2010年4月17日

無門関16則提唱

4月17日
老大師が提唱されたことを私なりにまとめてみました。
 
 世界は、広い。小さなことに何もくよくよすることはない。
さとりとは、ひっかからずにサラサラとすること。
朝起きたら、気持ちよく「おはようございます。」
ごはんができたら、心から手を合わせ「いただきます。」
お茶をいれていただいたら、「ありがとう。」
天気には、洗濯物を干せばいい。
雨が降ったら、本でも読もう。
さとりとは、ひっかからずに、サラサラと。
そのようなことをお話しされました。

2010年4月4日

提唱

4月3日  
無門関第15則 洞山三頓
老大師が提唱されたことを私なりにまとめてみました。
 
 「飯袋子(はんたいす)、江西湖南便ち恁麼にし去るか。」
この雲門の言葉で、洞山は気づいた。
求め求めて、悩み苦しみ抜いた末に、このままでいいんだと気がついた。
飯を食って糞をすること。ただ呼吸をし、
ただ座ることがどんなに貴いことであることか。
うろうろしていた自分も含めて、
そのままでいいんだと。

2010年3月21日

提唱

3月20日
 本日の提唱は、無門関第14則南泉斬猫。
老師が、提唱されたことを、私なりにまとめてみました。
「争い」の原因は、猫にあらず。人にあり。
争いは、人の是非を分別する心にあり。
南泉和尚は、その是非分別する心を、「斬」ったのだ。
頭上に草履をのせて、出て行った趙州のはたらきは、
是非分別を超えて、遊び心を持って悠々と生きている様。
結局、人は大自然から生まれて、大自然に帰る。
自然の摂理に従って、何のはからいもなく悠々と生きるのみ。

2010年3月14日

3月13日(土)
 本日の提唱は、第13則徳山托鉢。
老大師が語られたことを、私なりにまとめてみました。
登場人物の一人雪峰は、長年典座(炊事係)をして、隠徳を積んだ方。
禅門において、典座は、修行の進んだ方が、務めるもの。
それは、そうでない人がやると、ものを粗末にしてしまうから。
ものを大事にする人は、命を大事にする人。
 さて、次は、徳山和尚。昔は、たいそう厳しいお人で、
「道(い)い得るも、三十棒、道(い)い得ざるも、三十棒」と
修行者が、答えようが、答えまいが、棒でたたいたようなような方。
この公案は、そんな厳しかった徳山和尚の晩年の境界の話。
若い頃は、厳しい修行に自己を忘れるくらい打ち込んでやったあとは、
晩年は、禅も仏教もない平々凡々の境地におなりになった。
うまくとぼけるのも、お手のもの。
そんな、徳山和尚の高い心境を提唱されました。

2010年2月27日

2月27日
本日の提唱は、無門関十二則厳喚主人。老師は、語られた。
<主人公>とは、自分の真心のこと。自分の真心に問いかけて、
自分で判断せよと。お釈迦様の最後の教えは、「依頼心をなくせ」
だそうだ。何が正しい事か判断するのは、最終的には、自分の真心。
自分の真心に照らし合わせて、正しい教えは、受け入れ、そうでなかったら、
捨ててもいい。誰もが持つている真心を、はっきりと気付くのが、坐禅の修行。
真心は、慈悲の心。

2010年2月20日

提唱

 2月20日
  土曜座禅会二部では、毎週ではないが、円覚寺専門道場師家
  
  青松老大師こと横田南嶺老師による無門関という、テキストの
  提唱(御法話)がおこなわれている。本日も 2時40分から
  3時25分まで坐禅をした後、3時40分から4時半頃まで、
  老師に提唱をしていただいた。
  提唱の中で、今の若いひとは、叱られなれていないから、
  叱られると、すぐに落ち込んでしまう。だから、山本五十六元帥の
  言葉のように、やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、
  ほめてやらねば、人は動かじ。の方針で、ご指導をしている
  こと。ほめて、調子に乗ってきたら、叱ってあげる。
  そんなことを、話されていました。
   
  

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