注目されてようやくその声に気がついたのですが、私は喧嘩の人はお気の毒だと言いました。

境内で口げんかしながら、まさか寺の本堂の中で五十名もの人がその一部始終をずっと聞いているなど、知らないでしょう。

知らないところで全部聴かれて気の毒だと申し上げたのでした。

奘堂さんは、そとの喧嘩の声は自分の姿だと仰いました。

つまらぬことで言い合っているのはまさに自分の姿だと受けとめたというのであります。

これはさすが奘堂さん、大乗仏教の精神だと感服しました。

ほかにもいろんな質問があり三者三様に答えたのでした。

最後の方の質問に何に対して探求するのかというのがありました。

一照さんは、常に探求する姿勢であること、探求モードにあることが大事なのだと説いてくださいました。

その言葉をうかがって、私たち三人は三者三様の坐禅でしたが、探求しつつあることが共通なのでした。

常に飽くことなく探求しているからこそ、こうして語り合い、研鑽し合うことができるのだと思いました。

三時間半ほどの長い坐禅会でしたが、あっという間に終わった思いで、充実感がありました。

 
横田南嶺

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