2019年1月14日

成人式を迎えられた皆様へ (管長よりお祝いの言葉)

【「成人祝賀の会」が1月14日に円覚寺大方丈においても開かれました。以下は、横田南嶺管長より成人式を迎えられた皆さんへ贈られたお祝いの言葉です】

成人式の法話

 皆さん、成人おめでとうございます。本日は多くの方からおめでとうとお祝いいただいていると思います。私達も心からお祝い申しあげます。
 不思議なこともあるもので、最近自分の勉強の為にと、茨木のり子さんの詩集を読んでいました。すると、今ちょうど読んでいた詩が、今朝の毎日新聞のコラムで新成人に送る言葉として紹介されていたのです。全くの偶然ですが、こういうこともあるものです。
 どんな詩かというと、一部紹介します。

 大人になるというのは
 すれっからしになるということだと
 思い込んでいた少女の頃
 立居振舞の美しい発音の正確な 
 素敵な女の人と会いました


 という一節から始まります。大人になるということは、経験を積んで人格を完成させるというよい意味と共に、純粋さを失って世間に馴れてしまうと悪い意味で使われることもあります。「すれっからし」というのは、世慣れした悪い意味です。 でも詩人の茨木さんは、ある女性との出会いから教えられたというのです。何を教えられたかというと、

 初々しさが大切なの 
 人に対しても世の中に対しても
 人を人とも思わなくなったとき 
 堕落が始まるのね
 堕ちてゆくのを
 隠そうとしても 
 隠せなくなった人を何人も見ました


 何事も慣れるということは大事ですが、初々しさを失ってしまうと、大切なものを見失ってしまうことになります。そこで次のように茨木さんは詠いました。

 大人になっても
 どぎまぎしたっていいんだな
 ぎこちない挨拶 
 醜く赤くなる 失語症 
 なめらかでないしぐさ
 子どもの悪態にさえ傷ついてしまう 
 頼りない生牡蠣のような感受性
 それらを鍛える必要は
 少しもなかったのだな


 という事に気がつかれたのです。そして更に言いました。

 あらゆる仕事 
 すべてのいい仕事の核には
 震える弱いアンテナが隠されている 
 きっと……


 初々しい、純粋な心を失わないでいることが大切だと思います。慣れてきて純粋さを失うことが大人になることだとは思って欲しくありません。

 新聞のコラム記事には、もう一つ茨木さんの詩が紹介されていました。
「倚(よ)りかからず」という七十三歳の時の詩です。

 もはや できあいの思想には倚りかかりたくない
 もはや できあいの宗教には倚りかかりたくない
 もはや  できあいの学問には倚りかかりたくない
 もはや いかなる権威にも倚りかかりたくはない
 ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい
 じぶんの耳目じぶんの二本足のみで立っていて
 なに不都合のことやある
 倚りかかるとすれば それは 
 椅子の背もたれだけ


 という詩です。私どもは禅の教えを学んでいるのですが、この詩は禅の教えにも通じるところがあります。既存の思想や宗教など、なにものにも寄りかからずに、自分の目で見て自分の耳で聞いて、自分の足で立つのです。寄りかかるのは椅子の背もたれだけだと茨木さんは詠いましたが、その背もたれにも寄りかからずに、腰骨を立てて姿勢を正して生きてまいりたいものであります。

 姿勢を正して、心のうちからあふれてくるのがまごころです。それを「至誠」と申します。この偽りのない誠の心をよりどころとして欲しいと願います。そんな思いで皆さまに「至誠」の二文字を色紙に揮毫しましたのでさし上げたいと思います。
式典に先立ち 新成人ほか参列者で読経管長のご法話新成人代表のお二人より感謝の言葉大方丈前にて記念撮影:『至誠』の色紙とともに

2019年1月3日

大般若転読


 横田南嶺管長が元旦に仏殿にてお唱えになった歳旦の偈。

お正月の3が日は、開山堂と大方丈にて、大般若転読の祈禱の儀式が行われました。

開山堂での大般若転読の様子。


大方丈での大般若転読の様子。

2019年1月1日

僧堂 歳旦の儀式


 円覚寺僧堂では、元旦の2時半から歳旦の儀式が行われました。


杖を持ち、歳旦の偈(宗旨をうたった漢詩)をお唱えになる横田南嶺老師。


歳旦の偈。

賀扇三拝。

横田南嶺老師の新年にあたってのご垂示。


祝礼。梅茶と蓬莱(ほうらい)と呼ばれる柿、栗などのお菓子が出されます。

2019年1月1日

僧堂 新年初の朝課


 歳旦の儀式引き続き、新年初の朝課(読経)となります。


 韋駄天の前で読経する雲水。

 回向文を読み上げる雲水。

 寒さの為、読経中は、白い息となる。

 魚鱗(木魚)を打つ雲水。

2018年12月27日

僧堂 餅つき


 今日は、夕方から、円覚寺僧堂では、毎年恒例の餅つきが行われました。

横田南嶺老師や雲水さんなどが、お正月に向けて、鏡餅や伸し餅を作りました。

四人一組で杵でのこねの作業。

せいろのもち米を均等にのばしています。

鏡餅を作る横田南嶺老師。

よいしょ!の掛け声の中、餅をつく雲水。

釜にお湯を足す雲水さん。


出来上がった鏡餅を整える。

釜からせいろを持ち上げる。


掛け声を掛ける雲水さん。


つきあがったばかりのお餅をきな粉、あんこ、大根おろしをつけて食べます。

2018年12月8日

成道会


 今日、円覚寺・仏殿では、10時から成道会(お釈迦様のお悟りを開かれた日を

記念する法要)が行われ、横田南嶺管長をはじめ、臘八を終えたばかりの雲水、和尚、また、多くの

一般参列者が集まり、法要が厳粛に営まれました。

管長が大定力で唱えた成道会の偈(宗旨をうたった漢詩)。

意訳

お釈迦様は、身を正して山のそびえるように坐ったが、まだ、迷いの夢から

目覚めてはいない。

 臘月の明け方に明星をご覧になられた。その星のきらめく光が澄み渡って、

お釈迦様の眼に届いて悟りの眼が開けた。

 山を下りてきてみれば、なんとどこもかしこもすばらしい香りに満ちている

ではないか。

2018年11月1日

釈宗演禅師100年遠諱法要④ 午前11時 半斎@仏殿


 建長寺管長猊下や宗務総長様、円覚寺派の和尚様、円覚寺僧堂出身の和尚様方など

大勢の僧侶が参列をされました。

 典座(台所の役)など裏方の方々まで、この法要に関わった、全員入っている集合写真。

2018年11月1日

釈宗演禅師100年遠諱法要③ 偈(漢詩)


横田南嶺管長が釈宗演禅師100年遠諱に当たって、作成された偈。

法要中、偈を唱える横田南嶺管長。

偈の訓読。

北馬南船、身を惜しまず

東行西往、群民を度す

誰か知る、弘誓の海よりも深きことを

とこしなえに仰ぐ、楞伽の大願輪

意訳

宗演老師は、日本国内はもとより

遠く船で海外まで出かけて、わが身を惜しまずに

法を説かれました。

 今日は東、明日は西と多くの人々を導かれました。

宗演老師の人の為に尽くそうという弘い誓いは

海よりも深いものだ。

私たちは、永久に楞伽窟宗演老師の大きな願いの心を

仰ぎたてまつります。

2018年11月1日

釈宗演禅師100年遠諱法要② 午前11時 半斎@仏殿


 大方丈にて、仏殿での法要を待機している横田南嶺管長。


 仏殿に向かって勅使門を通過する管長一行の行列。


 

仏殿正面に建立されている角塔婆。

午前11時 半斎(釈宗演禅師にお膳をお供えする儀式)開始。


 壇上にお茶をお供えしに行く侍者役の雲水さん。

2018年11月1日

釈宗演禅師100年遠諱法要① 午前6時 祝聖・献粥@仏殿 


午前6時 祝聖(国家の安泰を祈る儀式)開始。

 宗務総長をはじめ、参列している和尚様方。

 祝聖引き続き、献粥(釈宗演禅師に朝食をお供えする儀式)に。


 仏殿での儀式が終わり、次の会場である舎利殿へ移動する和尚様方。

 午前6時半過ぎ 舎利殿にて祖塔(開山・無学祖元禅師の廟所)諷経。 


 舎利殿横にある釈宗演禅師の墓前にて焼香、読経。

ページのトップへ戻る