2011年11月24日

月落ちて天を離れず

11月24日(木)
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昨日、ご紹介した禅語の色紙を管長様からいただきました。
「月離れて天を離れず」は
「水流元入海(水流れて元海に入り )
 月落不離天(月落ちて天を離れず)」という禅語の後半の
 言葉です。
 それぞれの川が最後は海に流れいるように、人もそれぞれの
人生を歩んでいきますが、行き着くところはみんな同じ所に帰って行く
という意味でしょうか。深い深い言葉です。
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紅葉(黄葉?)したマンサクを背景にした侘助です。<黄梅院>
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それにしても、今日は、風が強いですね。

2011年11月7日

至誠(しせい)息(や)むこと無し

11月7日(月)その2
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向かって右から「至誠無息」{至誠息(や)むこと無し}と書かれています。
円覚寺212世・堯道慧訓老師が揮毫されました。<黄梅院>
 
 至誠(まごころ)には休息が無く、その働きは永遠であり、至大の
ものであるという意味です。
 
 「中庸」という儒教の聖典の言葉ですが、仏教では「至誠」を「仏心」と
呼んでいます。
 堯道老師の法を継がれた朝比奈宗源老師は「仏心」を説かれました。
○「誰にも生き通しの大生命が具わっている。」
○「お釈迦様のお悟りの当体、即ち、今あなた方がそこで聞いている
 心の根本は、仏心です。それには生き死にはない。仏心は永遠に
 生き通しである。仏心には罪や汚れというものがない。だから仏心は
 いつでも浄らかであり、静かであり、安らかである。お互いの心の大本は
 そうだというのです。」
○「人間はこの素晴らしい仏心の中に生まれ、仏心の中に育ち、住み
 仏心の中で息を引き取る。生まれる前も仏心、生きている間も仏心、
 死後も仏心。仏心とは一秒時も離れないのです。
○戦争直後の戦死者や戦災で亡くなった人たちの遺族に向けて
「人間は因縁によって、どこでどういう死に方をするかもしれない、たとえ、
シベリアや満州で凍え死んでも、南の海に沈んで死んでも、仏心から見れば
仏心の真只中である。必ず仏心にかえって智慧と慈悲の塊りの尊い仏様に
なるんだ。地獄なんか断じて行かない。」
 

2011年10月28日

此の身再び得ず

10月28日(金)
 昨日、午前中、黄梅院にローカルテレビの取材が来ました。「寺宝」という
ことで管長様に相談したら、「表信」の掛け軸がいいだろうということで
それを紹介させていただきました。
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「表信」円覚寺197世東海禅師 揮毫。
信を表すとは、「この衣は、信を表す。」という言葉が由来です。仏法の信実を
伝えた証拠として、師匠から弟子にその象徴としての衣や袈裟などを伝える習慣が
あります。実際に伝法の証となる袈裟が円覚寺開山無学祖元禅師が
中国・径山寺から持参し、黄梅院開山夢窓国師を経て、現在に至るまで脈々と
伝えられています。
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黄梅院の山号は、「伝衣(でんね)」で衣を伝えると書きます。
仏法の信実の象徴である衣を伝えること。仏様の教えを後世まで
お伝えすることであります。
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こちらの扁額は、円覚寺202世洪川(こうせん)老師 揮毫です。
「天地に万古(ばんこ)あるも、此の身再び得ず。
人生只だ百年、此の日最も過ぎ易し。」
出典は、<菜根譚>です。
 この宇宙は永遠不滅であるけれども、このいただいた自分の
命は限りがあり、この人生はたった一回切りのかけがえのない
ものである。宇宙の時間から比べれば、一瞬のように短いこの
人生、だからこそ一日一日を大切に生きていこう!
 かなり意訳してしまいましたが、本当に含蓄のある心に
響く言葉です。
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夕日に映える秋明菊。きれいですね。

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