2019年4月22日

三井記念美術館 鎌倉禅林の美 円覚寺の至宝展 開催挨拶

 4月20日から日本橋の三井記念美術館にて「円覚寺の至宝展」が開始しました。

詳細はこちらへ「円覚寺の至宝展」

前日のレセプションでの横田南嶺管長による開催挨拶です。展覧会の目的や見どころを

提唱されています。

 【この三井記念美術館のある日本橋から、銀座にかけての広い土地は、もとは江戸前島と呼ばれ、徳川幕府が開かれるまで円覚寺の所領でありました。

徳川家康公が江戸に入る時に、豊臣秀吉公は、家康公に対し、円覚寺の所領に手を付けないように言い渡したのですが、

家康公にすぐに奪われてしまったのでした。

 そんな因縁のある土地で、この度円覚寺の至宝展を開くというのは実に不思議なめぐり合わせでございます。

 家康公に所領を没収されたことやその他の事情もあって、江戸時代に円覚寺は荒廃してゆきました。

もはや、その荒廃も極に達したかに思われた時に、円覚寺を再興されたのが、この度二百年遠諱を迎えます大用国師こと、

誠拙周樗禅師でありました。

 せっかく誠拙禅師が江戸時代の末期に再興されたのですが、明治維新になり、廃仏毀釈も起こって、

円覚寺は更に大きな打撃を受けました。

 そんな中を、単に円覚寺や国内で活躍するのみでなく、広く世界に禅を弘める端緒を開いたのが、

この度百年遠諱を迎えます釈宗演老師でありました。弱冠三十二歳で円覚寺の管長になり、

シカゴの万国宗教会議に出て、初めて西洋の人達に仏教を説き、後にはアメリカ、ヨーロッパを巡錫して禅を説かれました。

その時に通訳として随行したのが鈴木大拙先生でした。

 釈宗演老師のもとには朝野の名士達が参禅に訪れ、円覚寺は関東に於ける禅の一大道場として今日に到りました。

 その円覚寺に伝来する宝物を展示する特別展を、三井記念美術館のご尽力と、読売新聞や鎌倉国宝館のお力をいただいて開催することができました。

厚く感謝致します。

 今回の展覧会では、三井記念美術館の清水真澄館長が特に、円覚寺の開創と華厳禅とのかかわりに注目してくださいました。

実に円覚寺の開山仏光国師の禅は、華厳の教えがもとになっています。今この場で華厳の禅とはどのようなものかを語る時間はございませんが、

私ども円覚寺におります者も、改めて華厳の教えを見直させていただくことができました。

 また、展示の見所と致しましては、円覚寺には開山仏光国師が南宋から持って来られた、青磁器や堆黒堆朱と呼ばれる、

世界にも数が限られているような名品が伝わっています。私どもも普段寺では目にしてきましたが、この三井記念美術館に展示していただくと、

より一層すばらしく拝見することができます。 更に、禅宗においては、仏像も大事に致しますが、

何といいましても仏法を体得して伝えてきた祖師を大事に致します。その祖師のお姿を写した頂相彫刻が数多く伝わっています。 

 とりわけ、今回は建長寺様のご協力をいただき、建長寺の開山大覚禅師蘭渓道隆禅師の頂相彫刻を出展していただきました。

建長寺の大覚禅師と円覚寺の仏光国師とが、並んで鎮座されています。この両祖師が並んだお姿を目にすることは滅多にない機会であります。

私も先ほど拝見させていただき、両祖師の前に立ちますと身の震える感動が致しました。

 その他にも高峰顕日、夢窓疎石など仏光国師法縁のすばらしい祖師像もございます。

どうぞ、このあと皆さまにも円覚寺及びご縁のお寺に伝わる名品の数々をご覧いただきたく願います。

 最後に申しあげたいことは、禅というのは単に今回陳列されているような過去の遺産ではありません。禅の教えは今現在も脈脈と受け継がれ実践されています。

そんな様子は映像でご覧いただくようにしています。

 禅は現在にも息づいて、そしてこれからの世の中においても多くの人の心の支えとなる教えでもあります。

少しでも禅の教えに触れていただく為に、会期中に坐禅会、法話会、講演会、そして僧侶と共に語り合う座談会なども企画しております。

宝物ばかりでなく、現在に生きて、これからの心の支えになる禅の教えにも触れていただいたならば、主催者と致しまして幸甚でございます。】

2019年4月13日

大用国師誠拙禅師200年遠諱法要 半斎


 一昨日、4月11日に円覚寺では、大用国師誠拙禅師200年遠諱法要 半斎が

行われました。

 大用国師は、江戸時代後期に円覚寺を中興されたお方です。


大用国師に縁のある、京都などの各本山の管長猊下をはじめ、

和尚などが大勢集まり、盛大に儀式が営まれました。


 大用国師誠拙禅師200年遠諱事業は、まだ、続き、4月15日からは、授戒会が始まり、

さらに、4月20日からは、日本橋にある三井記念美術館にて「円覚寺の至宝」展が開始されます。

2019年4月10日

大用国師誠拙禅師200年遠諱法要 宿忌


 今日、円覚寺仏殿では、午後4時から、大用国師誠拙禅師200年遠諱法要宿忌が

行われました。

大用国師誠拙禅師は、江戸時代後期に円覚寺を中興されたお方で、

今年は、国師がお亡くなりになって200年の記念の年に当たります。

 円覚寺では、法要、授戒会、展示会など多数の遠諱記念事業を行っています。

お供えする茶湯器を薫じる横田南嶺管長。


 五侍者。

宿忌には、円覚寺派などの和尚様が参列されました。

2019年4月8日

降誕会


 今日は、10時から、仏殿に於きまして、

降誕会(お釈迦様のお生まれになった日を祝う法要)が

横田南嶺管長をはじめ、和尚、雲水らが出席し厳かに営まれました。

横田南嶺管長による降誕会の偈(宗旨をうたった漢詩)

意訳

 草が香ばしく、青々と生い茂って、春の気配が催してきた。

ルンビニーの園には、たくさんの花が咲いている

お釈迦様はお生まれになってすぐ七歩進まれて、天と地とを

指さされ、天上天下唯我独尊と仰せになったが、

その一語はあたかも雷のように響き渡った。


 

2019年3月17日

花園大学卒業式 三月十六日 総長祝辞

本日はご卒業おめでとうございます。新しい元号に変わるという新しい時代に旅立ってゆかれる

皆さまに心よりお祝い申しあげます。

花園大学は仏教の中でも、臨済宗、臨済禅のこころを建学の精神としています。

臨済という方は、恒に自ら主体性を持って生きるように説かれました。

どんなところであろうと、そこで自ら主体性を持って生きてゆくことが、

真実の道だと説かれています。
 
最近、ある書物を読んでいてこんな言葉が目に入ってきました。

「アメリカ合衆国から自分第一(ファースト)という個人主義が

輸入されて恐ろしい勢いで跋扈しはじめた。

この思想の勢いは防止することができない。

ナニモ個人主義カニモ個人主義といちいち自己を中心にして割り出す。

これが高じてくると危険思想にもなるのです。」 というものであります。

 これは今読んでも何の違和感なく受け入れられるのですが、実は今からちょうど

百年前一九一九年に出された本にある言葉です。

著者は、本大学の第二代学長である釈宗演老師という方です。

百年前から自分ファーストという言葉を用い、個人主義の危険性にまで指摘さられていることに驚きました。

自分を大事にすることは必要ですが、あまりに自分ファーストでは行きづまります。

 釈宗演老師は、「自分ファースト」という思想に対して、日本人の思想として

中心にならなければならないのは感恩の精神、

おかげさまと恩に感ずることと説かれています。

 自分一人で生きているのではない、大自然の恵みや、

多くの人のおかげさまで生きていらえると気がつくことによってこそ、

大きな力を得られるものであります。

 どうぞ、このおかげさまでという心を持っていただきたいと思います。

そして皆さまに前途洋々たる未来の開かれんことを願っています。

2019年3月7日

大用国師誠拙周樗禅師二百年大遠諱報恩大摂心


三月四日から、円覚寺僧堂において大用国師二百年の大遠諱の報恩大摂心が行われています。

関東地方の僧堂、建長寺、瑞巌寺、平林寺、龍沢寺、臨済寺向嶽寺、の六つの僧堂の雲水が

集まって摂心を行っています。

五日には、大用国師の語録『忘路集』を開講して六日には鎌倉市内を托鉢し、

夢窓国師のお寺である瑞泉寺様にお参りしました。

そのあと点心を東慶寺様でいただきました。

2019年2月15日

涅槃会


 今日、円覚寺仏殿では、横田南嶺管長をはじめ、和尚、雲水が参列し

涅槃会(お釈迦様のご命日法要)が厳かに営まれました。

涅槃会にあたって横田南嶺管長が作られた偈(宗旨をうたった漢詩)。

意訳

 あらゆる徳を具え、光り輝く身体をもった

お釈迦様は、この日にお亡くなりになった。

 人間界も天上界も皆悲しみにくれた。

 しかし、涅槃の道には、生まれることも死ぬこともない。

寂滅の場である沙羅双樹には、また、春が来て花が開くであろう。

2019年2月4日

僧堂 沢庵漬け


 今日、円覚寺僧堂では、午後3時頃から、沢庵漬けの作務が行われました。

この大根は、1月に行った三浦半島での大根托鉢で供養いただいたもので、

現地の円覚寺派のお寺の境内で数週間、干させていただいた後、

今日、軽トラックでそれを取りに行き、僧堂に搬入をしたものです。

大根のへたを切る作業をする雲水さん。


横田南嶺老師が、大根をきれいに敷き詰め、ぬかをかけて、段々に積み重ねていく

作業をしています。

ぬかに入れる塩の量で、塩分が多く長期保存が可能な長漬け、中漬け、浅漬けと

3種類の樽を作っていきます。


 添加物や保存料が一切入っていない沢庵漬けは、素朴な味でとても美味しく、

1年を通して、僧堂の食事に出されます。

2019年1月14日

成人式を迎えられた皆様へ (管長よりお祝いの言葉)

【「成人祝賀の会」が1月14日に円覚寺大方丈においても開かれました。以下は、横田南嶺管長より成人式を迎えられた皆さんへ贈られたお祝いの言葉です】

成人式の法話

 皆さん、成人おめでとうございます。本日は多くの方からおめでとうとお祝いいただいていると思います。私達も心からお祝い申しあげます。
 不思議なこともあるもので、最近自分の勉強の為にと、茨木のり子さんの詩集を読んでいました。すると、今ちょうど読んでいた詩が、今朝の毎日新聞のコラムで新成人に送る言葉として紹介されていたのです。全くの偶然ですが、こういうこともあるものです。
 どんな詩かというと、一部紹介します。

 大人になるというのは
 すれっからしになるということだと
 思い込んでいた少女の頃
 立居振舞の美しい発音の正確な 
 素敵な女の人と会いました


 という一節から始まります。大人になるということは、経験を積んで人格を完成させるというよい意味と共に、純粋さを失って世間に馴れてしまうと悪い意味で使われることもあります。「すれっからし」というのは、世慣れした悪い意味です。 でも詩人の茨木さんは、ある女性との出会いから教えられたというのです。何を教えられたかというと、

 初々しさが大切なの 
 人に対しても世の中に対しても
 人を人とも思わなくなったとき 
 堕落が始まるのね
 堕ちてゆくのを
 隠そうとしても 
 隠せなくなった人を何人も見ました


 何事も慣れるということは大事ですが、初々しさを失ってしまうと、大切なものを見失ってしまうことになります。そこで次のように茨木さんは詠いました。

 大人になっても
 どぎまぎしたっていいんだな
 ぎこちない挨拶 
 醜く赤くなる 失語症 
 なめらかでないしぐさ
 子どもの悪態にさえ傷ついてしまう 
 頼りない生牡蠣のような感受性
 それらを鍛える必要は
 少しもなかったのだな


 という事に気がつかれたのです。そして更に言いました。

 あらゆる仕事 
 すべてのいい仕事の核には
 震える弱いアンテナが隠されている 
 きっと……


 初々しい、純粋な心を失わないでいることが大切だと思います。慣れてきて純粋さを失うことが大人になることだとは思って欲しくありません。

 新聞のコラム記事には、もう一つ茨木さんの詩が紹介されていました。
「倚(よ)りかからず」という七十三歳の時の詩です。

 もはや できあいの思想には倚りかかりたくない
 もはや できあいの宗教には倚りかかりたくない
 もはや  できあいの学問には倚りかかりたくない
 もはや いかなる権威にも倚りかかりたくはない
 ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい
 じぶんの耳目じぶんの二本足のみで立っていて
 なに不都合のことやある
 倚りかかるとすれば それは 
 椅子の背もたれだけ


 という詩です。私どもは禅の教えを学んでいるのですが、この詩は禅の教えにも通じるところがあります。既存の思想や宗教など、なにものにも寄りかからずに、自分の目で見て自分の耳で聞いて、自分の足で立つのです。寄りかかるのは椅子の背もたれだけだと茨木さんは詠いましたが、その背もたれにも寄りかからずに、腰骨を立てて姿勢を正して生きてまいりたいものであります。

 姿勢を正して、心のうちからあふれてくるのがまごころです。それを「至誠」と申します。この偽りのない誠の心をよりどころとして欲しいと願います。そんな思いで皆さまに「至誠」の二文字を色紙に揮毫しましたのでさし上げたいと思います。
式典に先立ち 新成人ほか参列者で読経管長のご法話新成人代表のお二人より感謝の言葉大方丈前にて記念撮影:『至誠』の色紙とともに

2019年1月3日

大般若転読


 横田南嶺管長が元旦に仏殿にてお唱えになった歳旦の偈。

お正月の3が日は、開山堂と大方丈にて、大般若転読の祈禱の儀式が行われました。

開山堂での大般若転読の様子。


大方丈での大般若転読の様子。

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