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臨済宗大本山 円覚寺

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2014.07.27

何ものにも染まらない心

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キキョウとモンシロチョウ、お互い様、おかげさま、いのちのつながりを感じさせて

くれます。
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横田南嶺管長が今日の日曜坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。

 私たちの心は水晶玉のようなものです。本来清らかであり、何ものにも

染まることなく、外のものを映し出します。そうであるはずなのに表面に映し出される

映像や影ばかりを見て、きれいだ汚いだ、自分だ他人だと争いばかりをしている。

見たり聞いたり感じたりすることに覆われている状態というのはこのことです。

 私たちは、見たり聞いたり感じたりすること、それだけが心の様子だと思い込んでいる。

あたかも水晶玉の表面に浮かんだ映像だけを見ているようなものです。そうじゃない。

大切なのは映像が映っているその玉がなんであるか?です。そのような工夫をしないと

いけない。見聞覚知、見たり聞いたりしている主は何ものか見ていくことが肝心です。

 いろいろことを思ったり考えたりしているその心は何であるか?心には、様々なものが

映し出されているけれど、心の本体はその映像ではありません。本体は、清らかで何ものにも

染まらないが、何でも映し出す水晶玉です。本源清浄心、仏心です。そんな素晴らしい心を

私たちは誰一人例外なく、持って生まれて来ているのです。

 ところが見たり聞いたり感じたりすることばかりを自分の心だと思い込んでしまって

迷っている。そんな表面の思いや考えに振り回されるのではなく、いろんな思い、考えを

映し出しているおおもとは何であるかです。それを深く求めていくと、心は本源清浄であり

仏心であると気づくのです。そこには一切が平等であって、自分だ他人だといった分け隔て

なく、きれいだ汚いだとか、長い間修行をして特別なものになる訳でもなく、生まれながらに

みんな平等に仏心を持っているということに気づくはずです。

(後記)

 今日の日曜坐禅会は98名の方々が参加をされました。

お暑い中にもかかわらず、大勢の方々にご参加いただき、誠に有り難うございました。

何ものにも染まらない心

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