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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.01.31
今日の言葉

愛と慈悲

「私が最後まで守り通そうとする信仰は、人間が人間を愛することだ」と坂村真民先生が、ご自身の思索ノートに書かれていました。

これは真民先生のご生涯を貫く信仰であります。

それゆえに、家庭にあっては家族を愛し、学校に勤めては生徒一人一人を愛し、広くは人類を愛し、人を傷つける戦争、原爆などには強く反発し、人を愛するマザーテレサなどには深く共感されていたのでした。

しかし、『法句経』には

愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる。愛するものを離れたならば、憂いは存在しない。どうして恐れることがあろうか?(212番)

213、 愛情から憂いが生じ、愛情から恐れが生ずる。愛情を離れたならば憂いが存在しない。どうして恐れることがあろうか? (213番)

とありますように、愛というのは苦しみを生み出す原因にもなります。

男女の愛情がなければ、人類は生存しませんが、これが愛憎を生み、愛着となり、愛執となってしまうと、苦しみを生み出します。

しかし、愛情があればこそ、和歌が生まれ、詩が生まれ、小説ができあがり、映画になり、大きな文化になっていることも事実であります。

愛情もまかり間違えば、ストーカーにもなりかねません。

愛情が間違った形で向かってしまえば、「虐待」にもなってしまうことがあります。
「子どもへの愛」と言いながらも、親の独善的な考えによる場合もあります。

「愛の鞭」というのも、その多くは、鞭を与える側の都合のいい解釈の場合が多いことでしょう。

新聞の投書に、「先日二十歳の息子が初めて一人で床屋さんに行った」という文章があって、思わず目がとまりました。

どういう事情かと思って読んでみると、そのお子さんは幼い頃にアスペルガー症候群と診断されて、中学高校と不登校になっていたそうなのです。

対人恐怖症でもあり、一人で買い物にも行けなかったようなのです。

それが、初めて一人で床屋さんに行って散髪してもらったという記事なのです。

母親は、「床屋終わりました」のメールを受け取って、うれしくて涙が出そうだったと書かれていました。

こういうお話を読むと、ご両親がいかにそのお子さんを愛しておられるかが伝わってきて胸が熱くなります。

私なども心の中で、「頑張って」と応援したくなります。

「まだまだできないことも多いけれど、勇気を100%、いや200%出せたら前に進めるかもしれない」

と書かれていました。

題は、「勇気200%」なのでした。

同じ新聞の川柳に、

「ヤな奴のいいとこ見つけ幸せに」

という句がありました。

嫌な人だなと思ってしまうこともあります。

愛情の反対は、憎悪であります。

最近読んでいる日本講演新聞に、村上信夫先生の対談記事が載っています。

『ビリギャル』モデルの小林さやかさんという方との対談です。

小林さんが塾に通っていた時に、気に入らない子がいて、「あの子、チョーむかつく」と言ったら、先生から、「あの子のいいところを20個書きなさい」と言われたそうなのです。

「20個もない」と言うと、「いいから、ノートに書き出せ」と言われて、

「しょうがないな」と思って素直に20個書いたのだそうです。

そしたら、「すごくいい子なんだな」と思えるようになったという話です。

そういうものかも知れません。

嫌だと思うのは、一面しか見ていないからなのでしょう。

「慈悲とは理解である」とは朝比奈宗源老師の言葉ですが、奥深いものです。

『菩薩願行文』というお経には

「たとえ自分に対してまるで仇敵になって、この私を罵り苦しめるようなことがあっても、

これは自分が遠い過去から知らず知らずに人を傷つけてきた、わがままな思いから造ってきた罪業を、

いまこうして罵り苦しめられることによってその罪が消えてゆくのだと思って、何を言われても何をされても頭を下げて、

むしろ拝んで言葉を丁重にしてへりくだってゆけば、私たちの心に蓮の花が花開き、蓮の花に仏さまが現れ、

どこもかしこもそこが浄土になります。

どこにいてもそこに仏さまの光明が光り輝きます」

という意味の言葉がございます。

過去の罪業といわれても、今時代にはピンとこないことでしょう。

めぐりあわせと受けとめることができればいいと思います。

とても受け容れられないということであれば、遠ざかって距離を取ることも必要でしょうし、時にはその場から逃れることもやむを得ないでしょう。

それでも、良い人に逢うことも、そうでない場合も皆、いろんな経験をすることによって、人間は成長してゆくものです。

晴れの日もあれば、雨や嵐に遭うこともあるようなものです。

強い風に揺さぶられることによって、樹木の根が強く張ってゆくのだと聞いたことがあります。

できれば、坂村真民先生の「ねがい」という詩で詠ったような心境になりたいものだと、目指す理想を掲げてゆきたいものです。

ねがい
あなたに合わせる手を
だれにも合わせるまで
愛の心をお与え下さい
どんなに私を苦しめる人をも
すべてをゆるすまで
広い心をお授け下さい

こんな広い心になれたなら、その「愛の心」は、そのまま「慈悲の心」であると言っていいでしょう。

 
横田南嶺

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