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臨済宗大本山 円覚寺

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2014.02.18

無限に転じていくいのち

2月18日(火)
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 先日,居士林で行われた淡青坐禅会にて
横田南嶺管長が提唱されたことをまとまてみました。
 この体は数十年すれば、やがて消えていくものです。大切なのは
お互いのこの体を生み出しているのはいったい何ものであるか?
このいのちを生み出している働きは何であるか?であります。
 それは私たちにははかり知ることのできない大きな力が働いている。
それを仏のいのち、阿弥陀仏、天地のいのちといろいろな名前で呼んでいる。
そこを見てより所とするのが良い。
 昔の人は「死はやがて帰ることである」と言いました。死とは何も無くなって
しまう寂しいことではなく、もとの大きないのちに帰っていくことでありましょう。
 根本のいのちの尊さというものを見失わず、外の世界に振り回されなようにする。
一輪の花を見ては「この花を咲かせているものは何であるか?」と一番おおもとのいのち、
根本を見ていく。
 私たちの体はやがて消えてなくなります。私たちの意識・分別もどこかに消えて
いくでありましょう。意識・分別した対象や言葉・理論ばかり追いかけていては
やがて、それらも消えていくものであります。
 ある方は「地図ばかり見ていては道に迷う」と言いました。経典や文字ばかり
見ていたのでは、本当の大きないのちを見失ってしまいます。
 この肉体はやがて衰えてしましますが、お互いの精神、根本のこころは、萎えていく体
とはあい関わらず、ピチピチとしているのが本当のところです。
その活動は止むことがありません。
 私たちはお互いやがて消えてなくなるものですが、また、どこかで一輪の梅の花と
なって咲くかもしれない、また、一羽の鳥となって空を飛んでいるかもしれない、
またネコとなって日向ぼっこをしているかもしれない。
 この無限に転じていくいのちこそ私たちは本当により所とすべきもの
なのです。

 梅の花を見たら「この梅の花を咲かせているものは何であるか?」とこう
求めていけば生き通しの大きないのちに気づくはずであります。
{平成26年2月5日(水) 淡青坐禅会 臨済録提唱より}
 

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