2018年9月25日

正義とは何か?

 先日、円覚寺派管長・横田南嶺老師は、ご自身が総長をしている花園大学で行われた

摂心で提唱をされ、また、学生達とともに坐禅をされました。その時に老師と学生との

間に印象的なエピソードがあり、そのことを老師が文章にされましたので掲載します。以下。

「彼岸会中の一日

花園大学の摂心に行ってきました。

丸一日朝から学生さん達およそ七十名と

坐禅して、お昼のおうどんを僧堂の作法に

準じて一緒にいただきました。

その間に、一時間ほど提唱という講義をしました。

提唱といっても、本格的にやると

禅堂で皆坐禅の姿勢のままに

漢文の語録を読むですが、

学生さん達相手ですので、

いつも講義で使っている教堂で

皆も椅子に坐って聴いてもらいました。

一日の坐禅が終わった後

花園禅塾の塾生さん達と懇談会を設けました。

提唱という一方通行ではなく、

学生さんの側から聞きたいことに答えてあげるという

試みでした。

はじめ緊張していた学生さん達も

だんだん慣れてきて、坐禅に関する質問や

自分の体調のこと、寺を継いでゆく不安など

率直な質問がなされました。

いよいよ終了の時間になって、質疑応答も終わろうかという時に

一人の学生が挙手して質問されました。

真剣なまなざしで、「正義って何ですか?」という質問です。

もう時間ギリギリであるし、しかも帰りの新幹線の時間も

決まっていますので

とても多くは語れません。しかし、真剣なまなざしを見ると

いい加減にも答えられません。

そこでとっさに、

「正義とは何か

ともて難しい問題です。簡単に答えれるものでもありません。

私もこの後急がねばならないので

これだけは、覚えておいて欲しい。

これだ正義だと思ったら、もうそれは正義ではないということです。

正義を振りかざすと、必ず争いになる。人を傷つけるのです。

正義だと意識したら、もう正義ではなくなっているのです」と答えたのでした。

さて、その学生さんはどのように受け止めてくれたでしょうか。

正義を求める純粋な心は美しいが、諸刃の剣もあります。

2018年7月11日

白隠禅師の毒

 
今日は、円覚寺専門修行道場(僧堂)では、講了を迎えました。

講了とは、雨安居(4~7月の修行期間)の講義の最終日です。

溽暑の中を坐り抜いた雲水さん。


以下は、今日の横田南嶺老師がされた提唱です。

「古来禅の修行は、荊棘(けいきょく)、即ちいばらの林の中を行くようなものだと言われます。

歩きやすい道ばかり選んでいるようでは駄目なのであります。

荊棘といういばらの道を進んでこそが修行です。そこで「荊棘林中一條の路」という

禅語もございます。

 北原白秋が、「からまつの林の奥も わが通る道はありけり 霧雨(きりさめ)のかかる道なり

山風のかよふ道なり」とうたいあげていますが、禅の修行は荊棘林中に一条の路を行くことであり、

そして「荊棘林中に活路通ずる」ものでもあります。

 それには、毒が大切なのであります。白隠禅の本領というのは、この毒にあります。

白隠禅師は、般若心経に註釈をして『毒語心経』という書を著しています。

また『荊叢毒蘂』という書物が白隠禅師の主著です。

 毒がなければ、人間は強くはならないのであります。そしてまた、毒こそが真の薬でもあるのです。

 毒によって、迷いの心を悉く殺し尽くすのであります。過去を思い悩んだり、

将来をあれこれ思惟して止まない心、人を分けて隔てる心、すぐに思い上がってしまう心を、

この毒によって殺し尽くすのであります。殺し尽くして始めて安居、安らかになるのです。

隻手の声を聞けというのも、無になれという無字の公案にしても、毒であります。

 この公案という毒を喰らって、あれこれと分別してやまない迷いの心を

殺し尽くすのが修行なのであります。

 白隠禅師は、毒にも薬もならないような、ただボヤッと坐って空しく時を過ごすことを

嫌いました。いばらの林の中をあえてかき分けてゆく、あえて毒を喰らうというのが白隠禅師の禅であります。

 暑い中ですが、暑いのが嫌だから涼しい処へ行こうなどいうのは、真の安楽ではありません。

この暑い中でどん坐ってこそ安楽です。」

講了にあたって、横田南嶺老師が作られた偈(宗旨をうたった漢詩)。

講義の最後に横田南嶺老師が偈をお唱えになって終了となりました。

2018年7月10日

信仰の力

 『武渓集』というような、禅の語録を読んでいて、天神さまを詠った漢詩がいくつも出てきて

不思議に思うかもしれません。昔は神仏習合であった名残でしょうか。

神さまも仏さまも一つとして信仰していたのでした。

 天神さまといえば、菅原道真公です。道真公が右大臣までなりながら、

讒言にあって太宰府に左遷されて、失意のうちに亡くなります。

その後、道真公の左遷に関わった者が次々と亡くなり、とうとう御所にも雷が落ちて死者がでました。

人々はみな道真公の祟りと恐れて、道真公を右大臣の位に戻し、天満大自在天神として

お祀りするようになりました。

 作家の童門冬二さんは、歴史を動かすのは怨みであると言われていますが、

怨念というのは恐ろしいものです。

 しかし、日本の神さまというのは不思議なもので、この怨念の道真公が神さまと祀られます。

そして学問の神さまとして信仰されるようになります。

 日本の臨済禅において大事な白隠禅師も、若い頃にどうしたら地獄の苦しみから脱せられるか悩んで、

母親から、あなたは丑年の丑月、丑の日丑の刻に生まれたから、天神さまと縁が深い、

天神さまを拝むようにと教えられて、一心に天神さまを信仰されました。

 天神さまは、本地仏が観音さまでありますので、白隠禅師は、天神信仰から

観音信仰へて転じてゆきます。観音さまを拝むことから法華経へとつながってゆき、

衆生はみな本来仏であるとの目覚めを得られます。そこから、ご自身が観音さまになって、

人々に広く『延命十句観音経』を弘められました。

 道真公の怨念が、天神さまになり、天神さまが観音さまになって、

白隠禅師の教えへと繋がっているのです。

 一念の怨みは恐ろしいものですが、これが神にも仏にもなる世界があるのです。

 白隠禅師なども、修行時代に幾度か挫折しそうになるのですが、

神仏を信じる信仰の力によって乗り越えておられます。

 この頃は、セルフコンパッションや自慈心などということの大切さが説かれていますが、

昔は、神仏を信仰することによって、神仏が見守ってくれているから大丈夫、

きっとよい方向に導いてくださると安心感をもって修行できたのでしょう。

神仏を信じることによって自然と自慈心が養われていたのだと思うのであります。

(横田南嶺老師 『武渓集提唱』より)

2018年7月9日

とっさのはたらきー関山慧玄ー

 京都の妙心寺を開山された関山慧玄禅師は、とても枯淡な暮らしをしていました。

ある時、雨漏りがして、禅師は寺で修行していた小僧さん達に、

何か器をもって来いと言いました。ある小僧さんは、とっさにザルを持って

差し出しました。禅師は、この小僧さんを大いに褒められました。

 ある小僧さんは、台所に行って、何か良い器がないかと捜して

桶を持ってきました。これに対して、禅師は、役立たずめと言って叱りました。

 常識で考えれば、雨漏りにザルは何の役には立ちません。桶の方がずっと役に立ちます。

しかしながら、禅ではそんな常識を重んじません。

その時、その場、何の分別もまじえずにとっさのはたらきを尊びます。

役に立つとか立たないというのは二の次なのです。

 でも、そうかといって、このマネをしたところで、

禅師から大目玉をくらうことは言うまでもありません。

 あくまでも、その時その場でどう動くか、心のはたらきが問われているのです。

(横田南嶺老師 『武渓集提唱』より)

2018年7月7日

ミカンの湯ー政黄牛のこと3

 ある禅僧が、政黄牛のもとを訪ねてきました。夜が更けたので、一晩泊めてもらうことにしました。

政黄牛は、きれいなお月様を眺めながら、世間の人達は、ただあくせくとはたらいて心が乱れるばかり、

こんなきれいなお月様を今見ている人は、いったい何人いるだろうかなどと話しかけます。

 客人は、そうだなと答えていると、政黄牛が、寺の小僧さんに、火をおこさせて、

何かを炙っているようです。客人は、ちょうどお腹が空いていたので、

これは晩ご飯をつくってくれているのだろうと思っていました。しばらくして、

小僧さんが、ミカンの皮を炙ったのを一碗の白湯に浮かべてもってみえました。

客人は、このいかにも風流なおもてなしに感嘆しました。なんと清々しいのだろうかと。

 お腹はふくらまないかもしれませんが、心が満たされるという、

そんなおもてなしもあるのだと思います。

(横田南嶺老師 『武渓集提唱』提唱より)

2018年7月6日

老師 コーネル大学生との問答⑦


 横田南嶺老師とコーネル大学生との問答の第7弾です。

学生: 私は、この日本来日のプログラムが終わって、アメリカに戻ったら、

    (就職が決まっていて)すぐに働き始めます。ですけれど、これから

    する仕事は、とてもペースの激しい仕事なので、余裕もなくなり

    また、競争的な環境で、周りを囲む人々も競争的で自己中心的な人々

    になると予想されます。

    ですから、自分も、その中で、自己中心的になったり、慈悲の心を

    失ってしまう傾向になるのではないかと危惧しています。

    働いているうちに慈悲の心を失ってしまわないように、これまで

    育んできた慈悲の心をどうやって維持したらよいでしょうか?

老師: 慈悲の心というものは、そのような競争の人々の中にいたからといって

    決してなくなるものではないと思います。次元が違うと言うのかな。

    そのような競争の中にあっても、慈悲の心自体は減らないものです。

    例えば、どんなに嵐が吹いても、月は動かないようなものだ。

    あなたが本来持っている慈悲の心は、お月様のようなものだ。

    競争だといって騒いでいるのは、下の方だけだ。

    だから、一度、気がつくことができたなら、慈悲の心には、いつでも戻れるのだ。

(平成30年6月17日 コーネル大学生との質疑応答より)

2018年7月6日

禅を説かずー政黄牛のこと2ー

 
ある人が、政黄牛に問いました。あなたは、禅師と呼ばれているのに、

どうして禅を説かないのですかと。

 政黄牛は答えました。「私は、無駄な言葉を弄ぶことが好きではないのだ。

言葉はどうしても回りくどくなってしまう。言葉に表してしまうと、

すでに真理とは隔てが出来てしまう。それよりも、大自然が真理を説いているではないか。

この大自然は、絶え間なく、然も尽きることなく、真理を説き続けているではないか」と。

 この政黄牛は、明月の晩には、大きなたらいを池に浮かべて、その中に乗って、

お月様を眺めながら、朝まで楽しんでいたと言います。

なんとも大自然に溶け込んだ良い境涯でありましょう。

2018年7月5日

老師 コーネル大学生との問答⑥

 
 横田南嶺老師とコーネル大学生との問答の第6弾です。

学生: 今、私は、学生で自分の生活自立に向けていろいろな勉強をしていますが、

    将来、必ず何らかの仕事に就かなければなりません。将来、仕事を選ぶに

    あたって、高潔で倫理正しい仕事をしたいと思っています。

    2つ質問があります。一つは、高潔な仕事は、どうやって選べばよいでしょうか?  

    もう一つは、禅の観点から、みんなの為、公益となる仕事とは何でしょうか?

老師: 高潔な仕事をどう選ぶかね・・・。なるほど、高潔だと思うことだな。

    ただ、これが難しくてね。世の中、本当に高潔というものがあるかという

    問題がある。高潔のように見えると必ず何らかの欠点があるし、欠点だらけの

    ように見えて、何か高潔であったり。

    私のわずかな経験から言うと、あまり高潔そうに見える場合は、気をつけた方がよい。

    人間は、必ず、欠点やほころびがある。それを完全に隠そうとしているよりも

    ちらほらと見えた方が安心感があると思います。

    それから、公共の為も同じ理論でね。完全に公共というのは難しい。

    特に外面を公共の為、みんなの為という言葉で飾っている場合は、あやしい。

    それというのも、人間には、どうしても避けがたい自我意識というものがあるから

    しょうがない。だから、本当にきれいなものは、少し薄汚れているという東洋の言葉

    がある。

    そんな中で模索をしていくしかないね。そして、試行錯誤を繰り返すうちに後になって

    高潔と言われる人になるのじゃないかな。高潔だけでは、高潔にならない。

    いろいろな泥水につかって、嫌な思いをしながら、キラッと光るものが出てくるのだろうね。

(平成30年6月17日 コーネル大学生との質疑応答より)

2018年7月5日

僧は、山中がよいー政黄牛のことー


 惟正(いせい)禅師(986~1049)という方は、いつも黄色い牛に騎っていたので、

「政黄牛」とあだ名されていました。身の回りの物を、牛の角にひかけて、

悠然と暮らしていました。

 ある時、役人に呼ばれて、役所で仏法について語り会っていました。

その役人から、「明日酒宴があるのですが、禅師が戒律を守っているのは重々承知のうえで、

あえてこの私に免じてお願いします。どうか、明日お出ましいただいて役人達に、

仏法の話を聞かせてください」と頼まれました。禅師は、よいだろうと肯いました。

 ところが、明くる日に、禅師は一つの漢詩を届けさせて、会合には出向きませんでした。

 その詩が

昨日、曽て今日を将って期す

門を出て杖に倚って又思惟す。

僧と為っては只まさに巌谷に居すべし。

国師筵中、甚だ宜しからず。

 意味を申しますと、「昨日は、今日の会に出ると約束したけれども、

あれから門を出て、杖に寄りかかりながら、考え直した。僧となったからには、

やはり山中の居るのよいと。国の名士達の集まりなどに出かけるのは、

やはりふさわしくない」という処です。

 この偈を、円覚寺の中興大用国師誠拙禅師は、よく墨跡に書かれています。

誠拙禅師は、松平不昧公をはじめ、当時の錚々たる知識人や文化人と交流がありますが、

この偈をよく書かれていることを見ると、心中では、僧はやはり山中にいるべきで、

世の人々の交わりなどは、ふさわしくないと思っていたのかもしれません。

自戒の気持ちで、この偈を書かれていたのだろうかとも思うのであります。

誠拙禅師の慚愧の心を思います。

(平成30年 横田南嶺老師 『武渓集提唱』より)

(後記)

 今日から、11日まで円覚寺僧堂では、制末大攝心(1週間の坐禅集中修行期間)となります。

横田南嶺老師をはじめ、雲水(修行僧)や居士・禅子(在家修行者)が禅堂に籠り

坐禅修行に精進しています。

2018年6月25日

命がけの問答


 唐代の禅僧に船子(せんす)和尚という方がいます。この僧は、薬山のもとで修行を終えて後、

船の上で暮らしていました。修行仲間だった道友に、もしも「これは」と思う禅僧がいたら、

私の処へ寄こして欲しいと頼んで、自身は船の上で思いのままに暮らしていました。

 或る日のこと、とうとう道友に紹介された僧がやってきました。

この僧と船子和尚は、船の上で問答しました。

 激しい問答のうちに、僧は船から水中に落とされてしまいました。何とか船に上がろうとする僧に

「さあ言え、言え」と迫ります。何か答えようとすると、船を漕ぐ櫂で僧を打ちすえました。

そこで僧はハッと悟るところがあったのです。船子和尚も、自分が薬山のもとで得たものを、

あなたも体得できたとその悟境を認めました。

 僧が、船子和尚のもとをお暇しようとしました。船から降りて、岸に上って、何度も何度も

お辞儀をして別れを惜しんで去ってゆきます。すると船子和尚が、「オイ、和尚よ」と呼びました。

僧が振り返ると、船子和尚は櫂を立てて合図しながら、船をくつがえして入水して亡くなりました。

 自分の教えを受け継ぐ者が出来たら、もう用はないというのでしょうか。

 唐代の禅僧の問答の中でも、実に命がけの問答であります。

 詩人の坂村真民先生は「命がけ」という詩を残されています。

命がけということばは

めったに使っても言っても

いけないけれど

究極は命がけでやったものだけが

残ってゆくだろう

 疑えば花ひらかず

 信心清浄なれば

 花ひらいて

 仏を見たてまつる

この深海の真珠のような

ことばを探すため

わたしは命を懸けたといっても

過言ではない

人間一生のうち

一度でもいい

命を懸けてやる体験を持とう

(『はなをさかせよ よいみをむすべ 坂村真民詩集百選』より)
 
 船子和尚のような命がけの問答を見ると、私達の修行などは、畳の上の水練に過ぎないかもしれません。

そうかといって、とてもそんな命がけの修行ができるというものでもありません。

 せめて、祖師方の命がけの修行によって、今日に禅が伝わっているのだという事実を

忘れてはならないと思います。

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