2019年10月19日

製硯師(せいけんし)

上京のついで、

年末年始の揮毫に使う筆や墨を購入しようと

浅草の宝研堂を訪ねました。

 
宝研堂の青柳貴史さんは、

いつもお世話になる白山のお寺の総代さんの親戚にあたる方で、

昨年ご著書『硯の中の地球を歩く』をいただいて、一読し、

一度お目にかかりたいと思っていました。


製硯師とは、石の切り出しから、加工、研磨まで

硯のどんなことにも対応できるプロという意味らしく、

日本では、貴史さんお一人とのこと。

 
あいにく、貴史さんは、出張中でご不在でしたが、

お父様であり店主の青柳彰男さんが、

硯工房を案内してくださいました。

 
硯を削るのは、力が入りそうだなと思って見ていると、

やってみませんかと言ってくださったので、

お言葉に甘えて体験させてもらいました。

両脚を踏ん張り、全身の力を込めないと削れません。

大変なお仕事だと、実感しました。

 
貴史さんの著書は、老舗の若き後継者が

一途に仕事に取り組む熱意のあふれた

いい本です。

 
今の日本に、こんな若者がいてくれるのだと

思うだけでも、幸せな思いがします。

横田南嶺

2019年10月18日

そういうもんだ

一遍上人の生誕地であり、坂村真民先生のお墓のあるお寺、

愛媛県松山宝厳寺さまは、平成二十五年の夏、全焼してしまいました。

宝厳寺さまには、重要文化財に指定されていた一遍上人像がございました。

そのお像もまた燃えてしまったのでした。

真民先生は満五十歳の年に、この一遍上人像に出逢いました。

一遍上人というお方は、南無阿弥陀仏という念仏札をみんなに配って日本全国を行脚された方です。

ですから、そのお像も、素足のままで質素なお衣を身に纏った、いかにも素朴なお像なのでした。

この一遍上人のお木像のおみ足に触れて真民先生はご自身の道がはっきりしたと言われます。

南無阿弥陀仏の札のかわりに、自分は詩を作ってそれを多くの人々に配ろうと決意されました。

一遍上人の志を受け継ぐことを決意されたのです。

そして毎月「詩国」と題して、詩を作って千数百人の方々に配っていらっしゃいました。

私も高校生の頃から大学を卒業するまでの間、その「詩国」を送っていただく一員に加えていただいていました。

そんな大事なお木像が燃えてしまったのです。



 
その後、坂村真民先生の三女である西澤真美子さんと対談する機会がございました。

私は西澤さんに、あの一遍上人像が燃えた跡に、

真民先生が立たれたらなんと仰ったでしょうかと質問しました。

西澤さんはしばらく考えながら、その時には即答されませんでした。

私は、ずっと長い間そのことを考えていました。

そんな真民先生の「消えないもの」という詩も思ったりしていました。

「どんな大きな伽藍(がらん)でも 
いつかは壊れてくる 
それは歴史が示している 
だがいつまでも 
壊れないものがある 
それは愛と慈悲である 
この二つは エーテルのように 
宇宙からきえることはない」


その後、西澤さんからご丁重な手紙をいただきました。

その手紙には、燃えて全て亡くなった跡に立たれて真民先生は何を言われるか、

西澤さんの思いが綴られていました。

「宝厳寺の本堂が燃えているときの炎はまるで地獄絵のようは恐ろしい勢いでした。

上から見ている父は、自分の身が焼かれるような痛みだったに違いありません。

そして見事としか言いようが無いほど、燃え切って灰になり、

翌朝私がまいりました時には、風だけが吹き抜けていました。

風は焦げた竹林を通ってお墓に届いたことでしょう。

その風の中に、父が一遍上人のお姿を見ていたと思います。

立像ではなく、生きたお姿を。

山河草木、吹く風浪の音の中に生きていらっしゃるお姿です。そして何と言ったでしょう…

ひとつ言葉が浮かびます。

 
 
…そういうもんだ」。

 
 
 長い言葉ではありません。

「そういうもんだ」、一言です。

しかし深い深い一言です。

そういうものなんです。この世に生きるとはそういうものなのです。

つらい目にもあいます。かなしい思いも致します。

なぜこんな目に会わねばならないのか眠れないこともあります。

しかしこの世に生きるとは、

そういうものなんだと受け止めて生きていくしかありません。

この世に生きる、憂いも悲しみもみんな、海のように受け止める、

深い一言がこの「そういうもんだ」だと思います。

「そういうもんだ」、

人の世の苦しみを噛みしめた重い重い一言です。

(令和元年舍利講式法話より)

横田南嶺

2019年10月17日

宝厳寺とのご縁



十五日の舍利講式の終わった午後に、

愛媛県の道後にある宝厳寺から御住職はじめ檀信徒の方々がお参りくださいました。



宝厳寺は、一遍上人の生誕地であります。

詩人坂村真民先生は、一遍上人をこよなく尊敬され、禅の教えと共に一遍上人の教えは、

真民詩の柱となるものです。

私もまた、真民先生の『一遍上人語録 捨て果てて』を通して、一遍上人のことを学びました。

一遍上人は、熊野権現の神託を受けて独自の念仏の教えを弘められました。

また、紀州由良興国寺の開山法灯国師(心地覚心)について禅の教えも学ばれています。

熊野も興国寺も私に縁の深いものなので、私も親しみを覚えて学んできました。

そんなご縁が実って、先だって一遍上人と法灯国師とが問答したという神戸の宝満寺に、

一遍上人の和歌を私が揮毫して歌碑を建立され、記念講演も行ってきたのでした。

そんな一遍上人の生誕地でもある宝厳寺には、真民先生のお墓もございます。

平成二十四年に、愛媛県砥部町に坂村真民記念館が出来て、

私も初めて記念館を訪れました。その時に、宝厳寺にある真民先生のお墓にお参りしました。

そして、宝厳寺の御住職にもお目にかかり、一遍諸人像も拝ませていただきました。

しかしながら、明くる平成二十五年八月十日、宝厳寺は全焼してしまいました。

本堂の一遍上人像もすべて燃えてしまったのです。

寺の本堂も大事な重要文化財でもある一遍上人像が燃えてしまっては、

御住職の悲しみは、察するに余りあります。

その明くる年にお見舞いに参りました時には、御住職は入院されていまいた。

鎌倉に帰って、病院から御電話おいただいたのでした。

それからも毎年宝厳寺を訪ねてまいりました。

しかし、残念なことに御住職は、お亡くなりになってしまいました。

そんな中、御住職の奥様が、一生懸命にお寺を守ってこられました。

はじめは、プレハブの小屋のようなところでお経をあげたりなさっていました。

檀信徒の方々や地域の方々の熱意が結集して、

わずか三年足らずで、本堂も一遍上人像も復興されました。

一遍上人像は、本物かと見まがうばかりのものでした。

更に、亡き御住職のご息女が出家されて尼僧になり、

本山の遊行寺での修行も済ませ、宝厳寺の住職に就任されました。

そして、住職になって初めての団体参拝旅行を企画され

本山である藤沢の遊行寺と円覚寺とをお参りになったのです。

初めて宝厳寺を訪ねてから七年ほどのご縁ですが、

本堂も一遍上人像が燃えてしまい、御住職も亡くなり、

その間お寺を守ってこられた奥様も、円覚寺にお参りくださいました。

本堂ができたての頃おうかがいした時には、まだ新しい住まいになれないようなことを仰っていましたが、

もうすっかり落ち着かれたようで、

御住職となられた娘さんとご一緒に来られたお顔は、とても明るい表情でした。

その明るい表情を見ることができたのが、何よりの幸せでありました。

十月十五日は、昼過ぎまで舍利講式の儀式が続き、

その後続いて宝厳寺様ご一行がお参りくだり、

本山の人たちは大行事の後片付けで忙しいので、

私が山門から舎利殿までご案内させていただきました。



久しぶりの観光案内でしたが、喜んでいただけたようでした。

その後、大書院で茶礼をして、少し懇談することができました。



有り難い一日でありました。

横田南嶺

2019年10月16日

舍利講式

円覚寺には、国宝舎利殿がございます。

舎利殿ですから、お舍利をお祀りしているお堂であります。

舎利殿にお祀りしているお舍利は、

鎌倉時代に源実朝公が、中国に使者を遣わせて能仁寺からいただいてきたという、

お釈迦様の上頷右牙の舍利、

すなわち右上の歯であります。

このお舍利を年に一度ご開帳するのが、十月十五日の舍利講式であります。

大方丈のご本尊釈迦如来に、その日だけは、お蔵にお移りいただいて、

ご本尊をお祀りしているところに、仏舎利をお祀りいたします。

そして、延々と儀式を行います。





一山の僧侶が何度も何度も礼拝を繰り返し、

お舍利の功徳を讃えてお経を読むのであります。



お昼前には、法話を行って、そのあとご参詣の皆様で、それぞれ手から手へと仏舎利へのお供え物を手渡して、

最後にお香を焚いて舍利真前にお供えするという儀式がございます。

そのあとに、大施餓鬼会を行って、各家のご先祖のご回向を勤めています。

お釈迦様の滅後に舍利を供養することは、

肉親のお釈迦様にめぐり会うのと同じ功徳があるのだと経文には説かれています。

法話では、いつもの通り皆様と手を合わせて、今日のめぐりあいに感謝をして始めました。



いつも、両親のおかげでこの命を賜ったこと、

今日まで多くの方々のお世話になってきたことなどを感謝するのですが、

今日台風が来なかったこと、災害の無い事にも感謝をすることが大事だとお話しました。

報道では、各地で大変な台風の被害であります。

お亡くなりになった方も多くございます。

まだ行方不明で捜索中の方もいらっしゃいます。

そんな事を思うと、年に一度の年中行事ではありますが、

いつもと変わりなくお勤めすることができたのは、何にもまして有り難いことであります。

横田南嶺

2019年10月14日

羅漢講式



十月十四日は、羅漢講式。

明くる十五日は舍利講式という、円覚寺の大事な儀式であります。

円覚寺には、五百羅漢と十六羅漢の軸が伝わっています。

五百羅漢図は、五十幅あります。一幅に十人の羅漢さんが描かれていて、

五十幅で五百羅漢となります。

五百羅漢図と十六羅漢図を、大方丈に掲げて、

一山の僧侶が出頭して、羅漢尊者を一体ずつ礼拝してはお招きします。

そして羅漢さまの功徳を讃嘆するのです。



羅漢とは、阿羅漢とも申します。

阿羅漢は、サンスクリット語arhanの音を写した言葉です、音写と申します。

漢訳では「応供(おうぐ)」といって、尊敬され、施しを受けるに値する聖者(しょうじゃ)をいいます。

インドにおいては、尊敬されるべき修行者をさしました。

仏教では、修行者が到達できる最高の位を表しました。

仏道を学び、そして完成し、もはやそれ以上に学ぶ要がないので、無学という位でもあります。

仏さまの称号の中にも、「応供」の名があり、

もとは仏様の別称でもありましたが、後には弟子の称号となりました。

特に中国や日本においては仏法を護持することを誓った十六人の弟子を十六羅漢と呼びました。

また、第一 回の仏典結集(けつじゅう)に集まった五百 人の弟子を五百羅漢と呼んでいます。

禅宗では、お釈迦様の法を継いだ迦葉尊者が阿羅漢であったので、

羅漢を修行僧の理想として尊びました。

 


今日の時代ですので、羅漢尊者のような厳しい修行もできていないのですが、

せめて理想を忘れてはならないと、礼拝を繰り返しています。

とりわけ、私如きは、羅漢どころか、何もしない「はたらかん」であります。

慚愧懺悔で礼拝しています。

 


十五日は、円覚寺に伝わる仏舎利を一年に一度ご開帳する儀式が行われます。

横田南嶺

2019年10月14日

仰げば月あり

毎月四国在住の方から、毎月「こだま通信」という葉書を送ってもらっています。
 


毎月読むのを楽しみにしているのですが、

今月は、九月に岐阜県揖斐川町の大興寺様での法話を

まとめて紹介してくださっていました。

その日もはるばる四国から岐阜の法話会に

お越しくださっていたのでした。

「こだま通信」は以前にも紹介したことがありますが、

短い文章でよくまとめてくださっています。

ちょうど先月の台風一五号の後に、

大興寺様におうかがいしたので、災害の無いことの有り難さをお話したのでした。

あれから一月、更に台風一九号が、関東地方に猛威を振るいました。

多くの方々がお亡くなりになっています。

ご冥福をお祈りします。

 

今被災されている方々も、いつの日か、

「影あり 仰げば 月あり」と

気がつくことのできる日が来るようにと祈っています。

横田南嶺

2019年10月13日

大自然の力

今回の台風で、国宝舎利殿の裏山の杉の木が
何本か倒れてしまいました。


昨年の台風でも舎利殿の裏の大木が
根っこから倒れて、舎利殿の屋根を一部
損壊してしまうことがありました。

屋根はようやく修復でき、
裏山も危険な木は、あらかじめ伐採して
いるところでした。

台風がくるというので、職人さんたちは
杉が倒れないようにと、ワイーヤーで
しっかり縛っておいてくれたのですが、

そんな人間の行いをあざ笑うかのように
杉の木は、なぎ倒されてしまいました。


大自然の力は、人間の作為をはるかに
超えたものだと思い知らされました。

本日は日曜日ですから、職人さんも
もともとお休みの日だったと思いますが、

皆さん総出で、倒れた木の片付けに
取り組んでくださっています。

これほどの大木になりますと
素人木こりの出る幕ではありませんので、
感謝の声だけかけて見守っております。

横田南嶺

2019年10月13日

10月の日曜説教会 映像

本日、円覚寺・大方丈にて行われた横田南嶺管長による日曜説教会の映像です。

台風の直後で電車も止まっている中、大勢の方々がお越しくださいました。

皆さま、ぜひ、ご覧ください。





2019年10月13日

いよいよ 分からなくなる

本日は、東慶寺様で、釈宗演老師没後百年の記念講演をつとめる予定でした。

題は「釈宗演老師の目指したもの」。


宗演老師については、何度も話をしてきています。

資料も何もみなくても、いくらでもお話できるくらいですが、

昨日台風の為

東京白山の龍雲院の坐禅会も中止になったので、

じっくりと改めて資料作りに没頭していました。

すると、宗演老師について、調べれば調べるほど、学べば学ぶほど

分からなくなってきました。

まさに、『論語』にあるように、

之(これ)を仰げばいよいよ高く、
之を鑚(き)ればいよいよ堅し。
之を瞻(み)るに前に在れば、
忽焉(こつえん)として後に在り。


なのであります。

その徳は山のように、仰げば仰ぐほど高い。
その信念は金石のようなもので、
鑚きれば鑚きるほど堅い。
その高遠な道は捉えがたく、
前にあるかと思うと、たちまち後ろにある。

このような人なのかなと思うと

また違った一面を見ることができ、

学べば学ぶほど分からなくなってきました。

 
講演のはじめに、次の宗演老師の言葉を紹介しようと思っています。

「アメリカ合衆国から、自分第一(ファースト)という個人主義が輸入されて、
恐ろしい勢いで跋扈しはじめた。
この思想の勢いは防止することができない。
ナニモ個人主義、カモ個人主義、いちいち、自己を中心にして割り出す、
これが高じてくると危険思想にもなるのです。」


 
百年以上前に「自分ファースト」という表現をされているのには

驚きであります。

ではそれに対して、日本はどうあるべきかというと

宗演老師は

「我が日本人の思想としては、何が中心にならなければならないかといえば、
それは『感恩の精神』(おかげさまと恩に感ずること)
とでもいうべきものではないでしょうか。」


と仰せになっています。

 

この話を出だしに使って、話そうと思っていたら

台風の為、講演が延期になりました。

 

宗演老師のことが分からなくなるどころが

明日のことも分からないのでした。

横田南嶺

2019年10月13日

台風

台風が、また直撃しました。
前日以来、報道では、大変な警戒を呼びかけていました。

たしかに、一晩雨と風が吹き荒れました。

朝方、境内をみてまわると、
舎利殿の裏に倒木が何本かあり、

境内の参道にも杉の木が倒れていました。




白露池にも先月と同様、杉が倒れていました。



 
木こりの血が沸き出てきて
よし、伐って片づけようと思っていると

本山の部長さんが、
「木こりは、おやめください。
すぐに職人が来るように手配しています」とのこと。

以前ならば、そう言われると
よし、職人さんが来る前に伐ってやれと
思ったものですが、

この頃は、年のせいか、穏やかになって
神妙に職人さんが来てくれるのを待って、

職人さんのお邪魔にならぬように、
伐っていただいた木の片付けに専念していました。

さすがに、チェーンソーで伐ってくれますので
あれよあれよというまに、見事に伐ってくれました。

そのほかには、舎利殿はじめ建物などには被害はないので
ホッと安堵しています。

横田南嶺

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