2014年9月4日

紫式部

blog-DSC04490

紫式部という名前の植物です。白い玉の白式部もあります。素敵な名前をつけてもらって

しあわせものです。黄梅院にて。

昨日、横田南嶺老師が淡青坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。

 何の姿・形のないものこそ真の仏様です。この虚空・空間は何の姿・形もなくいたるところに

行き渡っている。そういう虚空のような広い心の中に浮かぶものは、雲のごとく幻のごとく

みな移り変わるものに過ぎません。

 そのように移り変わっていく中で大切なものなんであるか?それは、お互い、人と人とが

信じ合うこと、思いやり合おうこと、いくつしみ合うことであり、そういうものを大切に

守っていくことが肝心です。

 私たちは姿・形あるものだけを「これこそ!これこそ!」と思いこんで右往左往していますが

身近なところでは、お互いのこの体も必ず移り変わっていきます。

 それでは姿・形のない真の仏のいのちとはいったい何でありましょうか?

実はそのように問うまでもなく、私たちは姿・形のない仏のいのちを只今、現在生きているのです。

この生きているいのちは生き通しであり、たとえ、姿・形が消えてもずっと生き通しなのです。

 大空を見ると雲が浮かんでは消えて浮かんでは消えてを繰り返しています。どこに視点を置くか

が重要です。浮かんでは消え、移り変わる雲を見て一喜一憂するか、どんな雲が浮かぼうが

消えようが大空には何の違いもないと見ていくか。

 安らかな安心が得られるか、愁い苦悩が起こるかはその違いです。同じものを見ても

雲だけを見れば移り変わりやがては消えてしまうと嘆き悲しむことになるが、逆に

雲がいくら移り変わろうがあの大空はずっと変わることがないと見れば生き通しです。

 この移り変わることない大空こそ我々の本心であると気がつくことが大切であります。

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