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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.09.22
今日の言葉

可も無く不可も無し

「可も無く不可も無し」という言葉があります。

これも禅語として用いられることがあります。

『広辞苑』には、

「可もなく不可もなし(かもなくふかもなし)

①[論語[微子]]よいとか、悪いとか決めつけたことがない。
言行にゆきすぎや不足がなく、適切であること。
②特によくもわるくもない。平凡・普通であること。

という二つの意味が書かれています。

一般には、②の意味で使われることが多いと思います。

「あの人は、可も無く不可も無しだね」などと使われます。

もともとは、『論語』にあるものです。

『論語』の微子篇にあります。

「逸民は、伯夷・叔斉・虞仲・夷逸・朱張・柳下恵・少連。

子の曰わく、其の志を降さず、其の身を辱しめざるは、伯夷・叔斉か。

柳下恵・少連を謂わく。志を降し身を辱しむ、言 倫に中り、行 慮に中る、其れ斯れのみ。

虞仲・夷逸を謂わく。隠居して放言し、身 清に中り、廃 権に中る。我れは則ち是れに異なり、可も無く不可も無し。」

という文章です。

岩波文庫『論語』の金谷治先生の訳を参照しますと、

「世すて人には、伯夷と叔斉と虞仲と夷逸と朱張と柳下恵と少連とがいる。

先生はいわれた、「その志望を高く持ちつづけて、わが身を汚さなかったのは、伯夷と叔斉かね。」

柳下恵と少連のことを批評されて、「志望をひきさげ、身も汚したが、ことばは道理にかない、行ないは思慮にかなっていた。まあそんな所だろうね。」

虞仲と夷逸のことを批評されて、「隠れ住んで言いたいことを言っていたが、身の持ちかたは潔白にかない、世の捨てかたも程よさにかなっていた。わたくしはそれとは違う、進もうときめもしなければ退こうときめもしない。〔ただ道義に従って進退自在だ。」」

ということであります。

平田精耕老師は、『禅語事典』にこの言葉を取りあげて、

「なすべきこと、またはよいと決めこんだこともなく、なしてはならないこと、または悪いと決めこんだこともない、初めから何も決めてはいけない、といっています。つまり、可も不可も超越し、それらにとらわれないという、分別・執着心を払拭した境地なのです。」

と解説されています。

そこから、更に平田老師は、

「人間の世界というものは、楽があったら、その陰には必ず苦があり、苦があったら、その裏側に必ず楽があるというようにできているものです。

ですから、非常に苦しんだあとには、ああ苦しんだといって、苦しみが解放されたとき、そのときが楽しいときなのです。楽しみ方はいろいろありますが、楽しみはいつまでもつづくものではなく、長くつづかないうちにその楽しみが消えてしまいます。その消えたときがまた苦しみのはじまりなのです。
苦しみというものと楽しみというものは、別々にあるものではありません。ですから、仏教では苦楽一体ということをやかましくいうのです。
そういう苦楽一体の世界を、可もなく不可もなしと表現しているわけです」と説かれています。

伯夷と叔斉は兄弟でした。伯夷が長男、叔斉が三男でした。

父の遺言に従って伯夷は、叔斉に王位を継がせようとしました。

しかし、叔斉は兄を差し置いてはできないと断ります。

伯夷は国を捨てて他国に逃れ、叔斉も位につかずに兄を追って出国しました。

そこで次男が国王になりました。

流浪の身となった二人は周の文王の良い評判を聞いて、周へ向かいました。

しかし、二人が到着したときにはすでに文王は亡くなっていました。

息子の武王が、悪逆で知られた殷の紂王を滅ぼそうと軍を起こして、殷に向かう途中でした。

二人は道に飛び出し、武王の馬車を止め「父上が死んで間もないのに戦をするのが孝と言えましょうか。主の紂王を討つのが、仁であると言えましょうか」と諌めました。

戦乱ののち殷は滅亡し、武王が周を立てた後、二人は周の粟を食べる事を恥として周の国から離れ、首陽山に隠棲してわらびなど山菜を食べていたが、最後には餓死したのでした。

柳下恵は、『論語』にも出ていますが、

「柳下恵が魯の獄官の長である裁判官になって、三度役につき、三度免職になった。そこで或る人が、「あなたは三度も退けられるという憂き目に遭いながら、まだこの国を去ることができないのですか」とたずねた。すると、柳下恵が答えて、

「私がやめさせられるのは、正道を守って正直一途に奉公しているからです。今の世の中では、正しいことをすれば、どこの国へ行っても、三度や四度くらいは免職になることは免れますまい。もしまた、道を曲げて不正をして仕えるとなれば、どこでも仕官できるものでして、どうしてわざわざ父母の国である魯を去る必要がありましょうや、生まれ故郷を去る必要はありません」と答えた。」(明治書院新訳漢文大系『論語』より)

と説かれています。

柳下恵は、伯夷や叔斉とは反対で、不徳の君でも平気で仕えるし、どんなつまらぬ官職でもいっこうに恥じたりはしないのです。

寒に苦しむ女を泊め抱き暖めて憐れみを垂れたが、柳下恵の徳あるを知る魯の人は、これを乱れた行為とはしなかったと『孔子家語』に書かれています。

こんな故事をもとに小林一茶は、

柳にもやどり木は有柳下恵

伯夷、叔斉や柳下恵、それぞれの生き方があります。

どれにもこだわらず、とらわれずに、その時々に応じて、「可も無く不可も無く」生きたいものであります。

 
横田南嶺

可も無く不可も無し

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