2015年9月10日

むさぼりの衣、いかりの衣

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<今、境内では酔芙蓉が見頃です。護国塔にて>

横田南嶺老師が先日の淡青坐禅会(9月2日)で提唱したことをまとめてみました。

 明治期の円覚寺の禅僧、釈宗演老師は、次のようなことを仰せになっています。

「人間は、みんな、一人一人、生まれながらに、その本体は、観音様である。

中身はみな誰一人例外なく観音様であるけれど、貪りという上着、瞋りという

上着、愚かさという上着を着てしまっている。そして、その上着を脱ごうとしない。

 その上着を全部脱いでしまえば、一人一人が観音様であるはずなのに。」

 今、世の中で様々な事件が起こり、「随分、ひどいことをする奴もいるものだ、

そんな奴には仏心なんてあるわけがない」と思われることが多々あります。

それでも、本体は観音様である、仏心であるというのが仏教の教えです。

 貪欲、むさぼりの心を基として、少しでも自分のむさぼりの心を妨げられたり

邪魔をされると、相手に瞋り、憎しみの心となり、本当は、中身は仏心である

はずなのに余計な上着を着こんでしまう。

 悟りだ、菩提だ、涅槃というのも余計な上着です。様々な縁によっていろいろな

衣を着こんでいる私たちですが、全部、脱ぎ捨ててしまえば、自分が観音様であった

と気が付くはずです。

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