2019年6月26日

六道輪廻

 六道輪廻というと、死んだあとに、地獄に落ちたり、餓鬼道に生まれ変わったりと、

死後に生まれる世界のように思われることが多いようです。

 しかし、何も死んだ後に限ることではありません。

東嶺和尚は、一日の中にも六道輪廻はあるのだと説かれています。

 自分の思うように事が運ばずに怒りの思いを起こした時は、修羅道に落ちているのです。

自分の好きなものばかりを追いかけて貪欲に耽ってしまっている時は、餓鬼道に落ちているのです。

あれこれお思い悩み、心が暗く沈んでふさがってしまっている時は畜生道に落ちています。

思い悩みも深く、ケチで執着が強く、それに怒りの炎がやむことなく、

人を苦しめ物を害してしまうような時になると、それは地獄に落ちているのです。

 このような状態にあるときは、人間の心を失って悪道に堕ちていると言えます。

 逆に一時、心が落ちついて静かになって、何も思い煩うこともなく、胸中澄み渡ったような時は、

天上界にいるのであります。

 しかし、天上界は究極の安らぎではなく、

またいつ地獄に落ちるか、餓鬼道の心になってしまうかはわからないのです。

 一日の内でも、この六道をぐるぐると回っているのです。

 六道の中でも、仏の道を目指すことができるのは

人間界のみであると説かれています。

地獄に落ちては、仏など思いもつきません。

餓鬼道に落ちても仏どころではないのです。畜生道も修羅道でも同じであります。

 天上界なら良さそうに思われますが、

これまた苦しみがなく楽ばかりだと、仏道を求める心も起きてこないのです。

 苦も楽もあって、心が正しく判断できるのは人間の心のみです。

 しかし、一日の間にも六道を回っていて、人間の心の状態でいる時は、長くはありません。

東嶺和尚は、三分の二は悪道にいると説かれています。

人間の心を保っているのは三分の一くらいだと言うのです。

 まずそのことをよく認識して、人間の心を保つ時にこそ、

仏道を求めるべきなのです。

とりわけ、布施に志し、戒を意識して、思うに任せないことに堪え忍び怒りを露わにせず、

精進努力して、心を静めて、正しい智慧を身につけようと努力するのです。

こうして六波羅蜜に心がけていれば、菩薩の道に入っているのです。

 そのように勤め励んでいれば、必ず諸仏もお守り下さり、道は自ずと開けてまいります。

{横田南嶺老師 半制大攝心提唱}

2019年6月25日

地に倒れて、地より起つ

 地面でつまずいてころんだならば、またその地面で起ち上がることができます。

倒れたままでいれば、それきりですが、

人はまたそこから手をついて足を踏ん張り、起ち上がることができるのです。

 東嶺和尚は、「倒れてはまた起き上がり、また倒れては起き上がり、

進み進めばついに到るなり」と示されています。

ころんだところで起き上がるのです。

これを繰り返すうちに、何に気がつくかというと、

私たちは常に大地に支えられていることなのです。

どんなにつまずいてもころんでも、大地は常に私たちを支えていてくれるのです。

更に東嶺和尚は、そこから戒の問題に敷衍して、

「一戒を犯せば、直に佛前に懴悔して、又道に進むとは此の事なり。」と示されています。

 よくマインドフルネスの説明などを聞いていても、

雑念が起きたら、すぐにそのことに気がついて呼吸にもどればいいのだと言われています。

雑念が起きることが問題ではなく、

気がつかずに流されてしまうことが問題だというのです。

 同じことは、戒においても言えます。

戒というと、戒めを守らなければいけないと思って、

窮屈に感じてしまいますが、そうではありません。

そもそも、私たちは常に戒に背いてしまいがちなのです。

 そこで、戒に背いたと気がついて、また意識して戒にもどることが大切なのです。

この気がついてはまたもどることを習慣にしてしまうのです。

戒を完全に守ることを習慣にしようとすると大変です。

絶対にころばないでゆこうと思うのと同じで、かえってびくびくして萎縮してしまいます。

ころんでもまた起き上がることを習慣にするのです。

 すると、大地に支えられていることに気がつくように、

戒によって守られていることに気がつきます。

戒を意識して、戒に立ち戻ることを繰り返すと、常に戒に守られていることがわかります。

 それはとりもなおさず、ほとけさまに守られていることと同じなのです。

みほとけに守られている安心感を持つことができる、

これが戒を意識して暮らす一番大きな意味なのです。

{横田南嶺老師 半制大攝心提唱}

2019年6月24日

鹿の慈悲


今年の円覚寺の標語 布袋さん

 お釈迦様は、王子として生まれ三十五歳で悟りを開かれました。

お釈迦様がお亡くなりになった後に、実はお釈迦様は三十五歳で悟る前にも、

長い間生まれ変わりを繰り返して修行していたのだと説かれるようになりました。

それがお釈迦様の前生の物語として伝わっています。

お釈迦様が前生において鹿であったお話です。

その国の王様は、肉を食べることが大好きで、毎日のように鹿狩りをしていました。

鹿狩りのたびに、多くの鹿が殺され、傷ついたのでした。

そこで鹿の王は考えて、王様に進言しました。

このような鹿狩りを続けられると、多くの鹿が無駄に死んでしまいます。

これからは一日一頭の鹿を差し出しますので、いたずらに鹿を傷つけることはおやめ下さいと頼みました。

 それからは、毎日順番で一頭の鹿が、首切り台に上り、それを王様の料理人が持ってゆくのでした。

 ある日の事、一頭の子供を宿した母鹿が順番に当たって、

首切り台に上ることになりました。

母鹿は、鹿の王に、今自分は子を宿しているので、どうか子を産んでからにして、

順番を飛ばしてくださいと頼みました。

 鹿の王は、他の鹿に替わってもらうわけにはいかないと、

自らが首切り台に横たわりました。

それを見た料理人は、驚いてすぐさま王様にこのことを告げました。

 王様は、鹿の王になぜおまえはここに横たわっているのか問いました。

鹿の王は、子を宿した母鹿のことを話しました。

そして自分が身代わりになっているのだと告げたのです。

 そのことを聞いた王様は、そんな忍耐と慈悲の心を具えた者を

かつて人間の中にも見たことがないと言って、鹿の王と母鹿の命を救うことを約束しました。

 更に鹿の王は、われらの命はたすかりましたが、他の鹿達はどうなりますかと問うと、

王様は、他の鹿達も安全を確保してあげると約束したのでした。

 そこで多くの鹿が、その村で幸せに暮らすようになったという話であります。

 その鹿の王こそが、前生のお釈迦様でありました。

 こんな話が修行の本質とは何かを教えてくれます。

何かを学んだり、身につけることよりも、

わが身をなげうって、他の命を救うという慈悲の行を積み重ねることこそが、仏陀になる道なのです。

{横田南嶺老師 半制大攝心提唱}

2019年6月23日

見聞覚知の主

 白隠禅師の年譜の六十七歳のところに、

京都島原の遊女大橋の話が載っています。

 この大橋という女性は、

もとは江戸の武家の生まれで、和歌や茶道書道を学ぶなど恵まれた環境で育ちました。

ところが、とある事情から父が浪人となってしまい、生活にも困窮するようになってしまいました。

そこで大橋は、まだ弟もいるので、家族を何とかしようと思って、自ら身を売って家族の窮乏を救いました。

 覚悟して苦海に身を沈めたものの、

もとは武門の生まれでありながら、

毎日の辛い暮らしに苦しみ悩むことになりました。

どうしてこのような目に遭わねばならぬのかと自らを恨み、

鬱々とした日を過ごしていました。

やがて病の床に臥して、とうとう医師も手の施しようがなくなってしまいました。

 そんな或る日のこと、ある客が大橋に言いました。

一つだけ、この苦しみからたすかる道があると言うのです。

どんな方法ですかと尋ねると、その客は言いました。

 生きているのは、見聞覚知の活動にほかならない。

見たり聞いたり感じたり思ったりすることです。

その見聞覚知には主がいるはずである。この見聞覚知の主は何者か、

見る者は何者ぞ、聴く者は何者ぞとひたすら問いかけてゆけば、

必ず本来具わっている仏心が現れると教えてくれたのでした。

 藁にもすがる思いで、大橋は言われた通り、

病の床に臥しながらも、見る者何者ぞ、聴く者何者ぞと工夫しました。

 或る日のこと、ひどい雷が町を襲いました。落雷が相次ぎました。

大橋は特に雷が怖かったので、部屋の中で布団に潜り込んでいました。

しかしこれではいけないと思い、布団の上に端座していました。

そんな折に、大橋の家の庭に雷が大音声と共に落ちました。

 大橋は気絶してしまいましたが、意識を回復すると、

見もの聞くものみな今までとがらりと異なっていました。心が開けたのでした。

やがて身請けされ、その夫も亡くなり、再び一素居士という方のところに嫁ぎ、

居士と共に白隠禅師に参禅するようになりました。 

見聞覚知の主は何者かと工夫することによって、

たとえどんな苦海に身を沈めたとしても、

仏心は汚れひとつ着かないことに目覚めることができたのです。

{横田南嶺老師 半制大攝心提唱}

2019年6月22日

一心の向けよう

 仏教では、仏もわれわれも同じ心を持っていると説かれています。

同じ心でありながら、仏にもなり、迷い苦しむお互いにもなるのです。

 その心をどちらに向けるかによって、

仏になるか、迷える者になるか、分かれてきます。

一心の向けようによって、仏にもなります。

お互い普段の心は、常に外に向かってはたらいています。

目で物を見ては、好きだ嫌いだと是非善悪の色づけをしています。

耳で音や声を聞いても、心地好いだ不愉快だと是非善悪の色づけをしています。

舌で味わっても、体で触れても同じことです。

そのように常に心は外の世界に向かってはたらいて迷いを引き起こしいるのです。

 その心を内に向けてみます。

目で物を見る時には、見える物を追いかけるのではなくて、

こうして見ている者は何者であるかと自らに問いかけます。

耳で音を聞いた時には、その音についてあれこれ思うのではなく、

この音を聞いている者は何者であるかと自らに問うのです。

 見たり聞いたりすることには、必ずその主がいます。

その主は何かと自らに問うことです。すると心が内に向かいます。

臨済禅師が、『臨済録』の中で、繰り返し外に向かって求めるなと説いています。

外に向かって求める者は愚かであると言うのです。

仏を求めようと思うならば、今この目の前で法を聴いている者、それだと示されています。

この臨済禅師の説かれた教えを、実際に自ら工夫してみるのです。

こうして話を聴いている時に、話の内容を穿鑿するのではなく、

これを聴いている者は何者ぞと自分自身に問い詰めてゆくのであります。

これが本来の心、即ち仏心に目覚めることのできる方法です。

{横田南嶺老師 半制大攝心提唱}

2019年6月21日

無字の呼吸

 唐代の禅僧である趙州(じょうしゅう)和尚に、ある僧が質問をしました。

犬にも仏の心はありますかと。

すると趙州和尚は、「無」と答えました。

もともとは、何でもない会話であったのでしょう。

趙州和尚にしても、命あるものは皆仏心を具えていると思いこんでいる修行僧の観念を

打破しようとされて、無いと答えたのかもしれません。

 しかし、この「無」の一字を、全身全霊をあげて工夫せよと、

宋代の禅では説かれるようになりました。「看話(かんな)禅」とも呼ばれます。

 「三百六十の骨節、八万四千の毫竅(ごうきょう)を将(も)って

通身に箇の疑団を起して箇の無の字に参ぜよ」と、

『無門関』を編纂した無門慧開禅師は示されました。

 全身まるごとで、この「無」とは何か、疑いのかたまりになって、参じてゆけと説いたのです。

 この無字を文字通り、体で工夫します。

腰骨を立てて、下腹に気力を込めて、

吸い込んだ息を下腹におさめて、

下腹をふくらますようにして、

そしてそのふくらませた下腹をそのまま保ったまま、

むしろ前に押し出すように下腹に圧をかけながら、息を長く吐いてゆきます。

その時にただ「むー」と息を吐いてゆくのです。これを繰り返し繰り返し行います。

 こんな事が何になるのかと思われるかもしれません。

  もっと思想的に究明した方がよいと思われるかもしれません。

しかし、ただ馬鹿になって、こんな単純なことを繰り返すのです。

そこに大きな意味があるのです。やってみないとわからないことでしょう。

そんな世界を坂村真民先生は「鈍刀を磨く」という詩で表現されています。

鈍刀を磨く

鈍刀をいくら磨いても

無駄なことだというが

何もそんなことばに

耳を貸す必要はない

せっせと磨くのだ

刀は光らないかも知れないが

磨く本人が変わってくる

つまり刀がすまぬすまぬと言いながら

磨く本人を

光るものにしてくれるのだ

そこが甚深微妙の世界だ

だからせっせと磨くのだ

 この詩と同じような世界であります。

ただひたすら訳も分からずに、全身全霊で「むー、むー」と下腹に圧力をかけて息を吐いていると、

無とは何か、思想的なことが解明されるわけではありませんが、

「むー、むー」と言っているその人が、「無」になってきます。

「無」 になって光り輝いてくるのです。

修行僧でも「無」に成りきった者ほど、清らかな者はありません。

禅の本領でもある「すがすがしさ」や「さわやかさ」というようなものは、

この訳も分からずただひたすら「むー、むー」と一呼吸一呼吸打ち込むことから現れてくるものです。

だから、全身全霊で無字の呼吸をするのです。

{横田南嶺老師 半制大攝心提唱}

2019年6月20日

一念が迷いの世界を造る


円覚寺専門修行道場(僧堂)では、今日から26日までの、大攝心(1週間に及ぶ

坐禅集中修行期間)に入りました。

横田南嶺老師をはじめ、雲水、居士、禅子らが禅堂に詰めて坐禅修行に

打ち込んでいます。

以下は、今日の横田南嶺老師の提唱です。
 
 一念の疑いを起こしてしまうと、この道を進むことを妨げる大きな障害となってしまいます。

一念の愛欲が、大水のようになって、そこに自分自身が溺れてしまうことになってしまいます。

一念の瞋が、火となって、自分も他人も燃やしてしまうことになってしまいます。

一念の浮かれた喜びが、風のように吹かれ翻されてしまいます。

疑いは大地のように堅固なもので、道の妨げとなり、

愛欲は水のように溺れてしまい、

瞋は火のように燃えてしまい、

喜びは風のように吹かれてしまうと、

『臨済録』では、一念の迷いを地水火風の四つの元素に分けて説かれています。

 一念が迷いの世界を造り出してしまうのです。

 しかし、同じ『臨済録』には、一念が仏であるとも説かれているのです。

一念の清らかな光が本来の仏であり、

一念の思慮分別の交えない光が自身の仏なのだと説かれています。

一念が迷いの世界を造ることにもなれば、その一念が仏でもあるのです。

2019年6月9日

管長 6月の日曜説教会映像

 今日、円覚寺・大方丈にて行われた横田南嶺管長による日曜説教会の映像です。

横田南嶺管長が最近、お会いした渋沢栄一さんのお孫の鮫島純子さんに

ついて語っています。鮫島さんは、御年97歳で講演活動をされるなど

お元気でいらっしゃいます。その秘訣を横田南嶺管長がお話をされています。

皆様、ご覧になってください。

2019年6月4日

感謝 感謝

今日は、夏期講座4日目最終日でした。

第一講目は、横田南嶺老師による「無門関提唱」、

第二講は、駒澤大学教授 田中徳定先生「中世文学と禅」

第三講は、大峯千日回峰行大満行阿闍梨 塩沼亮潤師による「人生は毎日が小さな修行」でした。

以下は、横田南嶺老師による今日の提唱です。

 本日の話は、百丈禅師のもとで修行していた二人の修行僧がいて、

禅問答をして勝った者が大寺に入ったというものです。

片方は、修行僧の中でも筆頭の者だったのですが、

禅問答に破れて山中に入って暮らしました。

片方は、それまで台所で皆の食事を仕度する係だったのですが、

禅問答の結果大寺の大和尚になりました。

 しかし、これは決して台所の係が大寺の大和尚に出世したという成功談ではありません。

また、禅問答で勝った者が大寺に入り、負けた者が山で暮らすという勝ち負けの世界でもありません。

これがもしも、台所の係が、こんなことをしているよりも大きな寺に入りたいなどと思っていたら何もなりませんし、

台所から解放されて大寺に入れた、やれやれと思っていても何もなりません。

どの場で、どの役目をしていようと、そこにあるのは感謝だけであります。

かまどでご飯を炊く、皆の食事を作るというのは、最高の暮らしです。

ああ有り難いと思うばかりです。

大きな寺に入っても、それはそれなりに苦労はあるでしょうし、

ひょっとしたら昔台所でご飯炊いていた頃の方が良かったなどと思うようでは何もなりません。

今のこの暮らしを感謝して、喜んでいるかどうか、

結局修行というのはここにあると思うのであります。

過去と比べることなく、よそと比べることなく、

時は今、ところ足もと、ただいま取り組むそのことに

打ち込む命こそすべてなのです。

真民先生の詩に

感謝 

感謝 

すべてに感謝 

守られて生きる 

幸せを思い 

進んで 

良いことをしよう 

皆が見てくださる 



というのがございます。

今回の夏期講座もこうして感謝感謝で終わります。

2019年6月3日

光あまねく

今日は、夏期講座3日目でした。

第一講目は、横田南嶺老師による「無門関提唱」、

第二講は、村松静子先生「自主逝の心 自分の最期は自分が決める」

第三講は、三井記念美術館館長 清水眞澄先生による「円覚寺の開創と美術」でした。

以下は、横田南嶺老師による今日の提唱です。

 山頭火の句に

光あまねく茶の木には茶の花さいて

というのがあります。

 静かな冬の日射しに包まれて、あの小さな茶の花が楚々として咲いている様子が

よく表現されています。

清らかな感じのする句ですが、山頭火は幼い頃に、

母親が井戸に身を投げて自殺して、

その母が井戸から引き上げられる姿を目にしているのです。山頭火は、

その母の位牌を持って放浪遍歴に旅に出たのでした。

酒を飲まずにはいられず、飲んでは苦しむのです。

そんな苦悩の中から清らかな光を感じるのが、この句であります。

 坂村真民先生に

光る 

光る 

すべては光る 

光らないものは 

ひとつとしてない 

みずから 

光らないものは 

他から 

光を受けて 

光る

という詩がございます。

 真民先生が小学校の五年生の担任を受け持った時に、

まったく字も読めない生徒がいたそうです。

前任の先生からは、「あの子はどうしようもない子で五年間すっと放っておいていたから、

そのまま放っておいたらいい」と言われたというのです。

しかし真民先生は、この子にもきっとなにかすばらしいところがあるはずだと信じます。

あるとき生徒達を連れて近くの川に行かれました。

するとその子が、川で泳いでいる魚を素手で上手につかんで捕るのです。

それを見た先生は、喜びます。すごいではないかとその子を褒めてあげるのです。

どんな子にも光るものはあると信じているのが真民先生でした。

ですからこの「光る 光る すべては光る」の言葉には実感がこめられています。

また真民先生は、「柔軟心」という詩の中で

何もかも無くしたとき

何もかもありがたく

何もかも光り輝いていた

一途に咲いた花花の

うれしい心を受け取ろう

やさしい心をほめてやろう

と詠っておられます。

何かも無くしたとき、なにかも有り難く何もかも光り輝いていたという一節は、

禅の教えを端的に詠っています。

禅の修行とは、この何もかも無くす修行です。

今まで覚えてきた知識も経験も、すべて無くして無になって坐るのです。

すると何もかもが有り難くなります。

朝の日の光が射してくることも、

鳥のさえずりが聞こえてくることも、

今ここで息をしていることも、

こうして生きていること自体がありがたくなってきます。

そこで目を開いてみれば、何もかも光輝いているのです。

私もその光の中にいるのだと気がつくのであります。

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