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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.07.29
今日の言葉

最も安らかで穏やかに生きるには

お釈迦様は、お亡くなりになるに際して、弟子たちに、自分の滅後は戒をより所とするように言い残されました。

戒こそが、自分の滅後、あなた方の師となるのだと仰せになりました。

戒をたもっていれば、お釈迦様が生きていらっしゃった頃と変わることはないのだとも仰せになっています。

戒をたもって清らかに生きれば、よいことが生じるし、戒がなければ、功徳も生じることはなく、戒を第一安穏功徳の住する所だと説かれたのでした。

戒をたもつことが、もっとも安らかで穏やかに生きることができるのだということです。

仏教の修行は、三学と申します。

それは「戒定慧」の三学です。

戒をたもち、それによって禅定を修め、そして智慧を得るのであります。

戒というと、決まり事に縛られる印象があって、安らかで穏やかに生きることとは結びつかないように思われるかもしれません。

戒は、決まり事で縛るということよりも、よい習慣を身につけようということです。

ですから、戒定慧の三学を平たく申しますと、よい習慣を身につけて、心を静かに調えて、正しく物事を判断してゆきましょうということになります。

以前佐々木閑先生が仰っている、煩悩を無くすには、正しい判断のできる人になることだということを紹介しました。

私たちが、なぜ苦しむのかというと正しい判断ができていないからなのであります。

苦しみから逃れるには、正しい判断ができる人になることなのです。

これは仏教の基本であります。

この正しい判断ができてこそ、人に対しても思いやるのある行動ができるようになります。

思いやりのある行動が慈悲であります。

そこで、仏教とはどういう教えかというと、

よい習慣を身につけて、

心を静かに調えて、

正しく物事を判断して、

お互いに思いやりのある行動をしましょう

という教えなのであります。

釈宗演老師の『観音経講話』を読んでいて、観音様が、帝釈の身を現じて説法なさるというところを、宗演老師は、帝釈天というのは十善をもって人の為にするものだと説かれています。

そこで十善戒を説かれています。

十善戒とは、

第一不殺生(ふせっしょう)すべてのものを慈しみ、はぐくみ育て
第二不偸盗(ふちゅうとう)人のものを奪わず、壊さず
第三不邪婬(ふじゃいん)すべての尊さを侵さず、男女の道を乱すことなく
第四不妄語(ふもうご)偽りを語らず、才知や徳を騙(たばか)ることなく
第五不綺語(ふきご)誠無く言葉を飾り立てて、人に諂(へつら)い迷わさず
第六不悪口(ふあっく)人を見下し、驕(おご)りて悪口や陰口を言うことなく
第七不両舌(ふりょうぜつ)筋の通らぬことを言って親しき仲を乱さず
第八不慳貪(ふけんどん)仏のみこころを忘れ、貪りの心にふけらず
第九不瞋恚(ふしんに)不都合なるをよく耐え忍び怒りを露わにせず
第十不邪見(ふじゃけん)すべては変化する理を知り心を正しく調えん

というものです。

十の戒を、身三、口四、意三といって、身体で行うものが三つ、言葉で行うものが四つ、心で行うものが三つあるというのです。

宗演老師の解説には、

「身三というのは、殺、盗、淫をいうので、殺は生き物を殺す。盗は財物を盗む。淫は邪淫、姦淫などといって、男女の不正なる交わりである。」ということです。

特に殺さないということ、不殺生は仏教の根本精神であります。

宗演老師は、

「一切の生きとし生けるものは、決して故なければ殺さない。

蚤一匹でもそこに理由がなければ殺さない。

蚊一匹でも無益には殺さない。

たいへん広い意味の不殺生であるが、それはわざわざそこにそういう制限を人為的に勝手に設けたのではない。

天地自然の道理で、何物にもだんだん生成発育するという、一つの生命をもっている。

それを奪わないというところに、天地自然の道理、すなわち慈悲の姿を現わしている。

我々人間が生命を惜しむが如くに、他のものもおのおのその生命を大事に思う。

それ故にやむを得ない場合のほかは物の命は取らない」

ということなのです。

更に宗演老師は、

「それはとにかく、本来この戒ということは、世界成立の戒法といって、仏教を信じる人でも信じない人でも、今日人間として生得かくのごときことは保たれなければならないはずのものである。

決して仏が独断的にこしらえたものではない。

人間として生得、それだけのことを保つべき資格をもっているというのである。」
と説かれていて、人間として本来たもたなければならないものなのだと説かれています。

次には、「それから不偸盗、盗みをしないということ、賊といってもいろいろあるが、ごく荒いところの盗み、手を出して盗むことを普通にいうけれども、人の物をただ取るばかりでなく、坊さんが職分を行わなければ、法を盗むことになる。

やはり賊である。

住持であって住持の勤めを怠れば、住持の位を盗むものである。

商工業家にしてその仕事に励まなければ、やはりその職を盗むことになる。

そういうことが細かに戒法に書いてある。

ただ財を盗むというだけの単純の意味ではない。」

というので、単に物を盗むなということではないのであります。

次に、「不邪淫というのは邪しまなる淫行を慎めよというのである。

この裏には夫婦はなるべく仲よくせよ、一夫一婦は人間の自然の道であるから、夫婦は互いに相敬愛するようにせよというのである。」

と説かれています。

それから、言葉の戒めが四つあります。

宗演老師の解説には、

「次は口四。口に四つの戒めがある。

第一は悪口。それから両舌、二枚の舌を使うこと。それから綺語、飾り言葉のこと。それから妄語、嘘つきのこと。

そう四つに分けてある。」

ということです。

言葉を慎むべきことを宗演老師は、

「心得ない人の考えでは、口で言うことは後に残らないから、一時的にその場さえ通り過ぎればよいと思って、何でも言うのである。

しかし仏教の戒法で、精神上から眺めてみると、一言でも言ったことは、天地間に影響することであるとまで云っている。

少なくとも人類社会にそれが影響する。

一人に止まらず、広く一般に影響するのである。

善いことをしてもやはりそうである。

一人に止まらず広く影響する。

ちょうど水面に小さな石を投げれば、小さい波紋をなして波及するようなものである。

大きい石を投げれば、大きいなりに大きい波紋が波及するようなものである。

善事でも悪事でも、社会的に我れ一人に止まらず、他に及ぼしていく。

人の悪口を言うということは、人として悪徳である。

両舌の如きは最も悪徳である。

人前にあって人の悪口をいって、また他の人に対して前の人の悪口をいったりして、人の身を離間中傷するような、いろいろの悪徳を犯すのは、皆な二枚舌を使うからである。

それから綺語、飾り言葉を使うのもそうである。」

と説かれているのです。

「それから妄語。

親切を欠いた言葉は皆な妄語である。口では礼儀的に言っても、心に親切を欠いていたならば妄語である。

もし口で鷺を烏と云わなければならないようなことがあっても、心に親切気が存する限り善意にして犯すならば、それは妄語にならない場合がある。

とにかく親切を欠いた言葉は皆な妄語である。

口がどうも一番罪を多く作るものであるから、それで口が四つになる。口は禍の門というが、いかにもそうである。

その次は意三、心における三つである。それが貪瞋癡、すなわち貪欲、瞋恚、愚癡ということにもなる。

また愚癡の代わりに邪見ということが入る場合もある。善い方から云うと、不慳貪、不瞋恚、不邪見といったりする。

それで第一の貪欲、これは心のうえにすることで、仏教の戒法は精神上の法律であるから、形に現われることばかりに重きを置かない。

いわゆる心の動機に重きを置いている。

故に意三といって心のうちに起こるところの貪欲、瞋恚、邪見、もしくは愚癡ということが、これまた悪徳の大なるものとしている。」

というのであります。

難しいことのように思われるかもしれませんが、

生き物を殺さないように心に習慣をつけ、

物を盗らないように習慣をつけ、

邪なことにふけらないように習慣をつけ、

悪口、二枚舌、飾り立てた言葉、嘘偽りを口にしないように習慣をつけ、

貪欲、瞋恚、邪見を行わないようにと気を付けて生きれば、

一番安らかに穏やかに生きることができるのであります。

そんな安らかで穏やかな暮らしが土台になってこそ、心が静かにおさまり、正しい判断ができるようになって、苦しみから解放され、思いやりのある行動ができるようになるのであります。

 
横田南嶺

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