2018年12月7日

「甘酒のご供養」

 この円覚寺の臘八大摂心では、毎晩甘酒が振る舞われます。

これは、毎年もち米と糀(こうじ)とで自分たちで作っているものです。

この頃は甘酒が見直されていますが、実に体も温まり、よしまだ頑張ろうという力にもなるのであります。

 実はその甘酒というのは、岩手の雫石(しずくいし)の方から毎年ご供養いただいた糀を使って作っています。

 送って下さっていた方というのは、先の戦争で銃弾を受けて片目を失明され、

傷痍軍人として日本に帰って来られました方です。

聞くところによると、何でも、かぶっていた鉄兜に銃弾があたり、

貫通すれば即死でしょうが、兜の中を弾がグルッと一周して外に出たというのです。

命は取り留めましたが、片目が見えなくなり、言葉も忘れてしまったというのでした。

 入院中、一生懸命、言葉を覚えることから苦労したそうです。

自ら死ぬことも考えたらしいのですが、ある時病院で両目を失明された方が手探りで階段をはい上がっている姿を見て、

「生きねばならぬ」と思い改めたそうです。

その後傷痍軍人の錬成会で、この円覚寺の朝比奈宗源老師のお話を聞いて感銘を受けて、

円覚寺の僧堂の摂心に通われることとなったようです。

それがこの十二月の臘八の摂心であります。

我々専門に修行してる者でも大変な摂心ですが、それに毎年必ず岩手の雫石から来て参加されました。

ご実家は正直堂という文房具屋さんだったようです。

この正直堂という名前も、朝比奈老師がこの人ならと見込んでおつけになったとうかがっております。

 戦後物の無いときに、もう今年は甘酒を造ることは無理かも知れないというときがあったようです。

その時にこの方が、はるばる岩手から糀を送られたのが始まりだそうです。

それ以来毎年必ず送っていただいたのであります。
 

その方はただ単に参加するだけでなく、実に熱心に坐禅に取り組まれたそうです。

前の管長さまはよく私たちに、あの方ほど熱心に坐った人はいないと言われました。

坐禅のことを禅定(ぜんじよう)とも申します。

そこで坐禅の力を定力(じようりき)と申しますが、あの人ほど定力のある人はいなかったとも言われました。

私どもその話を聞かされる度に、「ヨウシ!負けてなるものか!」と奮起したものです。

 又印象に残っている話があります、この方は一週間臘八の摂心を済ませて、

必ずその後山内のお世話になった和尚様方にご挨拶をして、

そうして最後にご自分の帰りの電車賃だけ残して、その余りのお金で居士林で何か無い物、

不足している物がないか探して寄付して行かれたと申します。

 人のために施すことが好きな方だったようです。

一般の方が坐禅に見えるのに困ることがないようにと、下駄が壊れていれば新しい下駄を新調し、

雨傘も新調したりして、帰りの電車賃以外は皆施しをして、夕方円覚寺を発ち、上野の駅で降りて、ラーメン一杯を食べて、

そのまま夜行列車に乗ってぐっすり眠って帰られたそうです。

家計のやりくりの苦しい中でも毎年欠かすことがなかったそうであります。 

私どもはそのご苦労の様子を、毎年聞かせていただきながら、「ヨウシ!頑張らなければ!」と奮起して坐禅いたしました。

毎晩振る舞われる甘酒が、そのお話と相まってなお本当にお腹にしみわたるような思いで頂いたものでした。

それが、平成十三年の夏八月の十三日にこの方が亡くなったとの知らせを受けました。

 さてその年の冬、臘八の大摂心が参りました。

今年はもうさすがに糀も来ないだろうと思っていましたら、何とその娘さんから

「父の遺志であるから、せめて娘である自分がいる間は送らせて欲しい」と、

またはるばる岩手から糀を送っていただいたのでした。

これには心打たれました。

爾来毎年ご供養いただいて、臘八の摂心を務めさせてもらっています。

実に七十年余りにわたるご供養であります。

こんなご供養をいただいて、修行させてもらっていることに感謝しなければなりません。

そしてなお一層精進しなければ申し訳ないと思うのであります。

(平成30年12月 横田南嶺老師 臘八大攝心提唱より)

2018年12月6日

「蟻の巣の中にいた」


 仏光国師は、十七歳から足かけ六年に亘って、趙州和尚の無字の公案に取り組まれました。

はじめ一年で何とか片付くと思ったのが、うまくゆかず、二年三年経っても、まったく歯が立ちませんでした。

五年が経ち六年目に入るころには、夢の中で無の夢を見、何を見ても悉くが無字になってきました。

ふっと少し坐ったつもりが、一日経っていたというようなこともあり、

ある時には、坐ったまま一日一夜、意識を失っていたこともあるほどでした。
 
そして、ある晩、夜中まで坐りぬいて、朝の時間を知らせる木版の音を聞いて心境が開けました。

 その時の感慨を、「なんと自分は長い間、蟻の巣の中にいたことであろうか」と述べています。 

小さな狭い蟻の巣の中のような所にいたと気がつかれたのです。

 悟るということは、今までの自分が如何に思いこみにとらわれ、自ら苦しみを造り出して、

狭い世界の中に閉じこもっていたことが、はっきりと分かることであります。

 我々の迷いのもとを五蘊(ごおん)と申します。

色(しき)という、このからだがあり、その体に具わる眼耳鼻舌身という感覚器官がございます。

目で見るもの、耳に聞こえるもの、鼻で嗅ぐもの、舌で味わうもの、体に触れるもの、

それぞれに、快か不快かを感じます。これが受です。

快と感じたものには、喜びの思いが生じ、不快と感じたものには怒りの思いを起こします。これが想です。

そして思ったことに対して、嬉しいことには、更に愛着を起こします。

自分のものにしたいと思うのです。

それから不快なものには憎しみを起こします。排除しようとします。これが行です。

愛しようとしたり、憎もうとしたりするのです。

その結果行動を起こして、我々は外に世界に対して、善と悪という、自分の都合で色分けをしてしまいます。

これが識です。色受想行識で五蘊となります。

 私たちは、自分で造り上げた五蘊という穴の中に住んでいるのです。

他の人はまたその人の五蘊という枠の中で生きているのです。

ですからお互いに、違いますので時には反発したり、争ったりしてしまいます。

本来自己の無いという広い世界に気がついたならば、自分が今まで狭い五蘊という、

蟻の巣のような狭い世界の中に閉じこもっていたと分かります。

五蘊をありのままに観察できるようになるのです。

すると五蘊に対するこだわりが解けます。

五蘊というものは、何もとらわれることのない空なるものだということがはっきりします。

それによって、苦しみから解放されるのです。般若心経に説かれる、

「五蘊皆空なりと照見して、一切の苦厄を度す」というところなのであります。

(平成30年12月 横田南嶺老師 臘八大攝心提唱より)

2018年12月5日

「苦行の果てに」

 
 臘八の修行は、お釈迦様の難行苦行にならう修行でもありますので、いつもお釈迦様の苦行の話もいたします。

 お釈迦様は、王子という位にあって、きわめて裕福に暮らされました。

しかし、それでは、満足が出来ずに、出家して苦行の道を選ばれたのでした。

 苦行では、息を止める修行や断食をなされました。

一日に一食、二日に一食、七日に一食、さらには半月も断食されたりしました。

わずかの豆や小豆の類いを取るだけで、みるみるお痩せになりました。

 手脚は、枯れた葦のようであり、尻はラクダの背のように、背骨は編んだ縄のようにあらわれ、

肋骨は腐った古屋の垂木のように突き出て、頭の皮は熟しきらない瓢箪が陽(ひ)にさらされたようにしわんで来ました。

 それでもただ、瞳だけは落ちくぼんで深い井戸に宿った星のように輝いていたといいます。

 そんなお姿を写したのが、パキスタンのラホール美術館にある釈迦苦行像であります。 

その頃のお釈迦様のご様子を、経典ではこのように表現しています。

 腹の皮をさすれば背骨をつかみ、背骨をさすれば腹の皮がつかめた。

立とうとすればよろめいて倒れ、根の腐った毛はハラハラと抜けおちた。

 過ぎし世の如何なる出家も行者も、来るべき世の如何なる出家も行者も

これより上の烈しい苦を受けたものはないであろうと思われたほどありました。

 日に焼かれ、寒さに凍え、恐ろしき森に只一人、衣もなく、火もなく、理想のひかりに聖者は坐られたのです。
 
ときには、屍や骨の散り積まれた墓場に夜の宿を取られました。

牧羊者の子供達がお釈迦様を見つけて、唾をはきかけ、泥を投げつけ、また木の枝を取って耳にさしこみました。

しかし、お釈迦様のお心は彼等にたいして少しも怒りを発することはありませんでした。

経典は、更にこう記しています。

 「血は枯れ、あぶら失せ肉落ちて、心いよいよ静まる。正念と智慧と明らかに、禅定いよいよ固し。

われ、かつて、五欲の楽しみの極みを尽くし、今やその欲に望みなし。この清浄の人を見よ」と。

お釈迦様の教えは、こんな苦行の果てに体得されたものです。

 
 八木重吉の詩に、「神の道」というのがあります。

『 自分が

 この着物さえも脱いで

 乞食のようになって

 神の道にしたがわなくてもよいのか

 かんがえの末は必ずここにくる』

というのです。神をお釈迦様に置き換えてみますと、その通りだと思われます。 

 ときには、そんな純粋さばかりでは生きては行けぬと言われるかもしれません。

 たしかに、純粋さだけでは生きてゆけぬでしょう。

しかし純粋さを失えば、また生き残れぬと思うのであります。

 年の一度の臘八を迎えると、お釈迦様を純粋にお慕いする気持ちが湧いてくるのです。

(平成30年12月 横田南嶺老師 臘八大攝心提唱より)

2018年12月4日

「一点に集中」

 達磨大師の言葉と伝わるものに、

「外、諸縁を息(や)め、内心喘ぐこと無く、心、墻壁の如くにして、以て道に入るべし」という語があります。

 坐禅の心得を示されたものです。

先ず第一は外の世界に対して、一切心をはたらかせないようにします。

眼で見えるもの、耳で聞こえるもの、鼻で嗅ぐもの、舌で味わうもの、体に触れて感じるものに、一切心を動かさない。

外から入ってくるもの一切を遮断してしまうのです。

すると、今度は、心の内からさまざまな思いが湧いてでてきます。

むしょうにものが欲しくなったり、腹が立ってきたり、あれこれと心が散乱したり、

または心が沈んで、やる気がなくなり、怠惰になったり、眠気が起こったりします。

その内心に湧いてくるもののすべて断ち切って坐ります。

その要領が、心を切り立った壁のようにしてしまうことです。

何物も寄せ付けぬぞという気迫をもって、一つの事に集中するのです。

そうして、仏道に入ってゆくと説かれます。 

何物を寄せ付けぬようにするには、心を一点に集中するのがうまくゆきます。

それが呼吸を数えることであったり、無の一字に集中するのです。

体の上では、おへその下の丹田に一点に意識を集中させ、心では無の一字に集中させて、

それを一つにしてしまいます。

 すると、体も消えて、ただ呼吸だけが残るような感覚になります。

更にその呼吸も、この広い空間に溶けていって一つになってゆくのです。

これを古人は「空蕩蕩地(くうとうとうち)」といいました。

空っぽでどこまでも広がった世界です。これが道に入ってゆく第一歩であります。

 そのように一点に集中してゆく修行ですが、臘八のように睡眠が足りていないと、

特に途中眠気に襲われます。

集中していく過程と眠りに入る過程とは、あるところまでは同じ道を辿ります。

そこで気をつけていないと、眠りに落ちてしまうのです。

 眠りに落ちないように、集中してゆく為には、やはり目をはっきり開くこと。

何かを見ようとしなくても、はっきり見えているという状態を保つことです。

それから口元を引き締めて、舌をしっかり上あごに付けること、

要は口がたるまないことです。

そして法界定印を結んだ手をしっかり組んでおくことです。

この三つをしっかり意識できていれば眠気は退散してゆきます。

どうしても眠いならば、意識を思い切って眉間に引き上げることです。

丹田に下げるのではなく、一時的に引き上げて覚醒させてみる。

そうして目覚めた状態で一点に集中してゆくのであります。

(平成30年12月4日 横田南嶺老師 臘八大攝心提唱より)

2018年12月3日

「無になる修行」

 
 円覚寺の開山仏光国師は、十七歳で径山の佛鑑禅師から、無字の公案を与えられて参究しました。

はじめは、一年もすれば何とか片づくと思っていたのですが、それが容易に解決できずに、

二十二歳まで足かけ六年にわたって無の一字に取り組まれたのでした。

 私たちの坐禅の修行も、この無になるという一事に尽きます。

しかし、この無になるという単純なことが、実際にやってみると如何に困難なことであるか身にしみるのであります。

 無になるとは、捨て去る修行であります。

何かを学んで覚えて得るのではなくて、ひたすら捨ててゆく修行であります。 

 それは、お釈迦様の御修行にならうからであります。

お釈迦様は、王子の位も捨てられ、財産も捨てられ、名誉も捨てられ、妻子も捨てられました。

更に難行苦行してすべてを捨ててゆかれました。もうこれを取り去ったら人間とは言われないであろうという

最後の最後まで捨て切られました。

もうこれ以上捨てられないという、最後に残るもの、それは何か。

最後に明けの明星をご覧になって気がつかれたのでした。
 
何かを得る修行ではなく、捨て去る、無になる、ただそれを行じる修行なのであります。

無になってこそ、見えてくる世界なのです。

(平成30年12月3日 横田南嶺老師 臘八大攝心提唱より)

2018年12月2日

「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」

 論語の中に「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」という言葉があります。

この言葉もまた、臘八のたび毎に紹介しているものです。

 金谷治先生の訳によると「朝(正しい真実の)道を聞けたら、その晩に死んでもよろしい」という意味です。

 森信三先生の『一日一語』の十二月二十二日の章に、この言葉を引用して、

「生きた真理というものは、真に己が全生命を賭けるのでなければ、根本的に把握できないという無限の厳しさの前に佇立する想いである。」

と記されています。

 たしかに、その道に命を賭けるくらいの意気込みがなければ、何に於いても成就することは困難でしょう。

まして況んや、仏道修行、禅の修行においてはいうまでもありません。

 アントニー・デ・メロという神父さんが、

「何もかもなげうって 死さえもいとわないほど 価値のある 宝が見つかったときにこそ 

人はほんとうのいみで 生きる」という言葉を残されています。

何の宗教であろうと道を求める心は同じであると思います。

 この朝に「道を聞かば・・・」の一語は今北洪川老師の『禅海一瀾』にも引用されています。

洪川老師も、朝聞いたなら、その夕べに死んでもいいというほどの道とは何か、

問い詰めてゆけと仰せになっています。

 なかなか、命がけなどということは、めったに出来ることでもありませんが、

こうして臘八の摂心を行いながら、眠たい、足が痛い、疲れたなどとつまらぬ思いにとらわれるくらいならば、

この命を何にかけるかと考えてみると、更なる力が湧いてくるものです。

(平成30年12月2日 横田南嶺老師 臘八大攝心提唱より)

2018年12月1日

これより臘八(ろうはつ)


今日から8日の暁天まで、円覚寺僧堂では、臘八大攝心となります。

臘八大攝心は、一年で一番厳しい坐禅修行期間です。

 雲水(修行僧)は、この期間中は、横になって休むことが許されず、

ひたすら、坐禅修行に打ち込みます。

 以下は、横田南嶺老師による臘八の提唱です。

 「この一日より、八日の暁天まで、臘八の大摂心となります。

改めて言うまでもなく、臘八は、お釈迦様が十二月八日の明けの明星をご覧になって悟りを開かれたことにあやかって修行するのであります。

 お釈迦様は、王子の位も捨て、家族も捨て、財産もすべてを捨てきって、難行苦行を六年なされました。

そして、十二月の八日に悟りを開かれたのです。

 そこで、我々はとてもお釈迦様の苦行には及ぶべくもありませんが。毎年十二月の一日から八日まで一週間を一日と見なして、坐禅に打ち込みます。

八日の暁天までが一日ですので、この間夜も布団を敷いて寝ることはしません。坐ったままで過ごします。

 いくら若い者でも、一週間体を横にしないのは、苦痛でありましょう。

しかし、それを乗り越えて、坐禅三昧の体験をしなければ、禅僧とは言い難いのであります。

 この臘八のたび毎に、森信三先生の言葉を紹介しています。

 『森信三先生一日一語』の、十一月二十一日の項にある言葉です。

 人間の真価を計る二つのめやすー。

 一つは、その人の全智全能が一瞬に、かつ一点に、どれほどまで集中できるかということ。

 もう一つは、睡眠を切りちぢめても精神力によって、どこまでそれを乗り越えられるかということ。

 いつも、この言葉を拝見する度に、森信三先生の深い洞察を思います。まさにその通りなのです。

そして、まさにこの臘八の修行こそが、われわれ禅僧の真価を計る時なのであります。」

2018年11月27日

「仏の一字、聞くことを喜ばず」

 趙州(じょうしゅう)和尚の言葉に、「仏の一字、吾聞くことを喜ばず」というのがあります。

仏教を学ぶ者にとって、仏とは理想の境地であり、目指すものであり、よりどころとなるものであるはずです。

 ところが、趙州和尚は、仏という一文字すら、聞くことを喜ばないというのです。これは、どういうことでしょうか。

 ある時に、趙州和尚が仏殿のそばを通っていると、一人の僧が恭しく礼拝していました。

仏殿にお祀りしているのは、寺のご本尊ですから、それを礼拝するのは当然のことです。

しかし趙州和尚は、その様子を見て、その僧を打ったのです。趙州和尚といえば、臨済禅師や徳山禅師と異なり、

棒や喝で人を指導するのではなく、言葉で人を導いたことで知られます。めったのことでは、棒で打ったりしない禅僧です。

それが、なんと礼拝している僧を打ったのですから、驚きです。

 僧は、礼拝することは良いことではないのですかと問いました。趙州和尚は答えました。

良いことも無い方がましだと。「好事(こうず)も無きには如(し)かず」というのであります。
 
 
 これは、どういうことかと言えば、趙州和尚にしてみれば、仏といい、或いは仏法といい、

すべて自分自身の心であり、毎日に暮らしそのものにあると体得されているのです。

その自分自身を離れたところに、特別何か尊いものを認めることを戒めているのであります。

自己の外にことさら、聖なるものを認めることを嫌うのであります。

 この頃は、曼荼羅などというものが、よく注目されています。たしかに仏の世界を表した、

すばらしい絵であります。

 しかし、私などは、すばらしいなと思いながらも、どうしても内心「好事も無きには如かず」

という思いがしてしまいます。

 曼荼羅はすばらしいものだけれども、私達の普段目にしてるこの山の景色、庭のたたずまい、

すべてが曼荼羅ではないかと思ってしまうのであります。

 何もあのような特別な絵を描かなくても、仏の世界は、私たちの毎日の暮らしにあるのだと思います。

日常の何気ない風景も曼荼羅だと思ってしまうのです。

 趙州和尚というお方は、十七、八の頃に出家して悟りを開き、南泉和尚の下で修行を積むこと実に四十年、

さらに三年南泉和尚の墓守をして、六十歳から禅の行脚に出て、諸方の老師方と問答して、

心境を更に練り深めて、八十歳でようやく趙州の観音院に住されました。

そこで四十年間お説法なさって百二十歳でお亡くなりになった方です。

 もう仏法は、趙州和尚の体全体に染みわたっているのでしょう。ですからこそ、

分のこの心と毎日の暮らしの外に、仏も法も認めることはないという心境なのです。

 我々は、趙州和尚の言葉だけまねてはいけません。趙州和尚の「仏の一字聞くことを喜ばず」

という一語が出てくるまでに、どれほど仏道を修め、修行を重ねに重ねたのかと思わなければなりません。

仏法を完全にわが身に消化されたからこそ、口にされた言葉であるのです。それまでは、ひたすら仏さまを礼拝し、

経典を読み、坐禅し数息観をし、威儀作法を習い、どこまでも仏法を身につけていく

努力を惜しまないようにしなければなりません。

{横田南嶺老師 提唱より}

2018年11月26日

「至誠(しせい)」

「至誠」とは、この上なく誠実なこと、まごころを表します。

 中国の古典『孟子(もうし)』には「誠は天の道なり。誠を思うは人の道なり。

至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」という言葉があります。

 「天地万物にあまねく貫いているのが誠であり、天の道である。

この誠に背かないようにつとめるのが人の道である。

まごころをもって対すればどんな人でも感動させないということはない」という意味です。

 まごころをもって接すれば、どんな人でも動かせる力があるということ表し、

この「至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」の一言は

幕末の志士吉田松陰が大事にしたと言われます。

 ただし、その至誠、まごころは一時だけのものに終わってはなりません。

 これも中国の古典『中庸(ちゆうよう)』には「至誠無息(至誠息(や)むこと無し)」とあります。

 この上ない誠実さ、まごころを持って生涯を貫くことです。

『中庸』には「至誠息むこと無し」の後に「息(や)まざれば久(ひさ)し。

久しければ徴(しるし)あり」と続きます。

 「この上ない誠実さ、まごころを怠ることなく、あきらめずに保てば長く勤めることが出来る。

長く勤めれば必ず目に見えるしるしが顕れる」という意味になります。
 
 吉田松陰が大事にしたということからも、この至誠なるものは大きな力を持っていることが分かります。

あの徳川幕府を終わらせて明治という新しい近代国家を造り上げた原動力でもあります。

私もこの言葉に感動し、大事にしてきました。

 しかしながら、二十代や三十代の頃と違って、この頃は少々違和感も覚えるようにもなりました。

どんなに至誠でもって頑張っても無理なこともあります。また無理を至誠で押し通そうとするのも、

膨大な力が必要です。

 吉田松陰などは、その無理とも思われたことを成し遂げる原動力になったので、

多くの人から慕われるのでしょうが、この頃は私にとっては、それは無理をしているように

段々と思われるようになってきたのです。確かに明治維新はすばらしいのですが、

勇み足だったところもあり、その為に失ってしまったものもありましょう。

 今北洪川老師が『禅海一瀾』の中で、この「至誠息(や)むこと無し」の一語を取り上げておられます。

その中では、「至誠」のはたらきをこのように表現しているのです。

 「譬えば、以て鳥は春に鳴き、以て雷は夏に鳴り、以て虫は秋に鳴き、

以て風は冬に鳴るが如し。其れ唯だ毫釐も欺かず。而も循環、息むこと無し」と。

 訳しますと、「たとえば天地の至誠とは、鳥は春に鳴き、雷は夏に鳴り、

虫は秋に鳴き、風は冬に鳴るようなものである。それはいささかも(私意を以て)欺くことがなく、

循環して止むことがない」となります。

 自分の力で無理にでも成し遂げようという「至誠」ではなくて、大自然のはたらきそのものが

「至誠」であると言われるのであります。

 禅の修行とは、実はこの大自然のはたらきとひとつになってゆくことであります。

 道元禅師は「本来面目」という題で、「春は花夏ホトトギス秋は月冬雪さえて涼しかりけり」

と詠いました。大自然の営みそのものが本来の自己だというのであります。 

「春苦み 夏は酢の物 秋辛み 冬は油と心してくえ」という言葉もあります。

大自然の運行と順応してゆくことを説いています。

 大自然と一体になると言いましたが、それはむしろ逆であって、もっといえば、もともと一体であったのです。

そしてそれに気づくことであります。私の体はもともと大自然と一つになって働いているのであります。

 呼吸ひとつにしても、意識的に行う呼吸よりも、無意識に行われている呼吸によって、

われわれの体の二酸化炭素の調節が見事に行われているという研究があります。

私たちの体もまた大自然のはたらきにほかならないのです。

 こうして「至誠」というのは、私達を生かしてくれている大きな大自然の営みだと分かります。

その大いなるはたらきに身をまかせて無理をせずに行って方が長続きします。

その方が本当に「至誠息(や)むことなし」だとこの頃になって思うのであります。

(平成30年11月24日 禅をならう会『禅海一瀾』提唱より)

2018年11月25日

「海印三昧」

経典に「海印三昧」という言葉が出てきます。『禅学大辞典』によれば、

「無礙湛然なる仏の智慧の海に一切真実相が印で押した如く、はっきり映り現れるような、

不動の禅定に入った仏の境地」と説明されています。あるいは、一切のもの、一切の時が、

この三昧に現れ、絶対真実であることを述べているとも説かれています。

 よく瞑想にも、集中の瞑想と気づきの瞑想とがあると言われます。古来は坐禅ことを止觀とも言いました。

止はひとつのことに意識を集中すること、觀は観察することです。私達の行っている坐禅は、

主に集中の瞑想であると言えます。

 呼吸を意識的に細く長く調えて、呼吸を見つめ、丹田の一点に意識を集中し、

公案という問題に全身全霊を集中させます。そして、自我意識が薄らいでゆき、

やがて意識分別も及ばなくなって、無我を実証し、自他一如であり、天地と我と一体の心境を得ることを目標にしています。

その自他一如のところから自然と湧いて出てくるのが慈悲の心であります。そうして慈悲の実践行を目指すのであります。

 それに対して、先日早稲田大学の熊野宏昭先生に気づきの瞑想を教わりました。マインドフルネスといっても、

人によって実にさまざまなものがあるように思われます。

 熊野先生は、集中の瞑想を、フォーカスト・アテンションと表現され、気づきの瞑想を、オープン・モニタリングと表現されています。

そのオープン・モニタリングを先日教わりました。

 熊野先生に指導によれば、はじめはしばらく集中の瞑想をします。呼吸に集中するのです。

そこまでは、私達の坐禅と変わりません。

 そこから更に、呼吸を一切意識して調節しようとしないようにします。

ただ自然に行われる呼吸に気付くようにします。

 それから、更に全身を気づきながら、呼吸を観察します。体全体に息が入って、

体全体から息がでてゆくように意識します。

 更に自分の体の外に注意を向けてゆきます。聞こえる音、風のながれなど、

注意を無数に広げてゆくのです。そうして注意を無数に分割してゆくと、

自己というものが段々と小さくなってゆきます。あたかも高い処から自分を眺めているような感じです。

 そうすると外の世界と自分とが一体になっていると感じ取れるというのであります。

自他の分離がなくなり、自分とまわりとのつながり合いがよく見えてきて、自然と慈悲の心が湧いてくるという方法なのであります。
 
 私たちが行ってきた禅定が、外の世界を一切遮断して、自己を無くする修行をするのに対して、まったく逆なのです。

そんなまわりに意識を向けながら、自己が無くなるのであろうかと、私は不審に思っていました。
 

しかし、実際に自分でやってみると、なるほどその通りに実証できたのです。

 意識は透明に澄み切っていながら、そこに一切の現象がありのままにくっきりと

現れているのです。ふと、経典にある「海印三昧」とはこのことであろうかと思ったのでした。
 
 特に集中の瞑想では眠気が起きやすく、その眠気と戦って対治する必要があります。

そこで気力を振り絞るのですが、気づきの瞑想ですと、眠気がまず起きないし、

戦っている様子さえも静かに高いところから眺めている感じなのであります。

 集中の瞑想では、すべて自分の意識の力で行いますので、自分の思うとおりにいかないと心地よくなく、

また自分の禅定を妨げるものには敵愾心が出てきたりしてしまいます。

 それに対して、気づきの瞑想では、一切の計らいをやめてただ見つめる、すべての受け入れて見ていますので、

なにがあろうと穏やかなのです。

 熊野先生に教わった瞑想を自分も実践してみて、なるほと深いものがあると改めて思った次第です。

 私たちがよく読む『禅関策進』という書物に、「舍利弗、二十年の中、常に勤めて毘婆舍那を修得して、

行住坐臥、正念観察して曽て動乱することなし」という言葉があります。毘婆舍那とは、ビパッサナであり、

気づきの瞑想のことです。古来は、気づきの瞑想も行っていたのが、いつのまにか、

集中の瞑想だけに片寄ってしまったのが現状ではないのかとも思います。

 マインドフルネスというと、はやりもののように思われて、禅僧の中には嫌う人が多いようですが、

いろいろ実践してみるとおろそかにできないものがあります。むしろ学ぶものが多いと感じるのであります。

新しい世界が開かれ、一層深まってゆくことを感じるのであります。

(平成30年11月 横田南嶺老師 月並大攝心 『武渓集提唱』より)

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