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臨済宗大本山 円覚寺

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2018.04.25

止という土台


 境内から山を眺めると野生の藤が色鮮やかに彩っています。

横田南嶺老師が今日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。

 朝比奈宗源老師は、お説きになられました。我々は、皆、仏心を備えている。

井戸を掘れば、必ず水が出ると信じるように、私たちには、必ず仏心が備わっている

から、やれば、必ずできるのである。まず、この信を起こすことが第一である。と。

 そうして、信を起こしたならば、実際に修行をやっていかなければならない。

姿勢を正し、腰を立てて静かに息を調えていく。そうして、下腹部の丹田の一点に

意識を集中させていく。

 止観の修行というのが昔から説かれている。心を集中させるということを

昔の人は、3通りに説きました。

 一つ目は、繋縁(けえん)の止です。それは、心を一点に集中することを言う。

一つのところに繋(つな)げることです。自分の心を臍下丹田の一点に押し付ける。

 あるいは、心が沈んできたならば、鼻先の一点に意識を集中する。

 二つ目は、制心の止です。心を制する、心を抑える。これは、数息観などをやったりして、

心が何かに飛んでいった場合、また、意識が別のことを考えていった場合、

すぐさま、そのことに自分で気が付いて、もう一度、呼吸や心に取り戻すという

修行です。

 心が外に向かって散乱をしてしまうのをすぐに取り戻す。心を制御させるという修行です。

 三つ目が、体真の止です。これは、朝比奈老師の言葉によれば、数息観をして呼吸が

段々と調ってきたならば、今度は、公案と成り切る。外のことを全部振り捨ててぐっと

一枚に成り切るんだということです。

 これが心をして止そのものにせしめるという。無字一枚になるという我々がやっている

修行は、まさにこの体真です。心をして信そのものにならしめる。無字一枚にならしめていく。

こういう修行が止観の止ということです。これが修行の一番の土台であります。

これをよく練っていく。

 心を気海丹田なら、気海丹田の一点に集中をする。そうして、あちこちに散乱するのを

自分で気が付いて、取り戻す。そして、一枚に成り切っていく。これが土台です。

{平成30年4月25日 横田南嶺老師 「武渓集提唱」}

止という土台

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