2011年6月1日

本当の安心とは

6月1日(水)
 
 管長様が淡青会坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。
 自分の安心を得たい、これでいいという安心を得たいとみんな
思うが、しかし、この安心を得たいという気持ちこそ自分の心を
かき乱す大きな原因であります。これがあれば安心というものを
得たい、今現実の迷い、苦しみがきれいに片付いて本当に安心したい
と思いがちだけれど、そんなものは妄想、絵そらごとにしかすぎません。
 坐禅をすると全く悩みなく毎日が安心して暮らせるなんて虫の良い話は
決してありはしない。生きていくということは、迷い、苦しみを避けることが
できないものであります。むしろ迷い苦しみそれらを全部ひっくるめて、それを
そのまましっかり受け止めて生きていくしかそれ以外にありません。
 これがあれば絶対安心なんてものはあろうはずがないのであります。
それがどういうわけか、なんかをを買えば「安心」できますとか、
なんかの祈祷を受ければ「安心」を得られますとか人の弱みにつけ込む
どうしようもないやからがいますが、そんな虫のいい話はありません。
 生きている限り悩み苦しみはある、生身のからだを持っている限り
病気にもなるし、具合も悪くなる、足も痛くなる。
 大事なことは、それらを全部避けることなく冷静にしっかり受け止めて
それでも自分はこうして今生きている!こんななりでも、どうにか自分は
生きている!これ以上尊いものはない!と受け止めて、一日一日一時一時
今目の前にある一つ一つのことを大切に生きていくしか私達の道はない。
 その積み重ねが強いていえば、最期に「ああ!これで安らかであった!」
と思えるのではないでしょうか。
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