2017年8月13日

管長 8月日曜説教会法話 映像

 今日、円覚寺・大方丈にて行われた管長・横田南嶺老師による

日曜説教会の映像です。今回も500名近い方々がお話を聴きに参加されました。

横田南嶺老師は、お盆にちなんで、亡き人を偲ぶ方法をわかりやすくお話されています。

 皆様、ぜひ、ご覧ください。

2017年7月9日

管長 7月日曜説教会 映像

 
 参加者全員に配布された「わたしの観音様(延命十句観音経)」

横田南嶺老師が内容を書かれ、コンパクトサイズで、お守り兼お経の本となっています。

 今日、円覚寺・大方丈にて行われた円覚寺派管長・横田南嶺老師による

日曜説教会の映像です。

横田南嶺老師が直接、ノーベル賞受賞者・大村智先生から聞いた

大村先生と「延命十句観音経」との深い縁のエピソードや

 突然、大きな病気を宣告され、入院・手術をした和尚様の

心の支えとなった「延命十句観音経」の話などをされています。

 

2017年6月11日

管長 日曜説教会映像

今日、円覚寺・大方丈にて行われた横田南嶺管長による日曜説教会の映像です。

横田南嶺管長が先日、PHP出版の方の取材を受けた時のエピソードをお話されています。

イライラした時の心の対処の仕方などを具体的にわかりやすく諭されています。

 皆様、ご覧くださいますように。

2017年5月14日

横田南嶺管長による5月の日曜説教会 映像

 今日、円覚寺・大方丈にて行われた横田南嶺管長による日曜説教会の映像です。

 臨済禅師とその師匠の黄檗禅師とのエピソードに「臨済栽松」という話があり、

その中に「山奥になぜ松を栽(う)えるか?」という質問があります。

 横田南嶺管長は、法話の最後に相田みつをさんの「松の木の皮」という詩を

引用して、その答えをお説きになっています。

2016年11月13日

管長 11月日曜説教会 映像

 今日は、円覚寺・大方丈に於きまして、円覚寺派管長 横田南嶺老師による

日曜説教会が行われ、今回も500人近い方々が集まりました。

皆様、ぜひ、ご視聴くださいますように。

2016年9月11日

管長 9月日曜説教会映像

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今日は、円覚寺大方丈に於きまして、横田南嶺管長による日曜説教会が行われ

今回も500人近い大勢の方々が参加をされました。動画は、↓です。ご覧ください。

2016年8月30日

管長 第四日曜説教会映像

 先日28日に行われた日曜説教会での横田南嶺老師による法話映像です。

通常、第四日曜日の日曜説教会は、円覚寺派布教師の和尚様が月替わりで

行いますが、今月は、特別に横田南嶺老師がお話をなさいました。

 皆様、ぜひ、お聞きになってください。

 今回の日曜説教会には、関東致知若獅子の会(人間学の月刊誌「致知」の読書会)の

若者30数名も参加され、坐禅終了後、横田南嶺老師との懇談会が行われました。

2016年8月14日

管長 日曜説教会 映像

 今日は、円覚寺・大方丈において、横田南嶺管長による日曜説教会が行われ

500人に近い方々が参加をされました。皆様、ぜひ、ご覧になってください。

2016年7月10日

管長 7月・日曜説教会の映像


 
 今日は、円覚寺・大方丈において、横田南嶺管長による日曜説教会が行われ

500人に及ぶ大勢の方々が参加をされました。

 横田南嶺管長は、明後日の7月12日が円覚寺に縁が深い

鈴木大拙居士の没後50年ということで、大拙居士について

お話をされています。

 管長が以前、NHK「こころの時代」の聞き手である金光寿郎さんに

お会いした時に、「番組が始まって60年、数多くの宗教者や学者に

取材をしてきましたが、一番の人は誰ですか?」と尋ねると、金光さんは

「それは大拙先生」と即答をしたというエピソード。

 また、大拙先生に御付きの方が「阿弥陀様の本願は何ですか?」と尋ねると

先生は、窓の外を指さして「本願が昇ってきたよ。」と言われた。そこで

御付きの方が、窓の外を見るとちょうど朝日が昇っている光景が広がってた

などのお話を紹介されています。

 横田南嶺管長は、最後のまとめで「よく坐禅をなさる人は、今の自分に

足らないものがあると思い込んで、今よりももっと何か特別な力、例えば

いつも動揺しないとか、特別な能力を身につけたいと思われる方も

いらっしゃると思います。

 決して、それは否定するものではありませんが、確かに静かに坐禅をする

ことで冷静に判断することができるようになるかもしれない。

 しかし、もっと大切なことは、もっと単純なことであって、

今、こうして坐っている、今、こうして生きている、今、こうして

血が通って私は生きているんだというこのこと自体の素晴らしさに

気が付くことであります。

 様々な呼吸法がありますが、それらを詮索するよりも、この呼吸を

していること自体が素晴らしい仏様のいのちである、仏様の願いが

今の呼吸に表れている、この呼吸に生きていると感じることが大切です。

 ところで、私は以前お会いした数年後に、金光さんに「それでは、

2番目は誰ですか」と尋ねました。金光さんは、竹部勝之進さんという

在家の詩人の方を教えてくださいました。

 私が注目をしたのは、「わが身に頭が下がる」という言葉です。

わが身に頭が下がる人は、何ものもおそれない。老いようが病気に

なろうが、死を迎えようが。自分のこの体を有り難い、自分のこの

いのちを有り難いと心から頭が下がると何ものも恐れない。

 この体が仏様、このいのちが仏様のいのち、それを賜って今、

生きているこのことの有り難さ、素晴らしさに気が付いた時に

恐れるもの、不安になるものは、消えてなくなると竹部さんは

詠っているのです。

 どうか、皆さんも、自分の手を見て、これは誰が作ったものでもない、

仏様の手、いのちなのですから、人様に親切にするように使わなければ

なりません。

 皆さんの目は、仏様の目でありますから、人の悪いところ見て批判する

目ではなく、人の良いところを見てあげる目でなくてはなりません。

 皆さんの耳も仏様の耳でありますから、人の悩み苦しみを聞いてあげる耳で

なくてはなりません。

 この仏のいのち、体を精一杯使っていこうというのが大切なところで

あります。」とお話をまとめられました。

2015年9月8日

仏様のような顔になりなさい。

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<酔芙蓉(スイフヨウ) 大方丈裏庭にて>

 横田南嶺老師が、先月の日曜説教会(8月23日)で提唱されたことをまとめて

みました。(昨日のブログの続きです。)

 生まれた時というのは、みんな仏様のような顔だったのにいつの間にやら

今のような眉間にしわを寄せて難しい顔になってしまったのか。

延命十句観音和讃の中の「むさぼりいかりおろかにも ほとけのこころ見失い 

さまようこぞあわれなる」の状態になってはいないでしょうか。

 鏡で自分の顔をご覧になる時に、お化粧やひげのことばかりではなく、

そこに親のいのちが伝わっている、親の面影がある、さらには、もともとは

仏様のいのち、仏様の顔であったと感じてみてはいかがでしょうか?

 穏やかな顔、明るい顔、素直な心になれば、みんな、きっと、誰一人、

例外なく仏様のお顔になるはずです。

 お隣の建長寺さんに開山・蘭渓道隆禅師の鏡が伝わっています。この鏡を

見ると観音様の姿が映るという鏡です。これは、各々、一人一人が観音様の

いのち、観音様の心をいただいている、観音様のお姿が、本来の私たちの姿

であるということを表しています。

 松原泰道先生がお亡くなりになる前に、私に最後に言われた言葉があり、

今でも忘れられない言葉があります。車いすの先生が私の手をとって

言われたことは「明るい顔になりましたね。」でした。

 それは、「明るい顔、穏やかな顔、仏様のような顔になって生きよ!」という

先生の最後の教えであると受け止めています。

 明るい顔、穏やかな顔になるには、いかに深く感謝することができるか、

ここにかっかっているのではないかと思います。親、ご先祖様、仏様の

いのちをいただいているということに対する感謝の深さです。

 こういう話は、何回聞いたとか、何年通ったとかいうことが重要なのでは

なく、どれだけ深く感謝をすることができるかにかかっています。

 それがお互いの顔に表れてくるのではないでしょうか。鏡を見るたびに

思い出して欲しいことであります。

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