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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.03.25
今日の言葉

大安心さえあれば

『PHP』四月号を読んでいると、体操競技選手だった白井健三さんの記事がありました。

私は、スポーツのことは全くわからないのですが、名前だけは聞いたことがあります。

なんでも2021年に24歳で現役を引退して、今は母校の職員として勤務しながら、指導者としての道を歩き始めているそうなのです。

24歳での引退は多くの方から惜しまれたそうなのですが、白井さんは、「次世代の選手を育てることへの思いが、選手であり続けることへのモチベーションを上回ったからこその選択だ」とかかれていました。

「思い残したことはありません」という一言に、お若いのにたいした方だと思って読み進めました。

こういう言葉があって、感服しました。

「僕には「ライバル」という感覚がほとんどありません。

他人には他人のよさがあって、自分には自分のよさがあると思うからです。

ライバルとは、同じものをめざして争うものだと思います。

同じ競技で争ってはいても同じものをめざしているわけではない。

僕は、自分の演技をやりきりたいという気持ちでいっぱいでした。

だから、満足していない優勝もいっぱいあります。

逆に、最後の大会(二〇二一年・全日本種目別選手権)は二位という結果でしたが、イメージ通りの演技ができたので大満足で終われました。

順位や数字で評価されることも多かったのですが、僕自身は、数字に表れないところで判断していたんです。」

というのであります。

競技というと、ライバルと熾烈な戦いをするという印象を持っていましたので、この白井さんの言葉には驚きました。

こういう方こそ、ぶれない芯を持った人というのでしょう。

そして次の言葉にも心打たれました。

「十七歳で金メダルを獲ったこともあり、「才能がある」「天才」とよく言われました。

才能という言葉自体に抵抗はありませんでしたが、「体操の才能がある」と言われるのはすごくいやだった。

僕は泳ぐのも走るのも遅く、体育の成績もギリギリでした。

ただ、できるまでやる、人にダメと言われてもやるという「あきらめない才能」はあったかもしれません。」

というのであります。

「あきらめない」というのは、「自分を見限らない」ということでもあります。

こういう気持ちで自分なりの努力を続けてこられたのだと敬服しました。

後生畏るべしとはよく言いますが、素晴らしい青年だと思いました。

今月の『PHP』誌には、特別企画として、「認知症の人には世界がどう見えている?」という記事がありました。

「認知症の人に起こっていること」「認知症とつき合うコツとは」などが書かれています。

認知症世界の八つの事例と対応のヒントも書かれています。

おなじものを何度も買ってしまうとか、トイレに失敗する、いつもの道で迷ってしまう、バスや電車で降りられない、火をつけたことを忘れてしまうなどの事例が挙げられています。

私なども、この頃は、出掛ける時に、これをもって行かなければと用意しておいても、いざ出掛ける時に、別のものも持ってゆかなければと思っていると、最初に用意していたものを忘れてしまうことがあります。

ひとつ思うと、ひとつを忘れてしまうのであります。

複数の方と初めて会って話をしていると、複数の方の名前を覚え切れなくなりました。

記憶力の低下は自覚せざるを得ません。

今のところはまだ認知症というわけではないようなのですが、やがてたどる道かもしれないと覚悟は必要であります。

折から駒澤大学の小川隆先生の勉強会で、優れた漢詩文を作っていた禅僧が、転んで頭を打ったことがもとになって、今までの文章をすべて忘れてしまったということを学びました。

その禅僧は己れを律して道に励んでいたのでした。

ところが、ある夜、仏殿の階のところで 経行をしていて、足を踏み外し、したたかに 転んでしまったのでした。

そばにいた僧が扶け起こしたが、朦朧として人事不省、日ごろあれほど書いていた詩文のことも分からなくなってしまったというのです。

後に別の僧侶が、その話を聞いて

「今生の参禅で心の本源を徹見できなかったら、私とて同じことだ。

たまたま一度つまずいただけでさえ、このありさま。

まして来世になど生まれ変わった日には、どうなろう?」と驚愕したという話です。

優れた禅僧とはいえ、打ち所ひとつ悪ければ、どうなるかはわかりません。

いくら修行してもどうなるかわからないのがお互いであります。

この世に起こること、この身に降りかかることは、なにごともご縁と受け止めるしかありません。

思えば私が出家した時の師である小池心叟老師は、お年を召してもとてもお元気でしたが、九十歳近くなってからは、ご病気のためにお体が不自由になってしまいました。

しかし、そのような状況をすべてそのまま受け入れて淡々としていらっしゃいました。

お見舞いに行っても、静かにほほえまれるそのお姿にこちらが癒やされたほどでありました。

ちょうど書架の中から、長年お世話になった円覚寺の前管長足立老師の遺稿を見つけて読んでいました。

良い文章なので参照します。

「師匠の別峰老師 (朝比奈宗源老師)がよく言われた「仏心の生き通しの世界」です。いつもお説教でこれをおっしゃっていました。

仏心は生き死にを超え天地を包みて天真独期のものぞ

仏心には生死の沙汰はない
永遠に安らかな永遠に清らかな永遠に静かな光明に照らされている
仏心には罪やけがれも届かないから
仏心はいつも清らかであり
いつも静かであり
いつも安らかである
これがわたしたちの心の大本である
仏心の中には生き死にはない
いつも生き通しである

人は仏心の中に生まれ
仏心の中に生き
仏心の中に息をひきとる
生まれる前も仏心
生きている間も仏心
死んでからも仏心
仏心とは一秒時も離れてはいない

突き詰めれば、人間が生きてきて一番困るのは、死ねないことなのです。

だから、死ぬるのは別峰老師の言われる「仏心の世界」に帰ることだ、ありがたいことだと普段から心に言い聞かせることが大切です。

私たちを生かしている、もっと大きな世界へ戻っていく。

そうすれば、死ぬることはそんなに苦にならないでしょう。

『淮南子』に「生は寄なり、死は帰なり」という言葉があります。

生はひと時の仮の宿りであり、死は本来あるべきところ。

禅では、その大安心を「帰家穏坐底」と言いますが、その最終的な落ち着きどころ、そこは生き通しの世界です。

要するに生き死にを超えた世界にいるということなのです。

禅宗の引導は死者に対して、「そなたといつも一緒だよ。この世界に共にいる」ということを申し渡すものです。

人は亡くなり、その体はなくなったかも知れないけれども、この宇宙いっぱいに生きている。

やるべきことをやり、労りの心をもって見送る人がいて、そして、「ありがとう」と言って死ねるのが一番の幸せではないかと思います。」

というものです。

白井選手もまだまだ活躍できる年齢でしょうが、けがが引退の原因になったと書かれていました。

それでも静かに受け入れて新たな道に生きる姿には感銘を受けるのです。

お互い、死生観をはっきりとさせて、最後は仏心の世界に帰るだけだという大安心さえあれば、この世でいかようのことが起ころうとも静かに受け入れることができるのだと思うのであります。

 
横田南嶺

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