2019年9月14日

岐阜揖斐川の大興寺へ

本日、日帰りで、岐阜県
揖斐川町の大興寺様に招かれて
法話に行ってまいりました。

大興寺様の法話会は、
先代の時代から続いていて
清水寺の大西良慶和上や
浄土真宗の金子大栄先生、
山田無文老師や松原泰道先生など
錚々たる方々が講師をつとめておられる由緒ある会です。

岐阜羽島の駅で降りて
揖斐川沿いを車で走って
山あいにある、実にすばらしい境致にある
お寺でした。

まだ残暑の時期とはいえ
開け放っている本堂に入る風が
涼やかで、気持ちよく法話できました。

由緒ある法話会ですと、
聞いてくださる皆さまもとても熱心で
話もしやすいものでした。

一昔前、大西良慶和上は、お寺に二泊して
法話されていたとうかがいました。

今は、交通の便がよくなったおかげで
じゅうぶん日帰りできてしまいます。

便利な分、車の窓から
町の様子を眺めるだけで
トンボ返り、情緒が乏しくなっています。

横田南嶺


2019年9月12日

秋のおとずれ

台風が過ぎた後は
連日真夏のような暑さでした。

台風の後片付けもようやく一段落しかけた今朝は
秋のおとずれを感じる涼しい朝でした。

心頭滅却すれば火も自ずから涼しという
言葉もあるのはよく知られています。

たしかにいくら暑くても、気力で乗り越えることもできはしますが、
やはり、暑い時は暑くて、
法話をするにも、汗びっしょりになるのは
たいへんであります。

今日のように涼しくなると
午後の法話にも自然と力が入ります。

よし、がんばろうと思っていたところ
群馬の円覚寺派のお寺のお檀家さんから
「山の幸です」といって
栗を送っていただきました。

なお一層秋のおとずれを感じます。

横田南嶺

2019年9月12日

団参(だんさん)

本日は、団参というのがございます。
団参とは、団体参拝の略語であります。

円覚寺派というのは、関東を中心にして
二百十ヶ寺ほどありまして、
そのお寺の檀信徒の方々が、団体で
本山にご参拝くださるのが、団参です。

通常ですと、
午前中に本山に着いて
お茶を召し上がっていただいて
方丈において、ご先祖供養の法要をつとめ
そのあと、小一時間ほど、管長の法話があり、
管長をまじえて記念撮影
そして、精進料理を召し上がっていただいて
それから、国宝舎利殿をお参りいただいて
下山されるというものであります。

この頃は、この団参の数も
高齢化のためか、随分減ってきているように
感じています。

本日は、埼玉のお寺から六十名ほど
お集まりくださります。

お寺の和尚としても
檀家の皆さまに、本山参拝を案内して
募集してとりまとめ
バスの手配や、道中のさまざまな準備もしなければ
ならず、大変な行事でもあります。

本日お見えくださるお寺の和尚というのは、
私が師家を始めた頃に修行していた僧です。

彼は、当時まだ高校を出てすぐに
十八歳で僧堂に来たのでした。

元気いっぱいの遊びたい盛りの頃に
修行道場に入門して、何年も修行を積まれました。

はじめの頃は、僧堂の修行が辛そうにしていたのですが、
よく辛抱しました。

今や四十歳を越えて立派な寺の和尚になって
檀家さん達を六十名も引率してくるようになるとは

よく立派に成長したものだと、
十八歳の頃の彼を思い起こして
なにやら感慨無量なのであります。

横田南嶺

2019年9月10日

停電

九日朝未明に目が覚めました。
だいだいいつも起きる時間なのですが
午前二時、部屋の明かりを付つけようとしても
つきません。

停電だとわかりました。

お寺にいますと、ろうそくがたくさんありますので
すぐに仏壇のおろうそくに火をつけて過ごしました。

朝 内仏(ないぶつ)で読経するのも、
ろうそくの明かりだけで読んでいました。

元来は、ろうそくの明かりだけで
読経していたのですから
何も特別なことではなかったのでしょうが、
薄暗い中で、何ともいえない趣があります。

しかしながら、夜が明けても停電で、
とうとうお昼まで停電が続きました。

電話も全く使えません。

幸に携帯電話で何とかなりますが
停電の不便を久しぶりに感じました。

部屋の手洗いは、電気がないと
水も流れません。

あの東日本大震災の折りには
停電が繰り返されました。
そのたびに、ろうそくの明かりで、過ごしたものです。

しかし、あれから八年以上過ぎて
すっかり電気の問題も忘れて過ごしていました。

不便かもしれませんが、こういう経験を
忘れないようにすることが大事だと思います。

横田南嶺

2019年9月9日

台風の被害

台風の復旧作業は昼まで
延々と続きました。
どうにか、停電は昼には回復しました。
午後からは境内の拝観も始めました。

いろんな方から御心配いただきますので
およその被害状況を申し上げます。

まず、僧堂の雲水はじめ人的被害が無かったのは
何よりの幸です。
次に、昨年の台風で
一部屋根が破損した国宝舎利殿にも
被害がありませんでした。
これも何よりの幸なのです。

大木がいくつか倒れました。
一番大きいのは、白鷺池(びゃくろち)という
池に杉の大木が倒れてしまいました。
しかし幸に池に倒れましたので
通行に支障はありません。

鎌倉街道沿いの柏槙(びゃくしん)の枝が
折れ掛かって、車道に危険な状態でしたので
午前中に伐採してもらいました。

他には、境内には紅葉や杉、竹などの
枝が落ちて散乱していました。

僧堂の雲水達、本山の和尚方の
懸命の作務にて、どうにか片付いてきた
ところです。

それから、われわれは
台風が直撃しそうな時には
門の扉を閉めずに開けるようにしています。

門を閉めると、風の抵抗を受けて飛ばされる
怖れがあるからです。

本山の勅使門も、開けておいたのですが
それでも風に飛ばされて、破損しました。

写真は、勅使門に彫られた龍です。
羽のついた龍の彫刻であります。

昼までで大まかな復旧作業は
めどがついたと思って、

本日は、午後から麟祥院で
小川先生の臨済録講義に出ようと思い、

車での上京はとても無理だというので
横須賀線はまだ走っていないし
東海道線がどうにか走り出したというので

混んでいる道をどうにかこうにか
大船駅までたどり着いたのですが、
改札への入場が制限されて、とても駅の
構内へも入れない状態で、
本日の上京はあきらめざるを得ませんでした。

残念ですが、自然災害ばかりは
どうしようもありません。

本山に戻って再び雲水と共に
境内の復旧作業に汗を流すことにしました。

横田南嶺

2019年9月9日

佐々木奘堂(じょうどう)さん

本日は、相国寺派の和尚さんである佐々木奘堂さんが、
僧堂の雲水達の為に坐禅指導をしてくださる予定でした。

奘堂さんは、東大を卒業して京都大学の大学院で心理学を学ばれ、
更に相国寺の有馬頼底管長の弟子として出家し、相国寺僧堂で修行されました。

『禅文化』誌上にも連載してくれています。

独自の身体論をお持ちであって、
ギリシャ彫刻のディオニソスを理想とされています。
最近はまたスフィンクス像も取り上げて指導してくれています。

「腰骨を立てる」と
私などは、いつも説明するのですが、
それでは腰は立たないと
奘堂さんがご指摘下さって、
私も謙虚に学んでいます。

教わることは有り難いことだと思って楽しみにしていたのですが、
何と台風の被害が予想以上に大きく、
私も夜明け前から、木こりになって
倒木の伐採、境内の復旧作業に追われていました。

円覚寺本山も全山、お昼前まで停電。
交通網もかなり乱れているようです。

またの機会を楽しみにするしかありません。

横田南嶺

2019年9月9日

侍者のことば(台風一過の片づけ始まる)

台風が過ぎて、円覚寺のある鎌倉の風雨は収まってまいりました。
皆さまにおかれましては被害はないでしょうか。

台風が来ますと、管長が元気になられます。
木を切ることが何よりお好きな管長です。

誰よりも早く表に出て、今お一人で、
参道をふさぐ倒木を切り、皆のために境内の通行を確保されています。

いつにも増して、頭の下がる想いです。

侍者しるす

2019年8月31日

侍者のことば(夏の臨済録結集 二日目)

本日は勉強会の二日目です。

第一講目は管長様による「布薩」です。
僧堂では毎月二回、布薩を行なっていますので、皆も作法だけは慣れています。
まず三世の諸仏に礼拝をし、次に僧侶が守るべき戒を読み上げ、そしてそれを日常で守れているか各々が我が身を反省します。
「戒を完全に守ることはとても難しい。しかし、守れなかったとしても、それに気づき反省し、また守れるように努力することが大切だ。」
人間の弱さと修行の厳しさ、管長様のお話にはいつも修行僧は背中を押していただいています。

続いて京都相国寺の老大師のお話です。
我が宗門がどのような問題を抱えているか、和やかな雰囲気の中、お話下さいました。
僧堂の生活を維持する為に各老大師がいかに心を砕いておられるか、改めて身にしみる思いがしました。

ここで、昨日できなかった藤田一照先生のボディワークの時間となりました。
人間の体は、頭で意識していないところでも自然と妙なるはたらきを続けているということを、実感させていただきました。
また、僧堂で身につける作法というのが、身体のもつ無意識のはたらきを十全に発揮させている、ということも初めて知りました。
いままで無意識、無自覚に行なっていた作法に深い意味があったことに、一同目から鱗の落ちる思いでした。

そして最後は野火止平林寺の老大師のご講義です。
僧堂生活の目的は、いかに禅定(雑念のない意識の統一)の力を深めるかにある、と断言されました。果たして自分にどれだけの力があるのか、拝聴しながら冷や汗が出ます。
禅定力を深めるに為に行っている指導法も見せていただきましたが、即座に我々の僧堂でも取り入れた方がいいと思いました。

二日目を通じて、臨済宗の僧侶にとって一番重要な修行と学問について、あらゆる側面から深く学ばせていただきました。
お集まりいただいた講師の各老大師、先生方に心より感謝申し上げます。

侍者しるす

2019年8月30日

侍者のことば(夏の臨済録結集 一日目)

8月29日、30日の二日間、管長様は東京湯島の麟祥院で行われている和尚様の勉強会にいらしています。
僧堂の皆も和尚様方と一緒に参加させていただいております。

講師を勤められる方は、各僧堂の老大師、駒沢大学の小川隆先生、曹洞宗の藤田一照師と、錚々たる顔ぶれです。

初日の今日は、愛媛大乗寺の老大師の提唱から始まりました。
僧堂の雲水は、普段自分の僧堂の提唱しか聴きませんので、他の老師様の提唱を聴くのはとても新鮮です。
今回は『臨済録』の中から坐禅の造業についての部分をお話していただきました。
「坐禅は業を造る、しかしそれでも我々は坐禅をしなくてはならない」
老師様は力強くお示し下さいました。
そのお言葉に惹きつけらるように老師のお姿を拝見すると、背筋のすーっと伸びたとても美しい坐相でした。まさに全身をもって提唱されている姿に、おのずと自分の背筋も伸びていることに気付きました。

午後は京都八幡の円福寺の老大師による歩行禅指導です。
一人畳一枚を一呼吸一呼吸ゆっくりと歩いていきます。「自然な呼吸を観察する」というのが、なかなか難しいのですが、老師様によるとても丁寧なガイダンスに従っていくうちに、力みもとれ、気がつくとあっという間に一時間が過ぎていました。

続いて小川隆先生の禅語録講義です。
『臨済録』の中でも有名な臨済禅師臨終の問答についてご教示いただきました。
宗門の伝統的な解釈や、これまでの学界の解釈とも違う新たな解釈を学んでみると、『臨済録』がより一層活き活きとした語録であることがわかりました。やはり、もっともっと語録を学んでいかねばなりません。

本日の最後は曹洞宗の藤田一照師のお話です。
藤田先生の『現代坐禅講義』は僧堂に入る前に拝読していましたが、今回はパワーポイントを使ってさらに明快に坐禅について、修行についてお示しいただきました。
所有havingの次元から存在beingの次元へとパラダイムシフトすることがお釈迦様の修行であったととてもわかりやすく説明していただきました。
我が身を振り返ってみると、僧堂で修行生活を送っていても、「あれを経験した」「これができるようになった」と一見自分が成長したような気がすることもありますが、それは結局、経験や能力を「所有having」しているだけで、かえって迷いの世界の泥沼にはまっていたのだ、と気づかされました。
時間切れの為、最後のボディワークがほとんどできませんでしたが、管長様のお取り計らいで明日改めて時間を作って下さるとのことで、また明日が楽しみです。

僧堂の皆も、たくさん学び充実した顔でした。

侍者しるす

2019年8月28日

侍者のことば(高尾山)

自然豊かな参道で、流れる汗も爽やかで気持ちが良かったです。

禅の修行中に護摩祈祷に参列できる機会は得難いもので
聞きなれない法螺貝等の音や祭壇の様子にも、興味を持って参列させていただきました。

托鉢以外で、管長と雲水が大人数で外出する機会はあまりありませんが
この日、管長は一参拝者として雲水達と同じように、共に山を歩いておられました。

管長はさり気なく全体を見ながら、膝の悪い者や高所恐怖症の者に声を掛けておられたり
山歩きは作務衣の格好ですが、祈祷に参列する際は略式の衣を着て数珠や朱扇を携えておられました。

僧堂では秋から冬に向けて夜に坐る時間を長くしていきます。
夏の諸行事に追われる慌ただしい日々が終わった節目として、
管長から修行僧達に気分転換をする機会をいただいたとの事でした。

何よりも、管長ご自身が一番楽しまれているご様子でした。

侍者しるす

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