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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.02.08
今日の言葉

お弁当の話

『日本講演新聞』で読んだ話です。

明治の初めに当時の友好国・ドイツから招聘されたエルヴィン・フォン・ベルツ博士という医者がいたのだそうです。

このベルツ博士は二十九年間も日本に滞在して、明治天皇や大正天皇の侍医を務められました。

ある時、ベルツ博士が日光東照宮に観光に行くことになりました。

江戸から日光までは140キロの距離です。

今のように道路が整備されているわけでもなく、鉄道もありません。

馬を6回乗り換えつつ、到着するまでに丸々2日かかったといいます。

そうしてベルツ博士は日光の景色をご覧になってとても感激し、ふたたび馬を6回乗り継いで江戸に帰りました。

江戸に戻ったベルツ博士は、人力車の車夫に日光の景色の素晴らしさを語ったそうです。

すると車夫が、「博士、次回は私がお引きいたします」と言ったのでした。

ベルツ博士は「何を言ってんだ。馬だって6回乗り換えないと行けないような険しい道のりだ。君のような体の小さな人間が、私を引いて行けるわけがない」と言いました。

「私は今まで人を乗せて何度か日光に行ったことがありますよ」という車夫に、ベルツ博士は実際に頼んで日光まで人力車で行ったのでした。

しかも、馬に乗って行った時とそれほど変わらない時間で着いたそうです。

ベルツ博士はいたく感心し、車夫に、普段どんな食事をしてるのか尋ねました。

車夫は、「玄米に、味噌に、豆に、野菜と、たまに魚を食べる」と答えました。

ベルツ博士は、「肉も食べずにこれだけの力を出せるのか」と、とても驚いたのです。

そして、ベルツ博士は「そんな粗食でこれだけの力を出せるならば、ドイツの栄養学を取り入れた食事ならばもっと力を出せるようになるだろう」と実験を始めました。

ベルツ博士は、車夫に牛乳やバターやお肉などを食べさせました。

ところが、2週間ほど経った時、車夫がベルツ博士に

「元の食事に戻してください。以前のように走れなくなりました」と言いました。

食事を元に戻すと、車夫はまた以前のように走れるようになったという話でした。

ベルツ博士は、今の日本の食事は日本人に合っているのだと結論づけたという話です。

人間の体というのは、毎日食べるものによって成り立っています。

単に栄養だけとればいいという話でもないようです。

その人、その土地にあった食事があります。

そして、その食事には、ぞれぞれの人の思いも込められているものでしょう。

先日小欄で紹介した天野高雄和上からお送りいただいた『ことばのお守り』(高野山出版社)にいいお話がありました。

「茶色い弁当」というお話です。

読んでいて涙がにじんでくる話です。

あるご夫人のお話です。

その方のお母さんは、その方がまだ幼少の頃に病気で亡くなってしまったそうです。

そこでおばあちゃんが育てて下さったそうなのです。

おばあちゃんは一生懸命に三人の御孫さんを育ててくれたのですが、昔の人ですので、今どきの女の子とは意見が食い違うこともありました。

その方が高校生の時に、

「もうおばあちゃんのお弁当は食べられない」と食ってかかったそうです。

どうしてかというと、おばあちゃんのお弁当を持ってゆくと、まわりの子たちから「茶色い弁当、茶色い弁当」といっていじめられたそうなのです。

おばあちゃんは、大根の炊いたものや、お揚げや切り干し大根などを入れて、ぎゅうぎゅう詰めにしたご飯にその汁が染みて、茶色になっているのです。

まわりのお子さんのは、「キャラ弁」の可愛らしいお弁当になっているのだそうです。

おばあちゃんはショックを受けて、なんとか若者向きのお弁当を作ろうとするのですが、やっぱり茶色になってしまったとか。

その子もやがて成長し、結婚して母親となりました。

男の子を授かったのですが、どうも体が弱かったそうです。

医者に診せてもどこも悪くないといいます。

栄養士さんに相談してよい食事をさせるようにと指導されました。

栄養士さんの指導の通りに料理をして、それをお弁当に詰めてみたら、「茶色いお弁当」になっていたのでした。

その方は、そこで気がつきました。

おばあちゃんがお弁当に入れてくれたおかず全部が、私の体のことを思って作ってくれていた、一番大事なものだったのだと。

あのおばあちゃんのお弁当のおかげで、今の自分は元気で暮らしていて、こうして子どもも授かることができたのだということを。

そのおばあちゃんがお亡くなりになって、お葬式の日に、その方は、茶色いお弁当を作っておばあちゃんの棺に入れて感謝を捧げたのだそうです。

こんな話を読んでいるだけで、涙がにじみます。

思い起こせば私なども一八歳まで田舎で暮らしていて、小学中学高校とずっと母のお弁当をいただいていました。

当時は何の気なしに当たり前のようにいただいていましたが、今思うとたいへんなことであります。

また、一八歳まで、そのお弁当をいただいていたから、今もこうして五十代の半ばを過ぎても同年代よりは元気に過ごすことができています。

食べているものが体を作るのです。

栄養も、そしてその食事に込められた思いも一緒にいただいているのです。

そんな食事が一番体に合っているのでしょう。

毎日食べるもので体が作られるように、毎日聞いたり、読んだりする言葉によって心は作られていくのだと思います。

良き書物、良き言葉をしっかり栄養としていただきたいものであります。

 
横田南嶺

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