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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.05.10
今日の言葉

生きていくのは大変なことだ

ひとの生を
うくるはかたく、
やがて死すべきものの、
いま生命あるはありがたし、
正法を
耳にするはかたく、
諸仏の
世に出ずるも
ありがたし。 〈ダンマパダ・182〉

法句経にある句であります。

よく知られた言葉で、私も引用させてもらうことが多々ございます。

これはいつも私の手元においている、友松円諦先生の訳であります。

同じ言葉でも、訳者によって随分趣が異なります。

岩波文庫の『ブッダの真理の言葉 感興の言葉』には、中村元先生の訳で、

「人間の身を受けることは難しい。死すべき人々に寿命があるのも難しい。正しい教えを聞くのも難しい。もろもろのみ仏の出現したもうことも難しい。」

となっています。

また最近上梓された、佐々木閑先生の『ブッダ 繊細の人の不安がおだやかに消える100の言葉』には、

人として生まれるというのは大変なことである。
死すべき者が生きていくというのは
大変なことである。
正しい法を聞くというのは大変なことである。
諸仏がこの世に出現するというのは
大変なことである。

と訳されています。

佐々木先生が、「大変なこと」と訳されたのは、「稀有なこと」「大変に稀なこと」という意味であります。

人間としてこの世に生まれるというのは、実に滅多にない、稀なこと、有り難いことなのです。

どれくらい稀なことかというと、経典には、「盲亀(もうき)浮木(ふぼく)」の譬えがございます。

岩波の『仏教辞典』によれば

「大海に住む盲の亀が百年に一度海中から頭を出し、そこへ風のまにまに流された一つの孔がある流木が流れてきて、亀がちょうど偶然にもその浮木の孔に出遇うという極めて低い確率の偶然性を表す比喩譚」

なのであります。

また「爪上の土」という譬えもございます。

お釈迦様が、弟子を連れて歩いておられて、ふと立ち止まって、土を拾って爪の上にのせられました。

そして「この爪の上にのった土と大地の土とどちらが多いと思うか」と尋ねたのでした。

「爪の上の土など、ほんのわずかなもので大地の土とは比べようもありません」と答えます。

お釈迦様は、「生きとし生けるものは数限りなくあるけれども、人間界に生まれてくるこということは、爪の上の土ほどに有難い、滅多にない稀なことなのだ」と説かれたのでした。

遺伝子研究の第一人者であった村上和雄先生は、

「一つの命が生まれる確率は、一億円の宝くじが百万回連続して当たることに匹敵する」(『致知』二〇〇五年三月号)と説かれました。

今この世に存在して、生きているだけでもまさに大変な奇跡なのだと常に仰せになっていました。

盲亀浮木も爪上の土も有り難い譬えでありますが、現代人には、村上先生の説かれた宝くじの譬えの方がピンとくるように思います。

人として生まれるということは、それほど稀なことなのです。

そして、生きているということも大変なことなのです。

お互いの細胞の一つ一つには、その幅は一ミリメートルの五十万分の一というゲノムがあるそうです。

その中に約三十億の暗号が書き込まれています。

この情報量を本にたとえると、一ページに一千字、それが一千ページ集まった本があるとして、その約三千冊分に相当するのだそうです。

一つの細胞には三千冊の書物が納まっているということになるのであります。

更に人間の体は六十兆の細胞から成っているので三千冊の本がぎっしり詰まった書棚が、約六十兆個存在することになるのだと、これも村上先生が説明してくださったことでした。

さらに村上先生は遺伝子の暗号をひとつひとつ解読しながら、暗号をこうして読めるということは、これを書いた何者かがいるはずだと思われました。

「極微の空間にこれだけの膨大な情報を蓄積し、しかも、それを一刻の休みもなく作動させている遺伝子は、人間の理性や知性をはるかに超えたものの働きによってつくられたのではないか」と思われて、その存在を「サムシング・グレート」と名づけておられたのでした。

「サムシング・グレート」大いなるもの、偉大なるものに生かされているのがお互いであります。

特定の神仏を信仰していない人にも、村上先生の説かれた「サムシング・グレート」は受け入れやすかったと思われます。

このように、私のように科学に疎い者にも分かりやすく生命の素晴らしさを説いて下さったのが、村上和雄先生でした。

その村上先生が、さる四月十三日にお亡くなりになりました。

私も村上先生には懇意にさせてもらっていました。

私も僭越ながら、村上先生が教授を勤めておられた筑波大学を卒業しているのですが、専攻がまったく異なりますの、在学時にご縁はありませんでした。

致知出版社のご縁で、数年間隔月でお目にかかって共に勉強会をして学ばせていただきました。

いつも物静かで、ユーモアを絶やさない先生でありました。

村上先生は、ノーベル賞学者もスポーツ選手も普通のおじさんも、遺伝子暗号の差はせいぜい一〇〇〇に一個から一万に一個だそうで、

九九・九~九九・九九%は同じ遺伝子暗号を持っていると仰っていました。

眠っている多くの良い遺伝子のスイッチをオンにして、悪い遺伝子をオフにすれば私たちの可能性は、何倍ものに広がるというのでした。

そのオンにするのに「笑い」が有効であるとして、村上先生は、お笑いの吉本興業の協力を得て、笑いによってどの遺伝子のスイッチが入るかを調べ、血糖値が下がるかを調べて、大きな効果があることを発見されたのでした。

私が懇意にさせてもらっていた頃は、「祈り」と遺伝子のはたらきを研究されていました。

祈りもまた、遺伝子のスイッチをオンにする大きな効果があると教えてくださいました。

私もその頃、東日本大震災の後で、「祈り」の大切を思っていましたので、大いに啓発されました。

円覚寺には、私が管長就任前に一度講演にお越しいただいたことがありました。

村上先生は、また円覚寺で話をしたいと言って下さっていて、私も是非お願いしますと申し上げていました。

残念ながら、そのことは実現せずに、先生は体調を崩されてしまい、お別れとなってしまいました。

人に生まれることは大変なこと、生きていくのも大変なことだというブッダを言葉に触れて、在りし日の村上先生を思い出しています。

私も「笑い」と「祈り」を大切にしてゆこうと思っています。

ご冥福をお祈りしています。

 
横田南嶺

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