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臨済宗大本山 円覚寺

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2014.08.09

提唱という時間

 横田南嶺管長が先日の日曜坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。

 この坐禅会は坐禅の会です。法話やお説教の会とは違う。坐禅をする会であってそこに

こういう話が聞こえてくるだけであります。やるべきことは坐禅をすることで、8時から

9時半頃まで手を組み足を組み腰骨を立てて背筋を伸ばして坐禅をする。

 坐禅をしている間にお経が始まったり太鼓がなったり、こういう私の話しが聞こえて

きたりするだけです。ですから、坐禅をするんだという気持ちでいてほしい。

そこにこういう話しが只聞こえてくる。

 先ほど太鼓が鳴って音が皆さんのお耳に只聞こえてくる。講本の文字はせんさくしない、

只見えるという世界です。

 もちろん、修行におきましては時にはいろいろと勉強をする必要がある時もありますし

語録を一つ一つ、どういう意味か?何を言わんとしているのか?理論的に学ぶ必要の時も

あります。しかし、無心になる、本来の無心、一番の根本、おおもとに帰るそういう時間も

また必要です。

 これは坐禅会である、提唱を聞くというのは坐禅をしているところに何やら話しが

只聞こえてくるということなのです。

 私たちの本来の心は清浄でありますが、見たり聞いたりすることで覆い隠されてしまいます。

ではどうすればいいか?只、無心でいれば本来の心は自ずから表れてきます。

 坐禅は無心の稽古といってもいい。話を聞きながら「ああ、このとこころがおかしい、この辺の読み方が

へんだ。」と考え出すと本来の心が覆い隠されてしまう。だから、只無心に聞く。

 たとえば、日常生活においても、いろいろな話が耳に聞こえてくる、そういう中でも無心の修行が

できなければ現実的に役に立ちません。お寺から外にでればいつも静かなところはない。うるさいときも

あれば様々な議論がさかんなところもある。時には当事者となって議論をしなければならない時もある。

 その一方でどんな時にも只無心にして聞いてるはたらきが必要な時もあります。

議論に議論を重ねて争ってばかりでは本心が覆い隠され疲弊してしまいます。何を言われようが何が

聞こえてきようが只無心になる。8~9割は自分の意識を腰骨を立てて姿勢を正して静かに呼吸することに

中心を置いて只聞く。ちょうどセミや鳥の声が只聞こえてくるのと同じようにです。というのが提唱という

時間なのです。

{日曜坐禅会(8月3日) 伝心法要提唱より}
(後記)
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昨日、円覚寺山内・仏日庵で行われた施餓鬼法要での

横田南嶺管長の法話の写真です。円覚寺山内のお寺はお施餓鬼法要の

真っ最中です。

 さて明日は横田南嶺管長による日曜説教会(9:00~10:00 於 大方丈)です。

終わって 坐禅会(10:00~11:00 於 大方丈)または延命十句観音経写経会

(10:00~12:00 於 大書院)となります。

ご家族、ご友人お誘いになってご参加くださいますように。

 皆様のご来山を心よりお待ちしております。

 

提唱という時間

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