icon_arrow-r_01 icon_tryangle icon_search icon_tell icon_download icon_new-window icon_mail icon_p icon_facebook icon_twitter icon_instagram icon__youtube

臨済宗大本山 円覚寺

臨済宗大本山 円覚寺

  • 円覚寺について
  • 拝観案内・アクセス
  • 境内案内
  • 年間行事・法要
  • 管長のページ 2025.06.20 更新
  • 法話会・坐禅会・
    写経会
  • 御朱印・御祈祷
  • 円覚寺売店
  • お知らせ
  • Q&A
  • リンク

© 2019 ENGAKUJI
ALL RIGHTS RESERVED.

お問い合わせ

2012.12.05

無常について

12月5日(水) その2
 管長様が淡青坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。
 「無常」と言いますと、ものが移り変わる、形あるものが
滅びていくと私達は思いますが、お釈迦様の悟りから申し上げれば、
心というものも、一念一念、一瞬一瞬、生じては滅していく「無常」
であります。
 只、その生滅の度合いが誠に速やかで早いので、私達はずっと同じ
場所で同じ状態であるように見えています。心というものは、いのちと
言っても同じですが、昔の蛍光灯のようなものであります。
 蛍光灯というのは、実際は点いては消えるを繰り返している
のですが、ただその点滅が細やかで速やかであるために、
私達にはずっと点いているように見える。
 いのちも生じては滅し生じては滅しの繰り返しで一瞬たりとも
同じ状態ではないのですが、その一瞬一瞬の心の変化に気づくほど
私達は敏感ではないので同じであると錯覚してしまう。
 いのちも生滅を絶えず繰り返し、一瞬たりとも同じ状態ではないと
いう真理に気がつけば、「これが自分である」「これが自分の身体である」
「これが自分のものである」と執着する対象のものはありえないのです。
 ですから、無常ということがわかれば、無我であり、空であると同義
であると言ってもよいのです。
 この無常の真理をあるがままに受け止めて一瞬一瞬、一日一日、
このいただいたいのちを生きていく他にはないのであります。
(後記)
  今日の淡青坐禅会は、管長様の提唱があるということもあって
 24名もの方が参加をされました。皆様、お疲れ様でした。
 有り難うございました。
 

無常について

前の記事
次の記事

カテゴリー

臨済宗大本山 円覚寺

〒247-0062 鎌倉市山ノ内409  
TEL:0467-22-0478

  • 円覚寺について
  • 拝観案内・アクセス
  • 境内案内
  • 年間行事・法要
  • 管長のページ
    • 管長侍者日記
    • ビデオ法話
    • 回覧板 (おしらせ)
  • 法話会・坐禅会・写経会
  • 御朱印・御祈祷
  • お知らせ
  • リンク
  • 円覚寺売店
  • Q&A
  • お問い合わせ