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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.11.11
今日の言葉

心が平安であれば、どこでもくつろげる

月刊『PHP』十二月号と届きました。

今年の一月号から、この『PHP』誌に連載を始めて、これで満一年になります。

当初は半年の連載というお話でしたが、一年に延びました。

それが更にまた半年延びて、来年の六月まで連載が決まっています。

短い禅語をひとつ選らんで、四百字で解説するものです。

今月号の「この人と語ろう いい言葉、いい人生」という欄には、法政大学の前の総長である田中優子先生が出ていらっしゃいます。

田中先生は、毎日新聞に「江戸から見ると」というコラム記事を連載されていていつも楽しみに拝読しています。

今月の『PHP』でも、長年江戸の文化や歴史を研修されている田中先生の言葉に、深く感銘を受けました。

少しだけ紹介させていただきます。

田中先生は、

「江戸時代に学ぶことはたくさんあります。たとえば、江戸はきわめて高い循環を持った社会でした。

食料の自給率は一〇〇パーセント。着物、木材、排泄物にいたるまで、資源をむだにすることなく、循環させていました。

また文化のレベルも高かった。」と書かれています。

そして、更に

「江戸を追究すると、日本が抱える問題が見えてきます。

今のコロナ禍では「経済優先」が言われます。

でも、その場合の経済は「お金」のことだけです。

江戸時代にも「経済」という言葉がありましたが、それは「経世済民」の略で、世の中を経営することによって民を救うことを意味していました。

つまり人が救われて幸せにならなければ、経済とは言えないのです。」

と書かれていて、深く納得しました。

世の人が救われて幸せになるようにと願った禅僧が、今月の『PHP』誌で、私が取りあげた夢窓国師であります。

今月の『PHP』の禅語は、

「心頭無事なれば一床寛し」というものです。

夢窓国師の山居の詩の一句です。

『PHP』誌は、短いものしか書けませんので、この一句のみを書いたのですが、全文は次のようなものです。

青山、幾度か黄山と変ず、
浮世の粉紜、総に干せず。
眼裏、塵有れば、三界窄く、
心頭、無事なれば、一床寛し。

およそ意訳しますと、

青い山が何度も秋の黄色い山に変わるように、世の中も移り変わる。

この山の中に住んでいる私にとって、世の中の争いごとなどあずかり知らぬことだ。

眼の中に塵が入ってしまうと、広い世界も狭くなる。

心に引っかかるものが何もなければ、わずかな坐るところでも十分広いのだ。

ということであります。

夢窓国師は、鎌倉時代の終わりから室町時代にかけて活躍されました。

前半生は、専ら山中を好んで修行の暮らしをされていました。

自ら「烟霞の痼疾あり」といわれているように、人里離れた山中を好まれたのでした。

ところが五十歳以降の後半生の暮らしは一変します。

京都鎌倉の名刹に招かれてゆくのでした。

はじめは北条高時公の帰依を受けて鎌倉幕府に招かれました。

後に後醍醐天皇の信認を得て京都の南禅寺に住します。

晩年には足利尊氏の帰依を受けて、後醍醐天皇の菩提の為に天龍寺を建てられました。

鎌倉時代、建武の新政、そして室町時代へという文字通り激動の時代、戦乱の世を生き抜かれたのでした。

そのような夢窓国師ですから、戦略家であったとか、権謀術数をめぐらしていたと言われる方もいます。

私は、夢窓国師というお方は、私心の無い純真な禅僧であったと思っています。

そうでなければ、権謀術数をめぐらすだけで、激動の世を生き抜くことは難しかったと思うのです。

天龍寺船を使って、当時の元の国と貿易をして利益を得て、天龍寺を造営していることが教科書などにも掲載されてよく知られています。

その一面だけをみると経済の才能もあったと思われますが、天龍寺を建立し、そこに立派な庭園を造るとなると、多くの雇用を生み出します。

世の中が困窮していて、食べるものにも困っている人たちに仕事を与えて、賃金を与えることができるようになります。

そしてその工事に携わることによって、多くの人たちに新たな仏縁を結ぶことにもなります。

かつて作家の五木寛之先生と対談した折に五木先生が、夢窓国師のことを、

「造園を通じて経済を刺激して、多くの人に仕事をもたらしましたよね。

当時、造園作業に従事する人たちを「山水河原者」と呼んでいましたが、夢窓国師はそういう社会の底辺にあって蔑視されていた人たちに、造園を通じて自信と誇りを与えたんです。」

と仰っていました。

そして更に、

「夢窓国師の造園も、単に芸術的感覚を発揮しただけではなく、多くの人々に生きる糧とプライドを与えたわけでしょう。大きな入鄽垂手の実行だと思って、尊敬しているんです。」

と語ってくれていました。(致知出版社『命の限り歩き続ける』より)

また、戦乱の犠牲になった多くの死者のために祭壇を設けて供養を始めたことが、わかっています。

足利尊氏に進言して全国に安国寺利生塔を造ったというのも、世の中が平和になって欲しいという願いにほかなりません。

戦乱の世を生き抜かれた夢窓国師だけに、「経世済民」、多くの人が救われて心安らかになりますようにと願われたのであります。

「心頭無事なれば一床寛し」の一言には深い味わいを感じます。

 
横田南嶺

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