2017年12月10日

管長 12月・日曜説教会 映像

今日、円覚寺・大方丈にて行われた横田南嶺管長による

日曜説教会の映像です。

横田南嶺老師が兼務をしている東京・白山にある龍雲院の檀家さんでも

あった教育者・岡本先生のお話や、法華経に出てくる常不軽菩薩のお話を

されています。皆さま、ぜひ、ご覧ください。

 

2017年11月13日

管長 11月・日曜説教会映像

 昨日、円覚寺・大方丈にて行われた管長・横田南嶺老師による

法話の映像です。

最近、管長が坂村真民さんの詩選集を新刊されましたが、

管長のご意向で今回、この説教会の参加者全員約450名の方々に

無料で配布されました。

 皆様、ぜひ、ご覧くださいますように。

2017年10月8日

管長 10月の日曜説教会法話映像

 今日、円覚寺・大方丈にて行われた横田南嶺管長による日曜説教会の映像です。

スタンフォード大学でマインドフルネスを教えているマーフィー重松先生の話などを

されています。

 皆様、ぜひ、ご覧になってください。

2017年4月9日

管長 4月の日曜説教会 映像

今日、円覚寺・大方丈にて行われた横田南嶺管長による日曜説教会の映像です。

 後半部分で、横田南嶺管長による鍵山秀三郎先生への質問と

それに対する鍵山先生がお答えした内容のエピソードなどを

お話されています。皆様、ぜひ、ご覧になってください。

2016年12月11日

管長 12月の日曜説教会 映像

 今日、円覚寺・大方丈にて行われた日曜説教坐禅会の映像です。

今回も、この寒い季節にもかかわらず、500人近い方々が集まりました。

 キリスト教の女性と結婚した在家居士の結婚式に出席されたお話や

坂村真民さんの詩を例に上げて、大切なことは、どんな宗教に属して

いるかではなく、どんな生き方をするかなどをお話されました。

2016年4月10日

管長 日曜説教会 映像

 今日は、円覚寺派管長・横田南嶺老師による日曜説教会が大方丈にて

行われ、500人に近い老若男女が集まりました。

 また、横田南嶺管長による、その場で揮毫入りの新刊本の販売が

行われ、220冊以上を参加者の方がお求めになりましまた。

2015年8月9日

感謝の極みに

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ーしいちゃん 総門入口にてー

今日の日曜説教会で横田南嶺老師が提唱されたことをまとめてみました。

 生かされていることに感謝をしましょうといつもみなさんに申し上げて

いますが、実際に私を含めてどれほど深く感謝が出来ていますでしょうか。

 感謝よりも普段の生活の中では、ほんのわずかな自分の思うようにならない

ことがあるとそれに対して不平不満ばかりを言って暮らしていないでしょうか。

 ガンになり幼い子どもを残して亡くなったお母さんと手紙のやり取りをして

いました。その方の手紙に「どんな病気でもどんなに苦しくても、今、私は

生きています。それがすべての答えであります。」という言葉がありました。

 私は今一度、この言葉をかみしめて、生まれたことの不思議、今こうして

生きている、生かされていることの不思議を味わってみたいと思います。

 さて、お盆という行事は、目連尊者が自分のお母さんを供養したいという

思いから始まりました。目連は、お母さんが餓鬼の世界に堕ちてしまって、

それを救うにはどうしたらよいかとお釈迦様に相談されてました。

お釈迦様は、「みんなの力で供養をすれば、あなたのお母さんは救われる」

と仰せになりました。

 それでは、私たちは、この話から何を学べば良いのでしょうか?

お経の話には、それぞれ深い意味があります。

 最近、若い和尚さんのお説教を聞く機会があり学んだことがあります。

それは、目連のお母さんが餓鬼の世界に堕ちたということは、母親は

たとえ自分がどんなに飢えて、どんな苦しもうともわが子が立派に

成長すればよいという親の愛情、深い思いを表しているということでした。

 また、母を供養することは自分一人でできない、みんなの力を合わせて

供養しなさいとお釈迦様が仰せになったのは、人は一人の力ではなしに

大勢の力をいただきながら生きていることができることを表していると

いうことも学びました。

 今日、紹介した幼い子どもを残して亡くなったお母さんの思いも

目連のお母さんの思いと同じで「たとえ、わが身がどんな病気で苦しもうとも

この子だけは幸せに生きてもらいたいという一念の愛情であると思います。

 あとに残された人たちは、家族や身内や近所の人など大勢の方々の力に

支えられて生きていくことができる。そのようなことの思いが込められて

いるのがこのお盆のお施餓鬼の意義なのだと学びました。

 私が察するに、この若くして幼い子どもを残して亡くなったお母さんは、

ガンという重い病気に蝕まれているという、自分の置かれた状況に対して

不平不満を言わずに感謝をして受け止めたのだと思います。

そして最期の最期まで今生きていられるということに感謝を

していたのだと。

 そしてその感謝の果てにきっと一つの真理に目覚めたのではないかと

思われてなりません。感謝の極みには、必ずこの愛情というものが

あふれてくるものであります。仏教の言葉では、それを慈悲と言います。

 幼いわが子に対する愛、旦那さんに対する思い、育ててくれた両親に

対する愛情。それら愛情や慈悲の心は決して死にはしない、なくなりは

なない、不滅であるという真理にこのお母さんは到達したのではないか

想像されるのです。

 仏心は生き死にを超えて生き通しである。仏心というと少し遠いことの

ように思いますが、お釈迦様はあたかも母親が自分の命をかけてわが子を

守るような心、そういう思いやり、いくつしみのこそ仏心であると

親切にお説きになりました。

 仏心は永遠に死ぬことはなく、ずっと生き通しに生きている世界です。

それが、坂村真民先生が「私が死んでも、花が咲いていたらそれが私かも

しれない。蝶が飛んでいたらそれが私かもしれない、私はいたるところ

いろんな姿をして生き続ける」という内容の詩で表現されている世界です。

 感謝の極みは、愛情の気持ち一つになる。この愛の心は死ぬことがない。

この体はたとえ朽ち果てようとも、あらゆる姿形になってわが子を守り

続けるんだとという真理にこのお母さんは目覚めたのだと私は信じたい。

 こうして私たちがめぐり合うことができるということはどんなにか

有り難いことであるか。このお母さんも最期のとなる手紙にいたるまで

元気になって円覚寺に来て直接お話を聞きたいと願っておりましたが

かないませんでした。

 また、もっと生きたいと思っていてもそれさえもかなわない大勢の人たちも

います。そういう中でこうして私たちは生きて生かされています。

 いろいろなお世話になった人たちのことを思うのと同時に生きたくても

生きることがかなわなかった大勢の人たちの思いを汲んで、私たちは

精一杯、一日一日を生きねばなりません。それこそが亡くなった方への

一番の供養であるとしみじみと思うのであります。

2015年8月7日

肚を据える

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 円覚寺の境内には、高砂百合が咲き始めました。護国塔にて。
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妙香池にて。

 横田南嶺老師が日曜説教会(6月14日)で提唱されたことをまとめてみました。

南禅寺の柴山全慶老師の言葉があります。「何も悩まない、苦しまないと

無理に力む必要はない。むしろ、どんなに苦しもうと一点の疑いなく肚が

据わっていることだ。そうであるならば、どんな死に方を迎えようとも、

それは一段の風流である。」

 それでは、どんと肚が据わるとはどういうことでしょうか?

 松原泰道先生は、大勢の前で話をするときなどに緊張しない、あがらない方法は

何かについて言及されています。緊張しないように、あがらないように努力する

よりも、あがっても良いのだと肚を据えなさいと仰せになっています。

 仏心の教えも同じです。みんな仏様のいのちに帰ると聞いたからといって

それで安心して、安らかな気持ちになって、さも、平然としていることでは

決してありません。

 上がっても良い、苦しんだって良い、悲しんだって良い。どんなに緊張しても

どんなに苦しんでも、どんなに悲しんでも、それは全部仏心の中だと受け止める

ことができれば、本当に肚を据えることであります。

 悲しまずに平気でいることは無理なことです。泣いたって良い、叫んだって良い、

それが全部、柳宗悦の歌のように「吉野山、転びてもまた花の中」と受け止めることが

一番、肚を据えるということではないでしょうか。

 松原泰道先生の話にはもう一つ落ちがあります。話をする時はいくらあがってしまって

良いといっても、緊張して思うようにいかなくて失敗することがある。しかし、

死ぬということは大丈夫だ。必ず死ぬから、力む必要はないと仰せになりました。

 生きている時というのは、お互い、命のある限り精一杯、一日一日を生きて

参りたいと思います。与えられた命、賜った命です。 

 松原先生はまた次のようなことも説かれいます。「小さいことでも少しでも

悪いことを避けて、善いことにつとめる。どんなささいなことでも人には

良くしてあげよう。これが御仏の教えであります。」と。

 少しでも人様のお役にたてることができるように精一杯努めることが

肝心です。そうしたうえで、もし、何らかの事情でお迎えがきた時が

松原先生が申しておられるように「有り難うの一言が周りを明るくする、

おかげさまの一言が自分を明るくする」を実践をする時であります。

 「有り難う」「おかげさま」、これが仏様の精神です。どんなに

悲しんでも、どんなに苦しんでも、どんなにもだえようとも、

そこが御仏の真っ只中であり、どこにいても「吉野山、転びても

また花の中」であります。このことだけは、肚に据えて一日一日を

つとめて参りたいと思います。

<お知らせ>

 明後日、8月9日(日)は、日曜説教会(場所 大方丈)が開催されます。

9:00~10:00 法話(円覚寺派管長・横田南嶺老師)

10:00~11:00 坐禅

 どなたでも参加することができ、毎回、500人に近い老若男女が

参加されています。

 皆様のご来山を心よりお待ちしております。

2015年8月6日

ささやかな幸せに

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ー居士林の有志の方々が集まって布団を干してくださいました。 居士林にてー

 横田南嶺老師が先月の日曜説教会(7月12日)で提唱されたことをまとめてみました。

心療内科医の海原純子先生が新聞に次のようなことを書いていらっしゃいました。

{毎日、寝る前に心の中で「有り難う」と感謝をすること。それはその日にあった

些細なことでよい。今日お昼お弁当がおいしかったとかいれていただいたお茶が

美味しかったとか・・・一つ一つ思い出して、それに対して短い感謝の言葉を

心の中で唱えてみる。そうすると気分がすっきりして爽やかな心になれる。}

 私たちは、ほんの一つか二つ自分の思うようにいかないことがあると

まるで、周りのすべてが闇になって不幸のどん底に落ちたように思いがち

です。しかし、冷静に考えてみると結構、身近なところに幸せなことが

たくさんあふれています。

 それに気が付かずにほんの一つか二つの気にいらないことに憎しみの

心を起こしてしまい、それをどうにか抑えよう抑えようとするのですが

それが難しい。

 ですから、それら気に入らないことや憎しみの心に目を向けるのではなく

もっと、冷静に自分の周りを見てみると、朝日が昇っていくきれいだなとか

今朝のお茶は美味しいなとか、健康に散歩をすることができて幸せだ・・・

など実は有り難いことが日常にはたくさんあふれていることに気が付く

はずです。
 
 昼間は、仕事など忙しくてなかなかそういうことに目がいかなくても

せめて寝る前は、憎しみの心は置いといて、身の回りの些細な

ことを思い出して「有り難い、有り難い」と心の中で繰り返していると

心は穏やかな、和やかな心になり、周りに対しても慈悲の心に育って

いくものです。

 戦後70年と言われます。今こうして生きている私たち一人一人が

次の世代に何を伝え残していくのか?大きな責任を持っています。

新聞紙上に少しでも暗い事件が載らないように少しでも明るい言葉で

うめられるように、まずお互いの心をささやかなことに感謝する心に

慈悲で穏やかで和やかな心となるようにして、その心を次の世代へ

伝えていきたいものであります。

2013年10月14日

母は観音様

10月14日(月) その2
 横田南嶺管長が昨日の日曜説教会で提唱されたことをまとめてみました。
 お釈迦様は、「あたかも母親が自分の子どもをいのちをかけて守るような
そんな気持ちで、あらゆるいのちあるものに接しなさい。あらゆるいのちに
対していくつしみの心を起こす。立っていても、坐っていても何していても
この慈悲の心を失ってはならない」とお説きになっています。
 坂村真民さんにしても相田みつをさんにしても、お二人の根本には
そのお母さんからいただいた愛情があるのだと思います。そのお母さんの
思い・念を伝えたくてたくさんの詩を書いたのだと思うのです。
 相田みつをさんに母のような観音様の心をわかりやすく表現した詩があります。
長い詩ですのでその一部を紹介します。
『二人の門出のために』
どんな話でも どんな悩みでも
だれかれの差別なく
    
「ふうん、そうか、それは大変だろうな……」
    
「さぞ苦しかったろうなあ……」
    
「痛かったろう……こんなになって……」
   
 と、相手の立場になりきって
    
親身に聞いてくれる人
    
それが観音さまです
    
自分のことはいつもあとまわし
    
常に他人(ひと)の幸せを願って生きている人
    
人のために人のためにと
    
ただ黙って動いている人
    
それが観音さまです
    
だから観音さまのまわりには
    
人がいっぱい集まるんです
    
浅草の観音さまのように・・・
 こういう観音様のような素晴らしい心を私たちは生まれながらに
いただいているのです。いのちのバトンという言葉がありますが、
私たちが次の世代に伝えていかなくてはならないものはとは
この観音様の心なのではないでしょうか。
 自分の生きている間にこの観音様の心をしっかりと受け止めて
次の世代に手渡していく。母が自分の子どもを守るようないくつしみ、
まごころというバトンを次世代に伝えていく、その為に我々の一生涯は
意味があるのではないでしょうか。
(後記)
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妙香池に降り立ったサギ 

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